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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

数学の達人、算数の名人

2015.11.18

 おはようございます。本日は渋谷Aの指導日です。気温17℃、午後からは雨の予報です。

 11月も早18日です。わたしがもっとも特殊な月と認識する、12月と1月ももうすぐです。高校受験ですと12月、1月というのはまだ伸び代がある、いやかつての竹の会は12月からの指導で数多くの奇跡を出してきた。わたしが、12月、特に、1月の無力感を経験したのが、平成20年の1月のことでした。過去問を使って本番と同じように練習したことがありました。ほとんど白紙の答案を目にして虚しさだけが残りました。猫も杓子も受検ブームの走りの頃だった。無力感が支配した、どんよりとした1月だった。あのときに、この試験は小学5年から作り上げていなければダメなんだと思い知らされた。あの時、集まった子たちはほとんどが小6の7月前後、通分もできない、割合も何も理解していない、普段勉強なんかしない、そういう子たちが、公立中高一貫校の受検を口々に言い出して親も踊らされた。そういう時期だった。わたしが本気で育てよう、算数に取り組もうと決心した年であった。それでもあの年、なぜか桜修館に一人だけ合格した。小6の9月にきた子だった。それから20年21年の2年間は算数の指導法の研究に明け暮れた。

 ただ今思うと、20年に指導した子たちの中から3年後に高校受験で都立小山台や文京といったところに合格していった子たちが出た。いやいやもっと考えてみると、わたしはあの当時もいろいろと割合マスターのためのレジュメを作っていたように思う。作っては試す、試しては作る、そういうことをいつも繰り返していたように思う。さまざまな指導法を考えては試す、挫折と少しだけの成功体験、そういうことを繰り返しながら、わたしは研究を進めてきたのだと思う。平成23年に指導した子たちに、算数の得意な子が二人ほどいた。その子たちが口を揃えて、「先生、ミクロマクロはすごいですね。あれで算数がわかるようになりました。」と何気なく言った。その言葉があとあとわたしの頭の中に残った。「もしかしたら」、わたしはそれからミクロマクロの思考で指導することを意図的にやった。子どもたちの反応がちがった。たちまち割合を理解して、たちまち中学入試の問題を解けるようになっていく、そういう姿をよく見た。わたしはわたしの方法に確信を持つようになった。竹の会の算数の誕生であった。だれも知らない、わたしだけの算数の方法、わたしはついにたどりついたのだ。子どもたちに算数を説く、竹の会定番の指導法にたどりついたのだ。

 かつて毎年のように高校入試の数学の問題をほとんど毎日解く生活を送った時代、首都圏の高校の過去問という過去問を解き尽くした、そういう時があった。多いときで高校受験生が20人近くいた。竹の会は高校受験の塾だった。中3ばかりいて中1とか中2は少なかった。あの当時は、中3になって「そろそろ塾に行くか」といった親子がほとんどだった。中1から塾に行くのは、早慶とか私立進学校をめざす子たちに限られていた。だからわたしも直前の神業を発揮した。多くの奇跡的合格を輩出した。いつか代々木中の数学の先生が、解けなかったという問題を、わたしに「わかりません」と持ってきて試したヤツがいた。わたしがいとも簡単に解いてしまうと、「先生、学校の先生が解けなかった問題です」と白状した。いや開成高校の問題ばかり集めてプリントにして生徒に課す、マニアックな数学の教師がいて、できなければニヤニヤしている、そういうのがいて、ある生徒が、あるときわたしにそのプリントの問題を解いてくれともってきたことがあった。わたしがさらさらと解くと、件の生徒は「さすがですね、実は・・」と白状した。

 竹の会が数学で評判になった、竹の会の黄金時代の話である。あるときから、わたしはよく「わたしは数学の達人だ」と口にするようになった。首都圏の偏差値70前後の高校の数学の問題を各20~30年分も解き尽くしたのだから、しかも、わたし流のオリジナル解答を書いてきたのだから、それくらいは言ってもいいと思ってきた。実はあの当時は大学受験の数学もかなり解いた。ときには、大学受験をする子を指導することもあったからだ。平成13年に都立西に合格した生徒を3年間指導した。彼は理系だった。しかも東大志望だった。わたしはもともと文系数学しかやっていない。だからわたしも勉強した。英語だって東大教養部の教科書を使って、指導した。わたしは数学や英語を深めていった、そういう時代だった。

 算数歴はそれほどない。もっとも昔から竹の会にも中学受験の子はいたから、例によって首都圏の過去問は解きつくしてはいた。しかし、どうしても数学的に解いてしまう。あるときは小学生に数学を教えたこともあった。まだ中学入試の問題が古典的な問題が主流の時代の話である。今のように推理・推論が主流だと数学では太刀打ちできない。わたしが算数の研究を始めたのが、平成17年頃か、本格的にのめりこんだのが、平成20年、21年あたりからか。そして指導に開眼するのが、平成23、24年あたりである。ようやくわたしは算数の名人という域に到達しようとしつつある。

 竹の会には、数学の達人がいる。

 竹の会には、算数の名人がいる。

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