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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、西の道/九段、桜修館に受かる/合格を宿命づけられた塾

2016.08.22

 台風9号は館山に上陸後一気に北に向けて駆け抜けて行きました。いつも思うのはこういう自然の脅威襲来のときの判断です。果たしてお休みにしてよかったのか、いつもぎりぎりまで判断に迷います。竹の会のHPをみなさんが見てくださる、それでみなさんに伝わる、便利になりました。今日は一日残っていた準備を片づけていきました。そういえば19日には二人の中学生がいずれも39.2度の熱を出していたのですね。元気になったでしょうか。気になりながら、台風を心配し、子どもたちの竹の会までの行き帰りに事故のないことに気が飛びます。もう30年以上も塾をやっています。長い時間です。これだけやっていると子どもたちの事故も経験しています。バイクにはねられて命も危なかった女子中学生のこと、自転車で坂道を走っていたら突然停車中の車のドアが開き、激突した女子もいました。突然白血病で他界してしまった女子中学生もいました。お父さんが病死した子は2人もいました。平成何年のことだったか、竹の会の子どもたちにせがまれて高尾山に遠足に行ったこともありましたね。あのときはわたしの家族も参加して楽しかったですね。昭和から平成にかけての元代々木教室では合格の度にみんなが集まってよくいっしょに食事をしました。

 わたしの想い描いてきたもの、子どもたちが念願の学校に合格して、それはもううれしさを満面に浮かべて飛び立っていく、そんな光景が好きでした。平成20年に入ってからからは特に合格発表の日、早朝の掲示板にひとり立つこと、それを終わらなければわたしの仕事のけじめはつかない、と思うようになってきました。毎年のようにわたしは子どもたちの番号を見つけることができたのは幸運でした。平成24年は掲示板にはなかった、辛うじて翌日に繰り上がり合格をした。25年はその悔しさを胸に黙々と指導に打ち込んできた。小石川、白鷗と合格した、11月に受検を止めたはずの子が桜修館に合格もした。26年はすっかり油断してしまった。悔いの残る指導をしてしまった。作文をもっとやっておけばよかった、25年の指導モデルを踏襲しなかったことがさらに悔やまれた。3人が受けて全滅。うち2人は早稲田進学会で常に上位にいた。白鷗は補欠10番だった。これほど悔しかったことはなかった。桜修館の掲示板の前で初めて虚しさを味わった。トボトボと帰る道、どこをどう歩いていたか。あの日からわたしは掲示板の前に立つことがわたしの最後の仕事だということを、これがプロの厳しさだということをはっきりと自覚した。今度掲示板の前に立つときは、もう泣かない、心を突き刺すようなあの痛みはもういい、そう心に決めたのだ。

 26年の合格発表の日からわたしはよく帰りの夜道で涙が流れてきてとまらない、そういう日を送ってきた。竹の会は合格を宿命づけられた塾なのだと自覚した。竹の会にきて、わたしの指導を受けた子たちは合格しなければならないのだ、わたしはいつもそう反芻した。合格を宿命とする子は選ばなければならない。わたしは入会試験でA合格をとれる子が現れるのをいつも待っていたのだと思う。習い事、稽古事、実家帰省、さまざまな行事、部活、運動、そういうことを掲示板はみん映し出している、わたしはそう思う。掲示板から遠ざかる行動はしてはならない。わたしはただ掲示板の前に立ちほっと胸をなで下ろす、それだけが望みでした。今年の戸山の発表の日、早朝の掲示板に竹の会の子の番号を見つけたとき、わたしはようやく体から力抜けていくのを感じた、それから文京合格の電話を受けた、その時だった。体が力が一気に抜けたのは。あのとき文京に向かう、あの道はわたしには一年で一番満たされた日だった、そう思う。子どもたちの落ちてしょげる顔は見たくない。いつもわたしを信頼してくださったお母さんたちの喜びに満ちた顔がどれだけわたしには救いになったことか。

 竹の会は合格を宿命とした塾にちがいない。わたしはいつもそう思う、こんな小さな塾だけど、わたしが請け負った、わたしが指導した子は決して落ちてはならないのだと。わたしの心はいつも合格発表の掲示板の前にある。子どもたちの番号をそこに見つける、これがわたしの仕事だといつも思い知る。

 「先生、無神論者なのに、どうして竹の会の神様に祈るのですか」、中学生がわたしに軽口をたたく、そういう中学生も毎回お賽銭に五円入れて竹の会の神様に祈っている。そういえば、今年戸山に合格した子のお母さんが竹の会の神様にポンポンとやってくれた。文京のお母さまもそうだった。竹の会の神様、いつからか、覚えているのは、平成十年に早稲田実業に合格した鈴木君の席の真上に竹の会の神様が祀られていて、あの当時はみな一円玉ばかり入れるものだから箱からあふれて、いつか五円玉以上にしてくれとお願いした。千円を半分入れて引き上げたK君は落ちたっけ。竹の会の子たちはみんな祈るようになった。それが竹の会の神様です。無神論とかそんなことではない、自然の脅威に懼れ佇む、そしてただ祈るしかない、あのときのように、ただ祈るしかない、そういうことはあると思うのです。わたしだって毎日塾が終わった後、帰るときは、竹の会の神様に、「今日も一日ありがとうございました」と頭を下げて帰ります。それが日課になっています。それから指導室に飾った母の写真に「じゃ、母さん、帰ります、留守番お願いします」と声もかけますけどね。

 子どもたちが一生懸命に勉強してる姿というのは、竹の会の神様はじっと一部始終を見ていると思うのです。それからわたしが心からこの子には受かってほしい、と思わせることですね。勉強熱心で、素直で、指示にしたがい頑張る子、そういう子を見ていると、この子は受からせなければ、そう思うのです。いつも健気にこつこつ頑張っている。、そういう子がわたしの心を打ちますね。

 そういう子を見ていると、合格するのが宿命なのではないか、そう思ってしまいます。

 

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