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日比谷を獲るということ/小石川を獲るということ/呪文

2017.01.01

 無事2017年を迎えることができましたことにまず感謝したいと思います。2017という数を改めて見て実は驚いています。なんとわたしが九州大学法学部法律学科を受験したときの受験番号が2017だったのです。実はわたしの誕生日が7月17日でして、何か不思議な、確率的偶然というのは常にそうしたものでしょうが、憧れにも似た感覚が脳内を一閃したように感じております。

 このところの研究テーマは、このような不思議ということにおいてたちまちのうちに思考停止してしまう、いやとにかく受け入れてしまう人間の、ほとんど本能的な習性についてです。わたしたちは、手品とは違う魔法の世界というものを、幼い頃から物語を通じて獲得してきたと思います。手品なら必ずタネがある、しかし、魔法はただ呪文を唱えるだけでたちまちのうちに世界を変えてしまう。しかし、長じていくうちに現実世界と空想の世界を分ける、分けていく、それが分別ということにもなる。ただ世の中にはUFを見たとか、宇宙人と交信したなどという大人がまじめな顔をしてその体験を語っているように、この空想世界をどうしても現実にしなければ気の済まない、理解し難い人たちもいます。二束三文の壺を幸運をもたらす壺と信じて何十万もカネを出して買う人もいる。信仰という、人の弱いところを突いてカネを巻き上げる悪い奴も出てくる。何かを信じなければとても自分を維持できない、そういう人がいるから、こういう商法はいつの世にも成り立つ、ことになる。信仰という契機なんかなくても、人の弱いところを知っている悪人どもはオレオレ詐欺という悪知恵をはたらかせて善人からカネを巻き上げる、古来悪人が悪知恵をはたらかせて善人からカネを騙し取る構図はなにも変わらない。考えてみれば、国なんかもなにかと悪知恵をはたらかせて、税目をでっちあげ、国民からカネを巻き上げるのだから、やってることは変わらない。いやむしろ法律という建前で強制的に搾取するのだから国の方がよほど始末が悪い。

 悪い奴と言えば、悪知恵をはたらかせてカネを巻き上げるということでは、始末の悪い社会になってしまったもので、そういう人間に薬を作らせたらどうなるか、だれでもわかりそうなものであるが、これは厚労省というところが所管して差配し、この悪知恵に加担することになっているから、国民は抗うこともできないしくみになっている。医師は医学部に入れさえすればもう後は悪知恵をはたらかすことに長けているものが富を得るしくみと観念されてしまう。こういう医師が増殖したらどうなるかは自明である。製薬会社の悪知恵のままに動かされることは目に見えている。何億もする医療機械を購入して医師が開業すればローンの支払いが目的になり患者はカネをもたらすカモにしか見えなくなってしまう。高価な薬をいくらでも処方する、必要もないのに、いやそもそもそんな薬が効くという根拠もないのに製薬会社のでっち上げたデータを信用もしていないはずの医師がその悪知恵に乗るという構図ができあがっている。

 石原が知事のとき週1回とか2回登庁して2、3時間勤務してそそくさと公用車で自宅に帰っていたという話しは都民ならだれでも知っていたはずである。そんなことでどれだけまともな仕事ができたのか、考えてみればだれでもわかることである。周りの腹心がすべて仕切ることになる。続いて知事になった猪瀬も桝添も知らぬ顔の半兵衛を決め込んで悪知恵に加担しているのだから始末に負えない。

 電気は足りても原発再稼働は絶対動かせない、という悪知恵の中身が知りたいものである。そもそも日本の政策はたいていアメリカの意志を反映したものでしかない。国民本位、日本本位というのは、悪知恵を覆い隠す建前に過ぎないことは賢明な人ならだれでも知っていることである。御用新聞の読売はお話にならないが、朝日がジャーナリズムとしての矜恃を建前とするようになっては、新聞はもう終焉を覚悟しなければなるまい。小保方さんは新聞、週刊誌、テレビにボコボコにされたが、あれはまるで現代の悪魔狩りですね。テレビは今やお上のご機嫌ばかり伺って当たり障りのない情報しか流さない。テレビに出れるのは体制に無批判な人間に限られる。ロシアや北朝鮮、中国ならいざ知らずと言いたいところだが、戦後60年以上経ってもファシズムはシロアリの如く国家に巣くう、悪知恵の収斂する点のようにも思える。

 さて今日はこのような由無し事を書くつもりではなかった。魔法という言葉にわたしは割合を始めとした指導方法に光明をもたらす何かを感じた、それでなんとかこの魔法という思考操作の方法を指導に行かせないかと思案してきた、そういうことを書きたかったのである。魔法には呪文がつきものである。呪文と言えば、日本にも平安の頃、陰陽師という者がいてお祓い、つまりは呪文を唱えて悪霊を退散させた、そう信じられていた時代がありました。わたしは指導という技術を追求する中において、「わかる」ということの本質を問い続けてきましたが、人間に欠けている、いや実は決定的に大切なものでありながらそうとは認識していないもの、それが呪文なのではないか、と最近思うようになりました。呪文であるから根拠は要らない。よくわたしたちは、定義というものを学びますが、この定義というものを軽視する人がとにかく多い。数学のできない生徒に定義を問うとたいていは答えられない。定義はよくできている。簡潔で抽象的な表現の極致美を体現している。これはもう魔法の呪文のように暗記してしまうしかないのである。そうである、呪文とはよくよく考えてみなければならない。現実世界では、この呪文で解決できるのにわたしたちはあれやこれやと悩んできたのではないか。子どもたちに指導するとき、わたしはこの呪文というものの効用を最近はよく考える。

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 竹の会塾長 

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