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新年明けましておめでとうございます。

2016.01.01

 新年明けましておめでとうございます。いよいよ2016年、平成28年となりました。今日は、年の初日、1月1日です。大晦日と元旦、そして明日2日の3日間がわたしのささやかな休日です。

 明日は、全くの私用で小田原まで行ってまいります。年末、正月と穏やかな日よりが続き、これだけ天候に恵まれるとなにか不気味な予感もしますが、今はただ天の恵みに感謝しつつ、静かに時を過ごしたいと思います。昨日、今日と、冬期前半に実施した作文の添削をしました。総じて「全くできていない」のに唖然としております。「問いに答えていない」作文の続出で、そういえば、作文の書き直しをする小6がほとんどいないことを思い合わせました。 竹の会のできるとされる子たちでも、それは算数について言えるだけで、国語力はかなり低いと認識しております。読書をよくする子もいるようですが、そういう子は少しはましな程度でだからといって読解が特別いいと認識するにいたってはおりません。

 国語の読解、特に、受験国語の読解というのは、徹頭徹尾本文の中の言い換えた文の摘出に尽きる、と思います。一般の読書のように、本文を自由に読解するのと訳が違うということです。そもそも文章というのは、特に、論説文というのは、読者に筆者が自分の主張を理解してもらうための文章であり、そのために、抽象的な内容は、具体的に置きかえ、具体的な内容は、抽象的な内容に言い換える、ということを不断に繰り返しているわけです。よく「問い」では、「どのように」と問う形式がありますが、これは、抽象的な文章を具体的にどうなのか、聞いているわけです。ですから、問いの答えは、たいていその問題となる抽象的表現のすぐ後にあるものです。国語、受験国語の問いでは、本文を理解した、あなたの意見、解釈を聞いているのではありません。選択肢の中から選ぶときも、あなたの読解の結果を聞いているわけではない、本文でどう言い換えていますか、ということを聞いているのです。わたしの作品「新国語読解」は、このことを知ってもらうために執筆しました。このわたしの真意が通じたのは、実は、1名しかいません。中3でした。途端に、模擬の国語の偏差値が上がったのです。本人もわたしの意図するところがわかったようです。それまで的外れの自分の意見ばかりを書いていたのが、本文から適切な言い換えを探して書くようになったのです。そしたらいきなり点がとれるようになった、というわけです。残念ながら、小6にこのわたしの意図が通じたのか、と言えば、まじめに、このレジュメを出していた小6の中の一人が少しわかってきたのか、「新読解演習」で健闘しているやに見える程度で、これまでほとんど出してこなかった小6については、できないのは当然としても、まじめに出していた小6にわたしの意図が伝わらなかったのは、残念です。

 作文で「落ちた」という子は、もちろんいたと思います。ただ受験の実際では、算数力がないために落ちたという子はかなりの数に達するのではないか、と認識はしております。算数はできて、国語もできる、これが理想なのだと思います。算数がよくできる子なら、国語はそこそこできれば受かる、とは思います。逆に、国語はよくできる子が、算数ができなければまず落ちるでしょう。

 平成26年はそういうことだったと思っております。早稲田進学会の模試で常に上位に名前を載せた子、2人が落ちました。一人は、算数はかなりできたけれど、国語力はかなり低かった。もう一人は、漢検2級をとるほどに国語はよくできたけれど、算数は不得意だった。合格はんこがとれなかった。そういうことだったのだと思う。

 作文を添削してみると、ほとんど「問い」として「求められた内容」を答えていない。「問い」には、条件が付されることがある。例えば、「本文をふまえて書け」とあるのに、本文の内容には全く触れていないとか、「説明しないさい」とあるのに、自分の考えを述べたり、とか、どうしたものでしょうか。

 本文そのものが正確に読みとれていないために、書けない、という例もかなりあった。

 さて、3日から、作文は、2回実施することにしました。さらに、1月の通常指導では、日曜2回、水曜1回実施します。とにかく直前まで徹底的に書きまくってもらいます。

 読解については、「新国語読解」の解き直しをすることによって、「問いに答える」とは、どういうことなのか、をよく考えてみてください。

 

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