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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、西、戸山に照準/小石川、桜修館、九段にロック/現代人バカ狂想曲/椋の木

2016.09.22

 今日は本降りでしたね。また台風が発生したみたいですが、今年は8月まで台風なし、9月になって今度は多発の様相です。そろそろ秋風が吹き出したというのに台風とはそぐわない。いったいどうなっているのか。日本というのは、やはり四季が素晴らしい。いや四季に応じた自然のもたらす変化ですね、そういう中で日本人は竹馬の頃から自然の心を育んできたのだと思う。

 春の桜には実は東京に住みだして思いを馳せるようになったのが正直なところで、春はまず蕨(わらび)狩りだった。2月には土筆(つくし)だったか。みな夕食の食卓を彩った。小学生の頃は春になると必ず志高湖に蕨狩りに行った。ズタ袋にいっぱい詰め込んで背中に背負い薄暗くなった山道を家路を急いだ。いつも母と祖母がうれしそうに迎えてくれたものだった。蕨は味噌汁の具や煮付けに、土筆は煮付けにして食べた。秋は山芋(自然薯)掘りによく行った。芋掘り用のプロ仕様の道具というのがあったけれどついに買わないままに、ショベルとか、鍬とか、芋掘り用の鋭く尖った金棒なんかを使った。大分県の山香という山奥なんですが、阿部の本家の山々があってそこまで出かけた。クマと猪とか出るので要注意の山だった。雉を撃つ猟師の鉄砲の音が恐かったけど本家の山は大きな山芋が獲れた。赤土を1メートルも掘ればいい芋が獲れた。山芋はすり下ろしてすりこぎでこねる。だし汁を足しながらこねていく。すりこぎを回すのは腕が疲れて大変だけど、まず至上最高の味といっていいとろろ汁が食べられる。すまし汁にしても美味い。すり下ろしたものにポン酢をかけて醤油をたらして食べるのは最高だ。本物の山芋はやはり自ら山に入り掘るしかない。東京で暮らすようになって秋深まる頃、大分に住む弟がこの本物の自然薯を送ってくれるようになった。秋の深まる頃、弟とよく近くの山に出かけた。崖からせり出した椋の木の大木が甘い実をつけるのだ。弟が下で待つ。わたしは木によじ登り、崖から横に伸びた大きな枝にしがみつきながら実のたわわに成り下がる細い枝まで、命がけで近づいていった。崖の下は川だった。石がごろごろした川だった。落ちたら終わりだな、そう思ったから必死だった。袋に椋の実をいっぱい詰め込んでようやく下に降りていった、そういう記憶がある。別府の冬は寒かった。九州なのに寒かった。冬の果物は蜜柑だけ。蜜柑だけは叔父さんが蜜柑農家だったのでいつも食べられた。不揃いのみかんをよく届けてくれた。12月になると、餅つきである。近所の若い衆が一手に引き受けて餅つきを商売にしていた。もろぶた10箱くらいはついていた。九州は丸い餅だ。あとおかきといって薄く板状に切ったものを焼いて食べた。正月を過ぎるとその餅に青カビが生える。それを包丁で削りとって焼いた。かび臭い餅を食べた。今なら考えられないことだった。

 夏は別府湾の防波堤でよく魚釣りをした。投げ糸に針と鉛をつけて思い切り投げる、それから少しずつ引いていく、コチばかりかかった。いつかさよりの大群に出会い、ひっかけで面白いようにひっかけたことがあった。バケツいっぱいにとったさよりを持って帰ったら、ばぁちゃんがニコニコしながら料理してくれた。陸な釣り道具も持たないでいつも最低の道具だけで釣りをした。

 京都大学を受けたとき京都を訪れた。中学の修学旅行で京都を訪れて以来憧れた街だった。冬の京都しか知らない。当時の国立大学は一期校と二期校に分かれていて、二度チャンスがあった。一期校はたいてい3月の3、4、5日の3日間にわたって入試があった。中学のとき同級生に「九大に行きたい」と言ったら笑われた。高校になって「京大に行きたい」と思うようになった。日本に帝大ができた順は、東大、京大、九大、東北大の順だと思う。九大は最初京大の分校としてスタートした。東北大にも憧れた。同級生は2人が東大に行った。2人ともなぜか郷里で塾をやっていた。考えてみたら中学の時のクラスは12クラスあったと思うけど、わたしは3年8組で、学年でいちばんできないクラスと言われた。あの中で大学に行ったのは2人だけのように思う。55人いて2人だけ、みな高卒か中卒もいた。2人のうち1人がわたしでもうひとりはいつもわたしとクラスで1番を競った子で学年で2番をとったこともある秀才だった。早稲田の文に行った。

 秋が深まると京都の紅葉に憧れる。わたしの大学は福岡なのだが、もうずいぶんと訪れていない。博多の長浜の屋台のラーメン街にも行ってみたいと思っているけれど実現したことがない。

 ふと思い立ち、一晩だけでも京都の紅葉を見に行けたらこれほどの幸せはない。しかし、こういう仕事をしていると暇というものがない。一年中子どもたちから目が離せない。もうそういう生活を何年続けてきたことか。

◎現代人バカ狂想曲

 よく思うのは東京の人というのは、たいてい学校で失敗しているのではないか、ということです。かつて元代々木教室の時代には竹の会は高校受験専門でしたからとにかく中学生ばかりでした。当時塾にやってくるのはほとんどが中3からで中1から塾というのは少なかった。あるとき電話がありどこかの母親が突然「先生、うちの子は中1になったばかりなんですが、塾に行きたいと言うんです。わたしは塾は中3から行けばいい、と言うんですけど聞きません。先生はどう思いますか」。こういうバカがいたわけです。塾の先生に塾に行くのは早いと思いませんか、と言ってくる間抜けです。

 そういう時代だから偏差値38から始めて国学院久我山合格などという芸当を当時はやったわけです。奇跡の合格です。多いときには中3だけて20人以上いました。しかし、早慶や開成レベルになるとそういう奇跡は起こらない。やはり中1からきっちりと勉強していかなければだめです。当時はできない、バカ中学生というのがいくらでもいました。中学になっても勉強というものをやらないバカです。わたしが高校受験でも結局小学生、それも小4、小5から指導していかなければダメだ、という境地に達したのは渋谷教室で都立中受検の小学生を指導するようになってからです。それまで小学生というものを専門に指導したことはない。スポットで中学受験を指導することがあるくらいでした。わたしが本格的に小学生の指導を専門的に研究し始めたのは昭和17年あたりからではないでしょうか。もともとが高校入試が専門ですから、高校入試に成功するための分析を重ねる中から小4期からの指導が大切なのだということがわかってきたのです。

 そして小学生を募集し始めた。すると世の中の親というのが、なんの迷いもなく大手塾に子どもを入れるというのが風潮なのだということがわかるわけです。中学受験だと大手塾に入れたけれど落ちこぼれたというのが溢れていましたね。今は公立中高一貫校対策の大手塾というのが、駅前塾さながらに教室を展開している。それで地元の大手にみんな入る。迷いなく入る。大手に入れれば安心というのでしょうけど、わたしから言わせればただのバカです。だいたいそういう塾に通っている子どもでまともな子がどれだけいるのか、たいていはバカでしょ。それからわたしが前から言っていたことですけど、どこの塾にも行かない、自宅で勉強しているだけというのがまたたくさん棲息していますが、これもたいていはバカ化しています。

 子どもというのは訓練してなんぼなんだということがわかっていないのです。近くの大手に入れて安心するバカばかりです。わたしが診断してまともな小学生というのがどれだけいるのか。希少価値です。絶滅危惧種です。絶滅に追い込んでいるのは、ほかならぬバカ親群です。訓練しない子はただのバカです。これがそのまま中学生になるともう親の言うことなんか聞きません。反抗するだけです。それがバカの証明ということです。賢ければ素直さというものがある。もう高校になったら終わりです。バカが高校も無試験で行く。中途退学率の高い、単願で入れる、授業は中学低学年レベルの高校です。

 訓練しないからそういうことになる。訓練最適時期は小4です。この時期がいちばん親の言うことをきく。素直な時期です。訓練が頭にない親は教育というものをやらない。しつけだ。我慢させるということをしつけないのだ。それどころか、わがままを増長させる、がまんなんかしなくていいという無教育を無神経にやる。親が教育に怠惰なんです。過保護とか、過干渉とか、子どもをダメにすることばかりやっている。

 こういう親たちというのは、つまり大手に盲目に行く親というのは、自分の軸というのがない。他人の動向で自分の帰趨を決める。人がやるから自分もその真似をする。行列にはとにかく並ぶ傾向がある。判断しないのだ。みんな大手に行っているから、それだけです。バカというのは、不合理な判断をする類いです。大勢が集まる方になびくのが現代人です。判断の基準は最後はそこです。風潮で雰囲気で選挙するのが今のバカ層です。こういう人たちというのは、自分自身に特殊な価値というものを認めようしない人たちなのだと思います。自分が周囲の人々と価値観が同じあることに安心感というか、いや喜びを見出すのです。みんなが行く大手に行くことはほかでもない、安心だからです。みんなと同じことをやっているのが喜びでもあるわけです。

 なにかが流行ると同じことをやる、それでみんなと同じことをやっていると安心する、喜ぶわけです。まあ、食べ物屋なんかは行列が本物を言い当てていることはよくありますけどね。客のひとりもいない場末の食堂なんかに入るとはやり奇跡はない。家で食べたほうがよほどましだったということはよくある。こんなんでよく食堂なんかやれるなというのがよくある。だから大勢が集まるというのが、すべて間違いだとは言わない。みんながやっているのが実はアホだったというのももちろんあった。わたしはもう30年以上を塾で飯を食ってきた人間である。だから本物の塾というものがわかる。塾は知的サービスを商品にする世界である。美味しいかまずいかは食べてみればすぐわかるけど、目に見えない知的サービスでは、その判断は1年、2年やってみて、あるいは受検に失敗してみて初めてわかるしかない。特に、小4,小5でしくじったらもう取り返しがつかない。食べ物屋のようにもう行かないということでは終わらない。一生がかかっている。人生の運命を選択するかもしれないのだ。こういう問題に大勢が集まるということだけで決めて安心するというバカが多いのが現代バカ事情だ。バカはそのつけを自分で払う。子どもがバカ人生を送るということであれほど狂奔した子育ては終わる。これでバカ一巻の終わりである。

 

 

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