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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西こそ/小石川・桜修館への道/東京というバカ生息地

2016.09.05

 おはようございます。関東地方は本日は好天気に恵まれました。9月という月はさめやらぬ夏の名残に早く別れを告げたくて秋の清涼な空気を待ち望んでいるようなところがあります。初秋にはまだ青い蜜柑が出始めて次第に柿色に色づく頃、種なしの柿がスーパーに並び始めます。わたしは蜜柑も好きですが秋の前半を彩る種なし柿がまた大好きです。夏イコール西瓜でしたが、いや我が家はわたしが西瓜が好きなもので毎日欠かさず食べてきましたが、秋には秋の果物がまたあるものですね。

 子どもの頃、食べた柿は今のように美味しくはなかったように思います。渋柿が多くてかじるととにかく舌が渋みに染まる。実家の裏の畑には富有柿の大きな木があり、1年おきにたわわに実がしな垂れる光景が繰り返されたものです。その実は大きかったけれど今のように美味くはなかったと思います。品種改良ということでしょうか。

 さて、今日から「渋谷B」の指導が始まります。「渋谷B」は予定定数10名としておりますが、現在はガランとしております。「渋谷B」も最初は2012年9月の始まりだったと思うのですが、「渋谷A」と同格でした。需要がなく12月には、廃止しましたが、2年半後の去年の10月に換骨奪胎して復活しました。新「渋谷B」は、月・金指導にこだわり、祭日にかかる場合は休みとして、その分月金の時間を長くして対応しております。指導にかける時間が短いために、「渋谷A」のような指導にたっぷり時間をかけられるコースではそもそもないことから、家庭学習をかなりやらないと効果が出にくい仕様となっております。とは言いましても、「渋谷A」の生徒も当然に家庭学習が求められますから、家庭学習の差はない、するとやはり指導時間の差というものが効いてくる、そういうことは漠然とではありますが、わたしの中にはあります。

 渋谷Bに入室する生徒というのは、入会試験には合格したが、渋谷Aに空席がないために、空席を待つ待機組、入会試験には不合格となるも入会許可を得た組(ただし、この特例は今後はない。またこれに該当する生徒は現在のところ2名のみです。特例組に限らないことなのですが、特例組の生徒について勉強姿勢なしと判断したため退塾を告知しています)、特に小学低学年については、幼さから長時間の指導に耐えられないためにBで慣れるという事例、それから部活のために土日は無理という中学生など、区々です。

 注意的に触れておきますが、「退塾告知」の「告知」という言葉は法律用語です。民法では、契約解除の意思表示とされております。さらに法律的なことで恐縮なのですが、一方的な告知というのは、入会に際して「指導を継続し難い事情のある場合には指導契約を解除できる」と予め同意いただいていることから、認められることとして対応しております。

 竹の会において「指導を継続し難い事情」というのは、ひとつは「能力的に無理」と判断した場合があります。入会試験に合格していてもA合格、あるいはそれに準じる合格をしていない場合には、時として、そういう事例も出て参ります。もうひつとは、迷惑行為をやる子の場合です。静かに勉強に集中できないというのは、いくら能力があっても不可です。

 このふたつ以外では、やたら席から離れて指導室で順番待ちと称して時間を潰す子というのがいまして、去年の小6の中に複数いました。勉強になかなか集中しきれないという点では同じですが、これらの生徒は他人や周りへの迷惑行為というものは「ない」わけです。こうした子たちを退塾にするかというのも悩むところですが、実は今年合格した2名はこのケースの子たちでした。去年の小6については、指導日に強制的に作文試験、適性試験を実施してきまして、その効果がかなり大きかったと認識しております。

 竹の会の指導というものを実際に体験した人たちがいまして、特殊な例外、たとえば遠方の地に在住するとか、稽古事のレッスンで連日潰すとか、そういう人たちでない限り、体験者の声は、みな一様に竹の会の指導というものに驚異をもってその効果を実感しているように推測されます。竹の会では、すでに今冬の講習の策定にとりかかっておりますが、竹の会を実際に体験していただくための企画を検討しております。わたしはよく思うのですが、わたしの想定している子ならわたしの指導を受ければ、それこそまるで絵に描いたような成績というか、思考力上昇曲線を描いて伸びていくであろう、それはわたしの中ではほぼ確信に近い、指導技術としてあるわけですが、わたしがかつて学校説明会でチラシを配付したときに無視したり、受け取りはしてもゴミ箱直行という親たちには到底わかるはずもないことで、ごく少数の竹の会という小塾の心の叫びを真摯に汲み取った一部の親御さんのみが竹の会の真実に邂逅し、その真価に触れることができたのだ、とわたしは感謝するとともに、その幸いなる結果をもたらすことができましたことを喜んでもいます。

 わたしには巷の塾が無駄に思えてしかたない。そしていわゆる大手と言われる塾がまた子どもというものを、一部の自立心旺盛な天才は別として、完全にバカにする、そう信じて疑わない。そもそも退塾させない塾はだめです。子どもや親に阿る塾はだめです。塾にコンセプトがない、ただ場当たり的に「教える」ことをやるだけ、そういう塾に当たったらカモにされて終わりです。人柄とか、人格というものはもちろん大切です。講師の先生が「人柄がいい」のは結構なことです。しかし、親は子どもを人柄のいい先生に託して何をしてもらいたいのか、そこでしょ。ただテキストの目次にしたがって、項目を形式的に「授業」し、子どもはそれをノートにとり、復習し、予習し、確認テストを受けて成績のよかったことを喜び、いい先生がいつも気を遣ってくれて、阿ってくれる、そういう気分のいい「場」に慣れて、気がついたらりっぱなバカになっていた、そういうことではないのか。かつて某大手に小4から通わせているという母親が「今の塾に不満はない。授業がわからないということもない。確認テストの成績もいい」といみじくも申し述べておりましたが、それならなぜ竹の会に見学にきたのか、そこのところの整合性はおいておくとして、この母親には自分が自分の子をバカにするために3年かけて仕上げていることを知る由もなかったわけである。

 どこの塾に行っていようが、あるいは塾なしという子もふくめて、結局竹の会で検証する機会のあった子たちで、まともな子というものにほとんど出会ったことがない。中には大手に2年なり通ったという子もいたりして、力をチェックしたら、まるでアホということも今では珍しいことではなくなった。竹の会なら一月でも通えばその効果は歴然としたかたちで現れてくるのに。世の中というのはおかしなものである。子も自分が通っていてそのことが実際どうなのかという感じることもなく、ただ大手に通っている、それだけで満足し、親は親で子どもがなにも文句なくいやむしろ嬉々として通っていることに安心している。こういうバカが棲息する、東京というのは、不可解な街である。騙された本人たちにその自覚がないのである。

 いいですか。簡単な理屈です。易しいテキスト、優しい講師、わかりやすい授業、完備された教室、そしてなによりもバカ親やバカ息子、バカ娘が飛びつく「みんなが通っている」という絶対動機、これだけそろえば十分です。いやバカになるには十分という意味です。

 いいですか。人間というのは、出来レースの上で転がされても本物になんかなれるわけがないのです。いつも試練の中に身を置く、そして生存を賭けて生き残るために戦う、塾ならば、難しい問題に挑戦し、だれからの助けも受けないで、自分で克服する、乗り越える、そういう過程がタフな精神を醸してゆくのです。厳しい環境に晒されてこそタフな精神が育つということです。だから簡単な理屈と言っているのです。

 そもそも塾などといい、勝手に「教えてもらいなんぼ」などと考えているところがバカ親の真骨頂なわけです。自らの子どもを鍛えないでどうするのですか、訓練に訓練を重ねて練り上げていく、これでしょ。よく家庭で勉強していたという子にありがちなのですが、とにかく訓練というものを知らないわけです。自分でやるというのは、甘やかされている、どうやろうと自由、これは訓練とはまるで背馳することです。

 子どもは訓練していかなければダメです。鍛えるのです。といってもまたまたどこかのバカ塾のようにスパルタ式にやるのが訓練だなどと単細胞な頭で思い違いされては困るわけです。脳みそが筋肉化している体育系の人間が世間ではまた人を騙す構図です。

 竹の会のいう訓練、鍛えるということの実際はそんなものではないことは多くの竹の会を信頼してくださる親御さんにはすでにあたりまえなほどにわかっていられることですが、世間のみなさんにはわかりませんよね。うまくまた説明できる機会があればと思います。

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