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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、西を輩出すること/小石川を獲ること/小4から竹の会という竹の会の主張の証明

2016.12.31

 おはようございます。いつものように7時に目覚めました。いつもだと8時過ぎにはもう教室へ向かうのですが、今日は正直久しぶりに安らいでいます。一番うれしかったことはここ4年のうちに2度も30日夕刻から38度超の熱を出し9度近くのまま3日間寝たままで体を休めて回復を待ったということが、これほど過酷な日程にもかかわらずなかったことです。冬期に入ってから、体力に自信がありませんでしたので、それは慎重に生活しました。夜12時には寝る、これを心がけました。ブログの更新はあきらめました。「草枕」は2時間はかかります。それがわたしの血圧を上げる原因になっているのではないかと疑ってもいます。

 この1週間は読書もできませんでした。それもつらいことでしたが、子どもたちがこれほど熱心に竹の会にやってくる、嬉々としてやってくる、それに応える、応えなければならない、という思いが強くわたしを支えていたと思います。今では竹の会は東京23区から電車やバスに乗ってはるばる1時間前後もかけてやってくる子たちばかりです。そこまでしてやってくるだけの価値がなくてはとても塾としてもたない、それは真理です。竹の会が遠くからお子さんを通わせている親御さんたちの期待に応えてこそ竹の会の意味がある、常にそう考えて、研究を怠らず、努力を惜しまず、研鑽を重ねてきた、そういう自負があります。

 わたしには矜恃というものがあります。ですからわたしは竹の会にいつまでもいていただくことにそれほどのこだわりはありません。いや竹の会という塾が、うちの子には合わない、と思われたなら、躊躇なく竹の会を切り捨てていただきたい、と常々思ってきました。竹の会はいつも真剣勝負です。常に子どもたちの指導にそれは真摯に取り組んでいる、わたしはそう思っています。それでもわたしの指導に不満があるのであればどうかクレームや注文をつけるということではなくて、早々に退塾してください、そうするのが筋だと心得てきました。わたしには悲しいかな子どもがどの程度のものか見えてしまう、ただそれでも子どもは自分が「よくなろう」と必死です、健気に努力もしている、少なくともそんなとき手を差し伸べないわけにはいかない。それに竹の会がなんとかしてくれる、竹の会なら、もしかしたらなんとかなる、という親御さんの思いはわたしには十分に伝わってきます。親御さんの心情というものがわたしにはどうしても胸に突き刺さるのです。ですからわたしはうまくゆかないかもしれないと思いつつ、もしそのときはどうか親御さんの方から竹の会に見切りをつけていただきたい、竹の会から心優しい、素直ないい子たちを切ることなどわたしには辛くてとてもできそうにない。しかし、正直に「わたしにはもう打つ手がないのです」と告白しなければならない、そういう時がくるかもしれない、だからそうならないようにいろいろ考える、しかし、どうしてもだめなら早く、早めにお知らせしなければならない、いつもそういう葛藤に揺れています。

 竹の会は、27年間元代々木町という、渋谷とは言いながら、どの駅からも遠い、不便極まりない地で、地元密着型の塾として、細々とやってきました。平成20年あたりから、そういう不便な場所にもかかわらず、23区から子どもたちが通うようになりました。しかし、2011年の福島の原発事故の年には、塾の存続は危機にあったと思います。ちょうど満27年目のことでした。わたしはこの時からもういつ竹の会を止めることになってもいい、と思うようになりました。長い間、渋谷駅のそばにある塾が、ほとんどが大手でしたが、羨ましくてしかたありませんでした。竹の会が渋谷駅のそばにあったなら、といつも夢見てきました。それに竹の会の素晴らしさを、わたしがいくら訴えても、だれも信じてくれない、そういう半ばあきらめの気持ちもありました。27年の間に竹の会にきてくれた子たち、親御さんたちからは、それは最高の賛辞をいただいてきましたが、そのことが、だからといって、竹の会を知らない人たちにはなんの糧にもならない、そういうことを思い知らされてきたのです。竹の会がこんなにすばらしいんだよ、渋谷にはこんなにいい塾があるのにどうしてみんな振り向いてくれないの、気がついてくれないの、ずっとわたしは思い続けてきました。竹の会には大手のように資本をかけて広告する術はありません。だからわたしは細やかな、一縷の望みをかけて、「草枕」にわたしの思いを託したのです。

 多くの親たちが、不信に満ちて、竹の会という塾を見ていたことをわたしは肌で実感してきました。大手はいい、という視点で、竹の会を上から目線で見ている親たちが、竹の会にはよく見学に来ました。興味本位で、そんなに評判なら、一度見ておこう、そういう心理が透けて見えるほどに、言葉の端々は軽かった。国語のレジュメを手に、「あら、こんなのもあるのネ」と言った言葉から透けて見えたのは、揺るがない大手絶対の信仰心でした。わたしは竹の会が受け入れてもらえることの難しさを思いました。そしてあるときプツンと切れたのです。もういいか、そう思ったのです。生徒がこなければ竹の会は止める、いつでも止める、それに嫌な親、塾をメチャクチャにする子ども、そんな親子ならもうこないほうがいい、それで生徒がいなくなれば、その時は「止める」、いやもう元代々木教室が終わったとき、竹の会は「止める」と一度は決心していた、だったらもういつ止めてもいいはずではなかったか、わたしは塾の琴線に触れると判断した場合は、もう遠慮なく言う、退塾も告知する、そう決心したのです。元代々木教室時代も退塾はさせてきました。しかし、ギリギリまで我慢した。教室を勝手に歩いて他の子にちょっかいを出す、そういうことで退塾させたことはなかった。が、渋谷教室ではわたしは自分の理想を貫くことにした。静謐を害する子は即退塾を言い渡すことに躊躇はなくなった。渋谷教室は常に竹の会の理想を第一と考え、退塾を言い渡す、それで生徒がいなくなり、竹の会を続けられなくなる、それでかまわないと思っているから、迷いはない。

 去年(2015年)は、小4を募集したけれど来たのは、3月に小4が1人だけだった。小4の3月というのはもうすぐ小5です。小4の3月でも今でも遅いと思っている。しかし、小4の早くに竹の会に来てくれるという親はほとんどいなかった。たいていは大手を巡り巡って最後に竹の会に半信半疑で来る。小4に来た子は伸びる、それはわかっていた。平成23年に小石川に合格した男子は、小4の8月にきた。26年に都立駒場に合格した女子は、小4の5月から指導した。彼女は中2、中3と学年1番を通した。いや小4からきてすべてうまくゆくと言っているわけではない。知能の枷(かせ)があるからである。これだけはわたしにはどうにもできない。竹の会が入会試験をするのはわたしが指導できない子が「いる」ということだ。多くのが親御さんは、たいてい、小5前後に竹の会に来る。たいていはそれまで大手に行っている。いやそういう親御さんばかりではない。小5前後が、受検の準備を始める時期だと考えている親御さんが多いということである。中には小6からという親もいる。小6前後に竹の会に問い合わせてくる、という親もそれなりにいた。渋谷教室は生徒がいつもガランとしていたので、しかたなくそういう子も入れてきたけれど、本音は、小4の8月前後にきてくれればそれがいちばんいい。

 竹の会には、全くの無垢の子を思考する子どもに仕上げてく手順が完成して久しい。わたしは平成20年の8月に品川区からきた小4を通分から始めてその年の冬には高度の割合を理解させるまでに育てた経験があった。21年5年生となったその子は6年生と同じカリキュラムで5年生の1年を過ごした。22年に桜修館に合格した杉山太一君が、21年に竹の会に通っていた時期、その子は小5でありながら、杉山君を凌いだ。小6の1年間は焦りもなくゆとりに満ちた1年であった。23年小石川合格。元代々木教室の頃の話しである。その後竹の会に小4から来た子はいない。

 わたしは、どうか、ぜひ、小4の8月までに竹の会に来てほしい、と今は心からお願いしています。小4から竹の会に来た子たちが、絵に描いたように伸びていく、小5から来た子たちのやっていたことを小4の段階ですいすい終わらせていく、小5の子たちはそのことをひしひしと実感していることでしょう。そうなんです。わたしがほんとうにやりたかったのは、小4から指導して仕上げていくことだったんです。でも現実にはそれをさせてくれる親はいない。たいていは受検はまだ先のこと、小4ではもっとほかのことをやらせたい、いや塾は大手で十分、そういう親御さんばかりです。だから小4から竹の会でなどという親は皆無でした。小4の大切さというものがわたしにはかけがえのないものとわかっています。その希少価値の時代を竹の会に託してくれる親はいない、だから小4から竹の会を選んで下さった親御さんにはほんとうにありがたいと頭を下げるばかりです。竹の会の指導の妙味を知っていただければこんな喜びはない。竹の会の指導というものが、他の巷の塾などとは全く違う、的を射た、かゆいところに手が届く、いやなによりも子どもが心から勉強というものに目覚めて、その面白さに引きつけられていく過程を絵に描いたように実体験していく、次の手順を夢中で追うようになる、そして気がつけば勉強というものを学んでゆく、勉強というものがどういうものかを学んでゆく、そしていつしか勉強というものが孤独な思考の深淵にあるものだと悟る時がくる、そのときには竹の会の役目は終わる、竹の会という塾がそのときにわかる、そいう塾です。

 小4の親御さんには、竹の会という塾の凄さを実感されている方もいるかもしれない。わたしは多くの小4の親御さんが少なくとも小4の8月までには竹の会を選ばれることを願っております。ただこれはほんとうにわたしにもわからないのですが、竹の会がこれから1年、2年「ある」のかわからない。わたしの年齢、体力が続くかわからないからです。今竹の会に出会えなかったらもう出会うこともない。そうしたら竹の会という塾の真実を知らないままに、世の中には、竹の会という、多くの人たちが知らなかった、塾がある、そういうことも知らないままに、過ぎ去ってゆく。

 子どもたちの指導に追われながらも、いつも考えていることがあります。いつも次の一手です。例えば、英語です。竹の会の中3がいつも日比谷や西の英語を解く段になってどうもよくない。ひとつにはわたしが中2の段階でやるように指示した英文読解用の書物をほとんどやらない、ことにあったことはわかっています。平成10年に早実高校に受かった鈴木君は、中2の時、英文集を訳すことに熱中しております。これが早実の英語7割をとる原動力になっていたことは疑いありません。以来わたしは中2の時期に有用な英文読解書を探し求めてきましたが、ないのです。だから今も探しています。難し過ぎず易しすぎずです。今も何冊か候補はあるのですが、わかっているのは、5文型思考を身につけさせなければということだけです。

 適性対策についても、これまでとは違った視点からまたレジュメを執筆したい、そう考えて、いろいろと思案しております。今は、「割合」導入段階における新しい指導法の工夫をよくしています。子どもたちの指導を通して、子どもたちがよく間違うところをいろいろ分析して、なぜここで間違うのかをよく追求します。そしてそういう子どもたちの誤解、勘違い、理解の限界というものをふまえた指導手順をレジュメ化しなければと思っています。子どもたちには、「1の魔法」をどう教えるか、こればかりを考えております。「1」というのは不思議な数ですね。割合というのは、なんと自らを「1」にして、なんと他をすべて自分のかけた呪文で同じ割合で縮小してしまう魔法なんですね。それでわたしは思ったわけです。小3や小4にこの魔法を理解させることにしたのです。だから今はいつもこれまでのわたしの教えた理屈を魔法語で言いかえたらどうなるのか、そんなことばかり考えています。

 もう1年が経ってしまいました。今年もわたしはなんとか生きながらえることができました。わたしは子どもたちが、竹の会の子どもたちが大好きなんです。子どもたちの「わかった」ときの笑顔が、「できた」ときに見せる笑顔が、救いです。そういうときの笑顔がこんなにも心を軽くしてくれるのだ、ということをほんとうによく思います。

 竹の会の子たちはみんな「竹の会が大好きだ」と言ってくれます。はっきりと声に出して言わないけれどわたしには聞こえてくるのです。今年もありがとうございました。今日は久しぶりに「草枕」を更新できました。ほんとの束の間のお休みですけれど、わたしにはとても大切な安らぎの時間です。

 今日は、疲れから熱を出すこともなく、青い空を見上げることができます。ありがとうございます。

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