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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、慶應、小石川は憧れで行けるところではない/都立中高一貫校は憧れだけでは入れない、合格の掟がある/わたしは指導の達人と思っている

2018.03.22

 おはようございます。昨日は真冬でしたね。霙と思いましたが、雪も確かに舞い降りておりました。これが一過性なのが春のいたずらということなのでしょうか。暖と寒の鬩ぎ合い、やがて暖が押し勝つ、そしてともすれば汗ばむ、しかし朝夕は肌寒いという春特有の季節になってまいります。日々の指導に追われて休む間もない、特に、初心者の指導は疲れます。小3、小4早期、それから仮合格した子、こういう子の指導は神経を使いますね。理解能力というものを見極めることに集中しています。最終的に「無理」と判断することもある、そういうときに指導困難としてお断りをしやすくしたのが仮合格です。仮合格だけれども頭角を顕すというか、伸びてくるという子もいます。1年経ってやはりダメということもあります。もっともA合格したけれど結局失速するという子ならたくさんいます。受検というのは、類い稀なる実行力のある子、家庭だけが、フィルターを透過していくことになっていますから。ですから仮合格でも実行する子、家庭なら芽はあります。ただわたしは指導が「手詰まり」となっている子については、どうかわたしの心中を察して、親御さんの英断を期待しております。

 わたしは自分の指導にはそれなりに自負をもっております。わたしの指導にかかれば子どもは間違いなく伸びていく、それは間違いのない事実です。子どもは伸びていく、だから竹の会の指導を一度でも受ければ「止めたくない」、そういう親御さんの心情は痛いほどわかります。あるお母さんは、わたしに入会を断られて、塾を探したけれど、いいところがない、なんとか指導してもらえないか、と懇願してきました。東京というところはいくらでも塾がある、しかし、わたしもそう思うのですが、本物の塾は少ない。そのお母さんには、竹の会を経験して、それがよくおわかりになったのだと思います。わたしが口角泡を飛ばして、巷の塾を批判しても、それに同調する親は少ない。塾で失敗したとわかるのは、受検の時ですが、それでもそれまで通っていた塾が悪かったなどと思う人は少なく、むしろいい先生、いい塾だった、とさえ思っているのです。しかしですね、割合も満足に解けない、そういう学力というか、思考というものがない、そういう状態で小6を終える、それでもその塾はいい塾であり、いい先生だったと言えるのか、わたしにはわかりません。よく耳にするのは、いい先生、教え方がうまい、などと言う母親たちの噂です。母親というのはそういうところを評価しているのか、ということです。当のその子どもが割合の問題を解けるか、ではなくて、教え方がうまいということを問題にする。違うのではないか。そういう母親とは正直関わりたくないですけど。ところでそういうことで、このわたしをして「これはダメだ」「無理だ」と思わせる、そういうときがあるわけです。これはさすがにわたしには指導はできない、「手詰まり」、そういうときは、潔く退塾していただきたい、そうお願いしているわけなんです。わたしが、退塾、退塾と書くと、かなりビビる親御さんがいるということは推測しております。ただわたしの本意は熱心に勉強しようとする子を切り捨てるところにはなく、いやむしろそういう子は大切にしたいと思っていますが、それも当の本人に最低限の、指導をすれば前へ進むという見込みがある限りです。手詰まりのときはさすがのわたしにもどうにもできません。そのときは断りすることになりますが、どうか悪しからず了知願えればとお願いします。と同時に、1年前後通ってもいくら熱心としても、これは合格は無理かな、と思う瞬間があります。正直に申しております。こういう場合に、そのまま指導を継続していいものか、月謝をもらっていいものかと悩むのです。その意味では卒業した小6について、受検するという行動は積極的なのですが、課題は出さない、なにかと家庭の事情を優先させる、家庭学習時間が足りない、そういうときに、後から考えて、かなり勇気のいることですが、退塾をしていただいていたほうがよかったのではないか、と思います。しかし、現実には、受検直前期になって退塾をお願いするなど子の心情を考えればできない相談なのです。わたしには不本意な指導を続けるほかなかったわけです。

 わたしはもう若くありません。ですからもう無理をして意に沿わぬ子の指導をしたくないのです。もしかしたら今年が最後の指導になるかもしれない。常にそういう覚悟をしています。指導が終わっていつになく頭痛に見舞われて、もうダメかなとよく思い、落ち込むこともあります。確かに、わたしが指導したほうが、限界線上の子たちは伸びていくと思います。しかし、それはわたしの仕事ではない、少なくとも今の仕事ではない、と思っております。今年は竹の会が夢にまで見た、大量合格を見込める子たちが集まりました。だからわたしも早くから気を入れて指導しております。これが最後になるかもしれない、いつもそう思って必死にやっています。

 ◎昨日の問題の解説

 竹の会「推理の素」24番 出典 東洋英和

 男子1人と女子3人の4人兄弟が、次のように言っています。

  ①「私は姉になって16年」

  ②「ぼくは兄になって12年」

  ③「私は妹になって7年」

  ④「私には6才ちがいの妹がいる」

 4人はそれぞれ何才ですか。

 

 解説 納屋味胡南

 答え 7才、12才、16才、18才

 この問題は、図で解く問題ではありません。論理で解く問題です。

 ①の発言は、一番上の姉の発言です。この姉には、16才になる弟ないし妹がいるということがわかります。

 ②の発言は、唯一の男の子です。この男の子には、12才の妹がいることがわかります。

 ③の発言は、もう一人の妹、一番下の妹です。7才になります。

 さて、これで①の16才は、弟とわかりました。だって、女は、年齢が16才よりは上の姉と、12才と7才の妹の3人なのですから。

 最後に、④の発言、これはいちばん上の姉の発言ですね。6才ちがいとなると、12才の妹のことですね。姉は18才ですね。

 以上で解説を終わります。

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◎指導が手詰まりとなれば指導は頓挫する

 竹の会というのは、レジュメのやりとりの頻度が高いほど指導の効果が出る、それもかなりに長足の伸びを見せることになる。これが本当のところかと思います。今年富士に受かった2名はほんとうによく出しました。一人はわたしに怒鳴られながら時には悔し泣きしながらもよく出してきました。二人とも不合格はんこばかりでしたが、くじけずによくついてきました。受かりたいという思いが精神をタフにしたのでしょうか。それともそれだけわたしのことを信頼してくれていたのでしょうか。ほんとうに不合格だらけのレジュメでした。課題もほんとうによく出してきました。ダメ出しされてもダメ出しされてももうわたしがへこたれるのではないかというほど出してきました。合格には合格するだけの理由が、隠された涙なしには語れない物語があったのです。他方落ちた子たち、入会試験にA合格し、模試でも上位をとったりした子たちですが、こういう子たちは、課題はほとんど出さなくなり、レジュメのやりとりもほとんどない、合格はんこをとることばかりに自尊心を発揮し出さない、ずっと出さないで何か月かが過ぎました。竹の会は「出さない」子には手詰まりです。これは正直な告白です。いいですか。竹の会では課題レジュメにしても、指導レジュメにしても、とにかく頻度頗る多しというくらいに出さなければだめです。竹の会で成功するにはわたしのレジュメに専念すればいいのです。連休のお休みに家庭でレジャーを楽しむ、盆正月の実家帰省、夏休み、春休みの家族旅行、キャンプ、合宿、行楽地、発表会、稽古事、習い事なんでもいい、とにかくなんでもいい、そのために竹の会のレジュメを遅らせる、それがじわじわと首を締めてくる。勉強というのは、時間の余裕などそもそもないのです。勉強の時間を削るなどということは少なくとも受検に成功したい考えているのならやってはならないのです。

 

 

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