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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西を手の平に/小石川、桜修館は掌中にあり/竹の会物語~理想の塾を探し求めて

2016.12.15

 今日はことのほか気温が下がりそろそろ冬将軍の到来かと内心懼れ心を新たにしております。膝の激痛が突然襲い来てからもう一月が流れたのでしょうか。西洋では腰・膝の突然の激痛を魔女の一撃というのだそうです。魔女の一撃とは言い得て妙。師走は他の月とはまるでちがう様々な思いが渦巻きながら晦日に向けて収斂していく。師走ももう半ば、一気に年の瀬の慌ただしさの中にかき消されるように日は過ぎて逝く。来年の5月6日で、竹の会がこの渋谷東に引っ越してきて満5年になるのですね。渋谷駅のそばに移転したい、ずっと念じ続けてきた夢でした。竹の会という塾が、地元から解き放たれて23区に飛び立つ、そんな夢を描いてきました。いつもいつも追い求めてきた夢、竹の会が理想の塾として、本物の塾として、23区に鳴り響く日を夢見てきた日々でした。

 竹の会は、昭和60年10月に元代々木のマンションの一室からスタートしました。ガリ版刷りのはがきで生徒募集をしました。近くの代々木中学と上原中学の生徒にはがきを出しました。そしたら代々木中学の2年生の女子3人のお母さんたちが来てくれて2時間ほどお話しをしました。長机2つ、いすが何脚か、あるだけでした。それに私の手元にあったのは、学参の過去問集が2冊だけだったんです。確か、開成高校と武蔵高校だったと思います。当時渋谷では河合塾や代ゼミが隆盛を極めていた時代です。こんなところに3人のお母さんたちは「お願いします」と申し込んでくれたのです。竹の会の記念すべき三人娘はよく勉強してくれました。それから1か月も経たないうちに評判となり生徒がおしかけてきました。竹の会という塾の苦難の始まりでした。周辺にはいろんな塾が生まれては消えていきました。評判の英語塾なんかがあって親たちはだれもそこにいく、そんな時代でした。わたしにはいろんな課題が山ほどあったのです。なにしろ教材もなにもない、教科書使ったり、市販の参考書を使ったり、新大久保の第一教科書、塾専用教材会社、中野の四谷大塚などよく直截教材を購入するために出かけました。授業とテキスト、そこから出発しました。いろんな子を教えて、いろんな経験をしました。学年トップの子、進学塾トップの子、河合塾の秀才、学年ビリの子、オール1の子、不良、自閉症、もうそれはそれはいろんな子を教えてきました。市販の問題集、参考書はもうたいていは読み尽くしました。過去問はもうほとんど解き尽くしました。あの当時から過去問をコピーして、よく考えさせました。解説なんか、手書きのわら半紙解答でみんなが取り合いになりました。あの頃からわかっていたのです。考えさせる、これが一番だということは。平成10年ごろまでは授業をしてたと思うのです。ただいつも授業ということはなかった。ある程度思考力がついてくると考えさせるようにした。竹の会の自前のテキストができたのは、平成の始めだったと思います。あるときは中学受験、あるときは大学受験、とにかく舞い込んでくる仕事はすべてこなしました。いつもいつも勉強しました。パソコンで仕事するようになるまでにはかなりの期間を要しました。平成の始めはワープロ専用機の時代でした。それからNECの98が出て、それでもまだまだでした。わたしが本格的にレジュメによる指導という境地に到達するまでにはまだまだ時間を要しました。竹の会開設のときからとってきたのは、過去問合格法というわたしの編み出したシステムでした。これで合格者は面白いように出ました。小学生を教える、中学生を教える、高校生を教える、いつしかわたしは理想の塾、本物の塾とは何か、ということで悩むようになりました。明けても暮れてもそのことばかり、思い詰めたように本を読み、思案し、研究してきました。理想の塾を追求する中から、わたしは精緻なレジュメ、芸術作品のようなレジュメを製作してきたのです。いつもいつも命を削って執筆してきました。わたしには見えつつあったのです。理想の塾が、本物の塾が。そうです。あのヘレンケラーのように、映画で見たパティー・デュークの演じたヘレンが、遂に出会う奇跡の瞬間、わたしは胸を熱くして、その日の来るのを夢見ました。竹の会という理想の塾、本物の塾をこの渋谷に、憧れの渋谷駅のそばにつくりたい、わたしの長い長い夢でした。

 竹の会が本物かどうか、答えは、実際に子どもさんを通わせる親がシヴィアに出しています。親というのは、いい悪いには敏感です。真の判断は実際に子を通わせている親のみがなしえることです。世の中には想像だけで塾を批判する人もいますが、竹の会の中身も知らない人が何をわかるというのでしょうか。世の親というのはシヴィアです。ダメならサーッと引く。しかし、その親も大手には甘い。ずるずると引き摺られる。人間いうのは二面性がありますから、貫けないこともあります。親御さんというのは、言葉ではない、おそらく実際に子どもさんを通わせて竹の会の掛け値のない真実というものを実感されたのだと思うのです。竹の会にはウソはない。わたしはこの草枕で真実を訴えてきました。そのことが実際に入会してわかったのだと思うのです。

 わたしは理想の塾にこだわります。指導のできない状態になれば退塾するのは理想のありかたです。

 いや勉強とは、ほんの少しの才能と惜しみない継続の力なのではないでしょうか。そういうものが見えない親子にわたしは媚びを売りたくはない。塾ですから生徒がいなくなれば潰れます。でもわたしは今は理想を貫きたい、矜恃を貫きたい、やせ我慢と言われても、わたしはもう我慢のきかないほどに歳をとりました。この歳なのだからもう自分の思い通りにやりたい、それで潰れたらそれでもいい、そう思っています。受検に失敗する人、勉強に失敗する人というのは、勉強の取り扱い説明書を無視する人です。勉強というのは、ぬか漬けと似てます。あれは毎日かき混ぜなければならない。一日でも怠れば酸素不足で乳酸菌はみん死滅してしまいます。一日でも休めば終わりです。勉強も同じです。勉強菌も毎日やらなければ死滅する。ここのところが世の親はわかっていない。ここのところの認識の隔たりが、竹の会と親御さんの乖離を生む。勉強というものとつきあってきたわたしには勉強というものの取り扱いが手に取るようにわかるのです。ですから勉強を理解しない親の行動に失望するのです。

 わたしは竹の会に通ってきてくれる子どもたちがみな大好きです。でも、指導がうまくいかない、そんなときには、心を鬼にして、決断しなければならない。わたしが追ってきたのは本物の塾なんです。親に迎合し、親や子に媚びる、それだけはない。竹の会の指導にいろいろと注文をつけてくる親もいます。でもわたしはそういう親には躊躇なく「退塾してください」と言ってきました。子どもは大好きですが、親には決然と告げるでしょう。わたしが追い求めてきたのは、そして今も追い求めているのは、本物の塾です。これだけは譲ることはできないのです。

 

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