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日比谷・西への道/小石川中等への道/死の遺伝子が機能しなくなる事態

2017.06.27

 おはようございます。最近はアマゾンで買った木の枕おかげでよく眠れます。枕本来の用法ではなく背中や体のあちこちの痛むところににあてて寝るのですがなかなかいい。最近は膝の状態もかなりよくなりました。これは某会社のサプリをのんでいるからなのだろうか、確証はありません。先日の食あたりをきっかけにした血液検査の結果がひどくて一念発起して食事制限を続けておりますが、8月末に再度血液検査をしてみたいと思います。

 今日はぐずついた天気のようですが、湿気を含んだ空気もベランダから流れこめば冷たく気持ちいいほどです。午前中は雑用に追われそうです。午後から少し歩く予定です。指導準備のための仕事は夕方から頑張ります。体重が減ればまた生きる道も見つかるかもしれません。

 わたしはよく「渋谷B」の子たちには「勉強に情熱がないのなら早々に塾を止めなさい」と言っています。計算から始めて割合へと進む過程はかなりのハードルの連続でしょう。特に、割合の最初はいろいろと「わからなくて」悩むことも多いと思います。「わからない」から手遊びをする、なにもしないで過ごす、こういう状況が続けばこれはもう退塾したほうがいいのかもしれない。いやまだ立ち直ることはできるかもしれない。しかし、そのまま潰れることも大いにありうる。昨日は「渋谷B」の指導日でしたが、割合指導に入ったのに突然簡単な小数の計算ができない、すっかり忘れている、そういう子がいましたが、これは「渋谷A」ではまずないことです。突然すっかり忘れて先祖返りする、これはやはり能力的なものからきます。「渋谷A」には仮合格の子が多い。だから指導はたびたび頓挫する。積み重ねというのができないのだ。

 小6でも割合指導過程の第5レジュメ集「小学思考の素 その他の問題編」に進まないままに適性レジュメ指導に入った子だとどうしても「合格はんこ」をとりながら進めるということができない。「合格はんこ」をほとんどとれないで合格した例はあります。28年富士と白鷗の合格がそれです。が、その合格者にしても「その他編」は終わっていたし、「合格はんこ」もたまにはとった。さらには、7回解き直しもしっかりやった。

 落ちる徴表というのはあります。「合格はんこ」がとれない、時間がかかりすぎる、この2つです。特に、小石川や桜修館は難しい。Aには今年は桜修館志望者が4人もいますが、「合格はんこ」がとれない状況が続けば志望校変更を指示することにしております。28年に4人が小石川を受けましたが、3人が落ちている。この3人はもし両国にしていたらまず全員合格していたと思います。そのうち1名については、適性Ⅱ・Ⅲでは合格した1人よりはるかに高得点を取っていたのです。つまり作文で落ちたのです。ちなみにこの4人はみな早稲田進学会の模試では上位にいました。いろいろ反省すべき点はありますが、やはり夏の勉強量が絶対的に足りなかった。これは勉強の足腰です。夏しっかり鍛えておくことが秋の飛躍につながるのです。

 今年も小6には夏は最低でも1日7時間を指示しています。言うは易しです。ほとんどの子が実行できないのが現実です。28年には2人だけがこれを成し遂げました。一人は小石川に合格し、一人は九段に合格しました。竹の会では秘蔵のレジュメをふんだんに出す予定です。ただし、「合格はんこ」をとりながら進められるか、が要であり、「不合格 理解済み」のはんこが重なれば志望校は変更するにしくはない。

 話しはまた「渋谷B」に戻りますが、渋谷Bには仮合格者と不合格者(去年の夏から秋の特例入会)が占める割合が高いということで、普段の指導はかなり指導する側がどこまでの指導が可能なのか、ぎりぎりの指導の限界が問われている、ということがあります。指導が順調に前へ進められないときがいつか来たらその時に指導は打ち切りになる、そういう覚悟は常にあり、わたしは指導に全力を尽くしてそういう事態にならないように真剣に、ほんとうに真剣勝負の連続で渋谷Bのあった日はぐったりと疲れます。小6についても、「合格はんこ」をとりながら進められない、つまりは自力走行ができない、そういう事態が続くと「このまま指導を続けていいものか」と悩むことが多いのです。子どもたちの純真な思いというものを考えると正直悩みは深い。

 よく親御さんから子どもさんのようすを尋ねる内容のメールがありますが、いちばんいいのは指導レジュメに「合格はんこ」があるかどうか、を見れば一目瞭然です。順調に進められている子というのは、つまり自力走行できている子というのは、それは「不合格はんこ」もありますが、どちらかという「合格はんこ」が先行しているものです。ほとんど「不合格はんこ」ばかりとか、はんこなし(これは不合格はんこを押してないだけで不合格です)だと自力走行できていない、と見ていい、と思います。

 入会試験の「仮合格」者・「不合格」者については、この夏がひとつのヤマなのかな、と思っております。また合格者についても、勉強に情熱を失ったという兆候が見えればこれは退塾の事由になるのはもちろんです。竹の会では、勉強の進捗ということに重きを置いていますが、同時に建物や教室を大切に使っていただくことも重視しております。

 昨日のことですが、エレベーターの内側の扉の金属部分にひっかき傷のようなものがあると子どもに指摘されましてドキッとしましたが、位置からしてどうも幼児のようです。子どもたちが出入りしていますと、何かあればまず竹の会が疑われます。どうか建物内では走らずに静かに歩くようにしてください。またおしゃべりもしないでください。

 ◎後ろ向きな真実より、前向きなウソが好きな人たち

 以前ブログの表題と内容が違うということにダメだしをしてきたお母さんがいましたが、わたしのブログでは、よくそういうことがあります。今は特に前と違ってグーグルの検索機能を意識して内容とは関係のない表題も入りますのであしからずご了解くださればと思います。かつてのダメだしは純粋にテーマとの齟齬を突いてきたものかと記憶しておりますが、わたしにはそれほどの齟齬意識はなかったと記憶しております。

 今日も表題には「死の遺伝子が機能しなくなる事態」などと書いてしまいましたが、いざ書くときになってこうなりました。死の遺伝子には2種類あるのだそうです。わたしたちが普通に思うのは細胞の寿命というか、耐用年数が尽きて死ぬということです。たとえば心臓の細胞がそうです。心臓の細胞は生まれたときから死ぬまで変わらない、生まれたときの細胞がずっと生きているのだそうです。ところが胃とか肝臓などの内臓や皮膚の細胞というのは生まれてから死ぬまでに5から6回入れかわる、そっくり新しいのと入れかわる、ということです。この種の細胞では死の遺伝子というのが重要な役目を果たす。細胞をバラバラに分解してそれを血液中の白血球などがすべて残らず捕食してしまう。だからガン細胞も死の遺伝子が消滅させてしまう。しかし、ガン細胞が増殖すれば死の遺伝子の処理量を越えてしまう、そうすると死の遺伝子では消しきれないわけです。この死の遺伝子はいわゆる寿命と言われる死の遺伝子とは別の遺伝子です。

 不思議なのはガンになるのは、この死の遺伝子に支配された領域の細胞ということです。胃ガンはあっても心臓ガンはない。死の遺伝子に守ってもらうためには、代謝を促すことです。死の遺伝子はわたしたちを様々なトラプルから守ってくれているのです。トラブルの生じた細胞を死滅させて抹殺する、これが死の遺伝子の使命です。悪いものはそっくり死滅させて新しいのと入れかえる、これが進化というDNAにプログラムされた、ひとつの見えてきた真理です。

 さて、表題に入ります。確証も根拠もないのに平気でウソをつく、人が誤解することを想定してあたかも真実のようなことを言う、これをたとえば、信用あるとされる職業の人たちが言うとたちまち人は信じ込み動く、つまり操作されるわけです。信用あるとされる人たちとは、医者や弁護士、大学教授、新聞記者、テレビ出演者、警察、銀行員、公務員等々です。

 最近は騙しの手口も巧妙化してまいりました。大手塾に大挙して人が集まることは驚異ですが、それにしても高いカネを払って1年も2年も我が子を通わせて、結局どうにもならない子どもに仕上げてしまう、そういう親がほとんどということです。竹の会には、そういう大手を最初から警戒し竹の会を選ばれた人といったんは大手に行くも途中から転向してきたという人にわかれますが、大手にいた子というのは伸び悩む傾向があります。それは大手にいた期間が長いほど顕著です。その分竹の会での基礎訓練の期間が短くなるということもありますが、大手で無力化された脳習慣の影響も大きいのかと思います。小5の秋にきても塾の経験がない子のほうが伸びていくということも大手のもたらす弊害の大きさを物語っているのかと思います。

 大手からきた子というのを指導していますと、よくこんなになるまで放置していたものだと、あきれてしまいます。計算なんかまともにできないままに小5,小6をなんの問題もなく過ごせるのがすごい。割合もこれほど無理解なのにどうして放置したまま、国語や算数の授業が進められるのか、わたしにはさっぱり理解できません。できない子をできないままに1年も2年も通わせられるなんてとてもわたしにはできない、不可能なことですが、大手はそういうことを平然とやっているわけです。親も親で自分の子がそういうバカ放牧状態にあることを全く知らないままにカネを貢いでいるわけです。できるかできないか、常にひとりひとりにそれを真摯に突き詰めていく、その上で今為し得る最善の手段を尽くす、それでもダメなら、これはわたしの指導の限界の上を行くと観念して指導をお断りする、わたしはごく普通、あたりまえのことをしようとしているにすぎない。しかし、世の親たちにはむしろわたしの行動の方が奇異に映るらしい。指導がうまくいかないから、おカネはとれない、だから退塾してもらうしかない、と言っているだけです。わたしは良心的に行動しているつもりです。ところが、かつて退塾していった母親というのは、そういうわたしの処置に感情的に反応し、考えられない、礼を失した行動をとったものです。大手のように子どもが勉強に投げやりになってもなだめすかして取り込む、そういうウソになびくのが感情的なママです。勉強に情熱を失ったのなら退塾したほうがいい、という言葉は、後ろ向きな真実には目をつぶり関知しない態度をとり、前向きなウソはほとんど感情的に信じるという現代の母親のステレオタイプ的思考回路をよく説明しています。

 

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