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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷、西必勝への道/小石川、桜修館の道/九段の攻略/高校入試を知り尽くした竹の会の戦略

2016.10.18

 今日は遅くなりました。これからブログの更新が大変であろうと思いつつ、ようやくできたすき間時間にブログを書くと言っても、「草枕」一編を書くのに2時間前後かかることもあり、それに書き終わると、次の仕事に移るまでの回復時間も考えなければならず、その日の仕事が多ければあきらめることもあります。

 今、渋谷Bについて、来年2月からの改編を進めております。渋谷Bは渋谷Aに比べて指導時間が絶対的に少ないのがデメリットでした。その関係で渋谷Bの立ち位置もなかなか定まらずにきたところがあります。部活の関係で渋谷Bでなければ通えないという人、入会試験に落ちたけれど特例として入室許可をした人、渋谷Aの空席を待つ人など多種多様です。

 2017年からは、渋谷Aとは全く独立したコースとして、渋谷Bをスタートさせることにしています。問題の絶対時間数についても、指導日を増やすことで改善をはかることになりました。

 指導日の増加 月・木・金の平日(祭日を除く趣旨) 指導時間 17時~20時 ただし、開始30分前入室可

 趣旨 祭日に重なるときはお休みとします。本来2時間指導のところを3時間に延長して祭日分をカバーしたという制度設定です。

 費用 渋谷Aと同じになります。

 入室資格 入会試験において準合格、またはこれに準ずる程度の力を備えると判定された者

 以上の改編にともなって、渋谷Aの入室資格が厳しくなります。これまでのように準合格では入室できません。渋谷Aは、入会試験に「合格」(6問中4問以上正解)することが入室条件となります。さらに、渋谷Aの指導に耐えられないと判断されたときは、当然に退塾となる、ことも予めご承知おきください。渋谷Aの入室は、小4からとし、小3については、小4時に渋谷A入室を希望する場合は、改めて入室試験を受けてもらいます。

 渋谷A、渋谷Bに共通の了解事項として、これ以上の指導をしても前に進めるのは困難という状況に直面した場合、率直に退塾とすることにご同意ください。

 また、渋谷Aについては、塾のかけもちをすることも禁止してきました。さまざまな弊害(課題の遅れ・竹の会の定番の7回解き直しができない、など総じて竹の会の指導が不完全燃焼する)があるからです。またさまざまな習い事、稽古事で指導困難とされる懼れがあり、習い事、稽古事で忙しい人は渋谷Aに入室を希望するべきではなく、予めわかっていれば入室はお断りします。なお、渋谷Bにはこのような制限はありません。比較的緩やかな指導環境を想定しております。

 ◎これだけの資料があるのに高校受験を募集してこなかったこと

 渋谷教室は2012年の5月6日にスタートしました。平成10年早実合格の鈴木君がお祝いにかけつけてくれましたが、その時、「先生、高校入試やらないんですか、竹の会にはいい教材がたくさんあるのにこのまま埋もれさせておくのはもったいないんじゃないですか」、そういう趣旨のことを言われたと思います。確かに、わたしは昭和60年からずっと高校入試一筋できましたので高校入試についてはかなりの自信をもっていましたし、竹の会には豊富な資料が眠っていることも確かでした。しかし、平成十年代の後半は、公立中学の学習不振児の蔓延、都立高校の凋落の時であり、かなり嫌気がさしていたと思います。遂に、中学生の指導を止めたのです。来るのはバカばかりでした。とはいっても小学時代から竹の会で指導した子が、1名ないし2名ほどいる、ということはあったわけです。それで私立中学はもうサピとか、早稲アカとか、日能研などの独占市場ですし、竹の会が活路を拓くのは都立中高一貫校しかない、それでその専門塾として研究を開始したのです。しかし、渋谷教室に移転後もどうしても生徒が集まらない、みな大手大手へと行ってしまうのです。世の中の親たちが竹の会を認めるにはそのバカさ加減を考えるとほとんどなかったのです。辛うじて良識のある、常識のある、健全な思考をもたれている親御さんという方がいまして、そういう人たちが竹の会に目を留めてくれたのです。しかし、そういう人はほんとうに少数であり、ほとんどの親たちがみな大手を信用し、大手に流れこんでいきました。そして竹の会を認めてくれた少数の人たちが竹の会を宣伝するということも決してなかったのです。「こんないい塾はだれにも教えない」ということのようです。ですから、去年などは小4がひとりも来なかった。塾としては壊滅的状況でした。さしたる宣伝方法もなく、竹の会は風前の灯火でした。それで去年の10月から高校受験を再開したのです。ただし、以前と違って、トップ都立受験の生徒しか相手にしないこととしました。こうしてこれまで竹の会でずっと長い間眠り続けていた、数々のわたしの著作品が日の目を見る運びとなったのです。

 ◎東京の渋谷駅の近くに「こんないい塾があるんだよ」と23区のみなさんに噂されるような塾になりたい

 かつて竹の会は渋谷区の元代々木町にありました。場所としては最悪の立地だったと思います。とにかく渋谷駅からバスで20分前後、小田急線なら10分、等々とにかく駅から遠いわけです。それでも平成二十年代には、新宿区や杉並区、目黒区、町田市などから来てくれた人もたくさんいました。あの不便な交通事情の中、よく通ってくれたと思います。かつては地元中学密着型の塾でしたが、しだいに広がったのは、当時執筆していた「塾長日記」のおかげでした。後に「草枕」となる、その前身の作品です。長い間の夢でした。竹の会が渋谷駅の近くにあることを夢見てきました。ほとんど叶わぬ夢と思っていました。大手のように大資本を投じて渋谷の駅近くのビルを借りるなどということは不可能です。ほとんどあきらめかけていた夢、その夢が現実となったのです。竹の会は渋谷駅のそばに移転することができたのです。しかし、またまた大きな壁が立ちはだかるのです。大手の壁です。いや大手を無条件に信用する、世間の親たちの壁です。この人たちはまずとにかく自分の子どもを大手に入れる、まず迷わずそうします、そうして1年、2年かけて自らの選択の失敗に気づけばましでたいていはまた大手に騙されるおめでたい親たちです。これは強敵でした。広告では規模もかける資本もとても大手には勝てない。「みんな」大手に行くから行くというバカ親ばかりでした。大きいからいいというバカ親ばかりでした。こういう親たちが結局失敗し、子どもは区立中学へ行くことになる、それで部活で勉強しないというバカ息子、バカ娘が陸なことにならないわけで、バカ高校へ行く、そういうバカがバカ道を集団移動をしているだけということですが、とても竹の会には太刀打ちできません。

 わたしはほとんどあきらめていました。ただ東京の心ある人たちのだれでもいい、竹の会が目にとまり、いつしかそういう人たちの噂に上り、竹の会という塾が23区のみなさんに知れ渡ること、そのことを願ってきました。ずっと夢でした。「渋谷駅のそばにこんないい塾があるんだよ」、こんな噂がわたしの知らないところで交わされるようになったらどんなにいいだろう、ずっとずっと夢見てきました。

  

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