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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、西、戸山、青山、新宿、駒場以上/小石川、桜修館は天才、九段、両国は秀才、富士、白鷗は凡才にもチャンスあり/わたしの手の内にあるか

2017.02.04

 2月に入り超多忙になり、自由時間が極端に減りました。体のこともあり、このままどこまで竹の会を続けられるのか、自信もなく、やや弱気になる日もあります。それにしても今日も朝からお日様が地上に気を放ち続けてくれます。明日は夕方から少し雨が降るようです。降水量は1㎜ということでたいしたことはないかと思います。

 子どもたちが私の手の内にあるという実感が大切なのだと思っています。それが指導がきちんと行き渡っているという実感にもつながるのだと思います。算数レジュメによる指導で大切なことは、できなかった問題、わたしの説明を聞いた問題についての対応です。ノートにまとめるくらいのことはしなくてどうするのか。そして何度も解き直しをやる、というのもあたりまえです。こういうことを地道にやっていないから、この前のレジュメ開始で手もつけられないということになる。ただ正解さえわかれば、それで終わり、先へ先へと進みたがるけれど、ひとつひとつの問題をしっかりと自分の頭で考えながら、つまり苦しみながら進めて行ったということでなければこれから先、未知の領域に遭遇する度にお手上げ、白旗を揚げることになる。

 課題にしてもまず管理ができていない、よくなくす、小分けにして提出する。出さなければ次の課題は永久に出ないからマイナスははかりしれないのに、他の子がどっさりと課題を出していても気にもしない。

 病気などやむを得ない理由で休むのはしかたない。よくある法事などもしかたないか。これに習い事、稽古事などにかかわる行事がどうなのか、家庭の私的行事はどうなのか、頻度にもよるのだと思うけれど、そのために指導が遅れるということは否定できない。習い事、稽古事、あるいはスポーツを優先させるのなら受検ないしは受験なとばしないほうがいいのではないか。よほどの実行力のある天才なら別であるけれど少なくともたいていの普通の人間には無理な相談なのではないか。

 わたしが合格を手の内にあると実感できるほどにわたしの手の内で指導が思うように進められる、コントロールできているなら、問題ない。勉強しないとか、できなかったことについていろいろ言い訳する親がいるけれどいくら言い訳したところで、それで合格できることはない。合格というのは勉強した者のみが手にすることができる。それだけである。法事で一週間勉強を休んでも、法事だからという理由で当局が合格にしましょ、ということはないのである。要は、絶対的な合格に必要とされるノルマをこなしたかどうか、それだけが重要なのである。

 少なくとも竹の会に合格をめざしてきたのなら、竹の会が必要として指示することをきちんとやらなければ合格をもたらすことなどできない相談でしょ。課題をきちんとやりあげて出す、Aがとれなかった答案については云われなくても解き直しをするのはあたりまえのことです。「式を書きなさい」「単位をつけなさい」という指示はいくら云ってもできない子が多いけれど、そういう子に限って未知の問題にすぐ詰まる。説明聞いたら、ノートにまとめるのはあたりまえのことでしょ。まったくその形跡のない子がいるけれどほんとうにできるようになりたいと思っているのか。「原稿用紙を使いなさい」というのは、字数感覚をつけるということもあるけれど、読みやすい字の練習である。普通に読んで読みとれない字を書いているのはおかしいのであり、受検よりもまず書道教室に行ったほうがいい。これも親の無策が原因であり、小1のときに「ゆっくりと丁寧に字を書く」ことをやってこなかったからです。ここは親が鬼になってやるべきこと、子をしつけるのと同列にとらえたほうがいい。この時期に公文なんかにやるともうたいていダメで、早く書くことばかりに気を取られて、字は自己流で崩し、字の体をなしてなく、いかにも悪字を体得してしまい、もはや修正の利かないことになっている。子どもの字の酷さはそうした親の関心のなさに原因がある。

 わたしの手の内からこぼれ落ちたのなら、早々に自主退塾されるのが賢明かと思う。わたしが「小石川に受かるほどの子は竹の会の入会試験でA合格以上、もちろん小4の早期の話し、取る必要がある」とこのブログで書いたということで、入会試験不合格であった子の親御さんが早々に自主退塾したということがありますが、賢明と云えば賢明です。ただ、「小石川に絶対に行きたいので他の方法を探す」ということには驚きました。それから「他の方法を探す」ということは結構なことですが、竹の会の指導がもたらす、いやもたらしてきた、これまでの輝かしい成果、実績というものが過小に評価されているということにもまた釈然としないものを感じました。竹の会の指導のほうが「他の方法」という何か、おそらく大手進学塾なのでしょうけれど、そういうものよりもよほどいいということは、一年後二年後にわかることです。かつて啓明社という塾に通い、桜蔭をめざして落ちた子が、竹の会にやってきて、竹の会で真の勉強というものに開眼していったという、竹の会ではいくらでもある成功の逸話など出すまでもなく、わたしにはそういう、竹の会の入会試験に合格もできないほどの子が、どうして大手に行くという選択をとるのか、それが小石川に行けることになるのか、到底理解できません。

 わたしの手の内からこぼれるというのは、課題を出さない、家庭学習がない、よく休む、早退遅刻が目立つ、といったことは当然ふくまれるとして、やはり一定の指導ノルマがこなせない、全く前へ進まない、という事態です。小5だとやはりそれなりの進度で「合格はんこ」をとりながら進めるというのが指導の条件になろうかと思います。

 竹の会では、教室では、決しておしゃべりをしたり、大声で罵り声を上げるとか、大声で笑うとか、したりしてはならないのです。指導時間中に勉強に専念できない、集中しないということであれば、これはすぐに退塾してもらうほかない、私から注意を受けたときにそれは自主退塾しろということなのだと理解してもらっていい。わたしの判断を仰ぐ必要はない。わたしが止めさせるのではなく自らの判断で止めてほしい。居眠りについては、前の日にテスト勉強したとか、運動会の練習とか、一概に責められない。ただそういう事情もないのにいつも居眠りするというのであれば即刻退塾してほしい。小6には度々居眠りをする子がいたけれど、直前ということで事を荒立てなかっただけで本来なら退塾事由です。

 いいですか。合格できるかどうかは、わたしに思い通りに思い通りの指導をやらせてもらえるかどうかなんです。子どもが「不調」だと感じたら、もう迷わずに竹の会は止めることです。ここでわたしに面談求めて相談なんかされても困ります。竹の会に入会するときに、ノーマルなら入会試験に合格して、わたしの指示を順調にこなしていきさえすればいいわけです。しかし、特に、小5の間は、親の方にも「まだ小5だから」という意識がきっとあるのでしょうが、わたしの意図している指導ができないことがよくあるわけです。親が何か言ってくる度にわたしは落胆しています。わたしの落胆と失意はそのまま合格から遠のくことへのわたしの落胆なのです。夏休みに、いろいろ事情があって勉強できなかったということをわたしに打ち明けられてもそれはそのまま不合格をもたらすことはあっても、それで合格になるという免罪符になることはないのです。要は、万難を排してやったかどうか、だけです。試験というのは、実行した者が勝つ、そういうことになっています。だからわたしは子どもや親たちに実行することのみを求めているのです。実行できなかった理由を伝えられたからといって、それでその理由がもっともなら合格になる、そういうことはないのです。

 わたしが、「夏は一日最低7時間やりなさい」と云えば、それは合格するにはそれだけ必要だという判断をしたのであり、それでもせいぜい4時間弱しか勉強しなかったというのであれば、それは落ちてもしかたのないことです。実行していないのですから。いいですか。実行というのは、模擬試験で上位にあったなどということとは関係ないことです。模試がよかったので、実行しなかったというのであれば、実行しなかったら落ちたのです。わたしはあなたたちに実行することを求めているのです。

 これから小5の諸君が11か月後に本番で成功するかどうか、合格できるかどうかは、すべてこれからの実行にかかっています。習い事、稽古事、その他で実行しない日があればあるほど合格は遠のく。わたしがやってほしいというノルマをこなせますか。わたしを失望させないで進められますか。

 いいですか。わたしに失望、失意、落胆させるような行動をとればそれは合格することはないということです。受検という選択をしたのなら実行するということはあたりまえのことです。

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