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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西・戸山に行く/小石川、桜修館に行く/親たちが忘れてしまった大切なもの、大切なこと

2017.01.14

 おはようございます。大雪襲来とのことですが、関東はその限りではないというのはその通りでした。低温ながら青空と太陽が宇宙から「気」を送り込んでくれています。元気というのは、「気の元」と書けますが、気の元とは、太陽から送り込まれるのではないか、そんな素朴科学的なことを考えております。自然界の出来事なんていくら科学的根拠を問うてみたところで説明できることには限りがあり、またたとえ説明されていることにしても果たしてそうなのか、深淵の所では人間の想定を越えたからくりがあるのではないか、と疑えばキリがない。江戸時代は、百姓は毎朝夜も明けぬ時分から起き出して畑を耕していた。お天道様が姿を現す時分には一仕事終えてお天道様に感謝の祈りを捧げた。現代人がすっかり忘れてしまった大切なものをちゃんと知っている。宇宙の営みが謎に満ちて不可解なことばかりか知らないけれど毎日生活する者にはそんなことはどうでもいい。今日も昨日と変わりなくお天道様が日の光を届けてくれることそれだけでいい。自然の、あるがままのありように感謝する、それだけでいい。

 例年竹の会では、1月が一つの区切りとなるかと思います。入会して3か月、6か月というのが、ひとつの区切りになろうか、と思っています。課題をほとんど出せないとか、細切れにレジュメをやるということを続けているとか、わたしから見れば失速の様相が見えているということはあります。特に、指導レジュメを自分限りで進められないという場合は早晩失速は確実なのかと思います。

 高校受験に関しては、まずお断りしておかなければならないのは、小学生の段階で基本的な思考スタンス、勉強スタンスができていないと中学で成績をとる、それなりの成績を維持するのは困難である、ということです。竹の会は、トップ都立専門を謳っておりますが、駒場、新宿が最低譲歩ラインであり、そこに至らないほどの能力の子は指導できないであろう、ということです。現中学生にしても、成績が下がれば、当然退塾するというのは暗黙の了解事項であると認識しております。竹の会では、成績が下がったと塾に文句など言う必要はありません。文句を言うのは塾を止めない前提があるのでしょうが、その前提がまずないのです。文句を言う前に退塾する、それだけのことです。うちの子は勉強したのに成績が落ちたと文句を言うのであれば、それは勉強してもそれだけの成績しかとれない能力であったというだけのことです。塾に文句を言う筋合いの問題ではないのです。竹の会は「指導」には絶対の自信を持っています。それでもできないのであればもはや竹の会に通えるだけの能力がない、それだけのことです。文句を言う前に止めるのが筋です。

 昨今は早期教育か何かは知らないけれどやたら子どもに期待してか、習い事、稽古事、塾もあれこれと子どもの能力も考えないで強制する親がいるかと思えば、なにもしないで放置している親もこれまた多い。いったい子どもをなんと考えているのか。1週間すべて習い事、稽古事という小学生はよくいたが共通しているのは救い難い欠陥があるということでした。いったいゆっくりと考えるということをまず知らない。先送り生活に体が馴化してしまっている。何事も先送りしてしまう。あるいは自分の身を難局にさらすことを極力回避する傾向が強く、これは回避から逃避へと簡単に変化する。計画的に実行するということとはおよそ無縁な生活体系を作り上げてしまっている。子どもは小4期に勉強というスタンス、思考のスタンスをしっかりと訓練しなければならないというのがわたしの持論であるけれど、この子たちは確かにしっかりと訓練はしているわけである。ただ訓練の内容は、先送りのスタンスを、いわば勉強に関しては回避のスタンスを訓練しているわけである。そして最悪なのは、こういう習い事、稽古事の子というのは、自尊心が非常に強すぎて、自分が周りからどう思われているか、いや高く評価されている、そういう仮想の自分を作り上げて、とにかく自尊心を傷つけられることを回避する行動をとる、ということである。模試から逃げるのは、本当の自分が突きつけらるのが恐いからである。現実を直視しなくなる。本番も受ける前から落ちたときの口実を考えて受ける。

 子どもを放置しているのは、訓練をしないままに大切な時期を無にしてしまうことになる。子どもというのは訓練してこそ光る、そんなことはわかりきったことでしょ。特に、小4期にほったらかしにしているとそれはその子の将来の人生を捨てたに等しい。わたしは常々小4期の訓練こそがもっとも必要なことであり大切なことであると訴えてきた。ただそれで多くの親たちが取る行動というのは、大手塾に子どもを入れることであった。大手と言っても2タイプある。中学受験型の進学塾と都立中受検型の補習塾である。前者では意欲溢れた天才や秀才を集めて実績を作る。その他の大多数の凡人は実はお客さんでしかない。後者では、そのほとんどが凡人以下である。両者ではバカの度合いが違うだけで、共通しているのは、もともとの天才だけが伸びていく、ということである。あとは少しましな凡人がどれだけ努力したらそこそこに達するか、という問題しか残らない。裏から見れば、大多数のバカは、大手という楽園の中で飼われている、放牧されている、つまり訓練もなにもされないままに、小4期、小5期、そして小6期を過ごして、取り返しのつかないことになっている。わたしにはそうとしか見えない。綺麗なテキスト買わされて、若いスーツ着た講師に教わり、つまりアルバイトの学生に教わり、その学生は塾でアルバイトやるくらいだからたいていはやたらの教え好き、説明好きときているから、子どもたちは説明の集中砲火を浴びて脳みそはいわばバカ訓練を受けているのと変わらない。地元塾も大手塾もほとんどがカリキュラムにしたがってテキストを使い授業していくの体である。これで1年、2年とやるとしたら、わたしから見ればなんとも恐ろしいことなのだけれど、多くの親たちには充実した1年、2年ということになるのだろう。

 竹の会の親御さんの中には竹の会になんらかのカリキュラムがありそれにしたがってやっているような誤解をされてるやに見える方もいますけど、わたしにはそのようなものはありません。子どもの能力本位に次の手順を打っているだけです。次の手順があるのでそれがカリキュラムに見えたのかもしれませんが、現実には、実際には、子どもとのやりとりはいつも不確実であり、「わからない」という状況の鬩ぎ合いであり、指導の手順も予定どおりにいかないことも多いのです。

 それから先ほど大手にゆくバカ小学生というようなことを言いましたけど、竹の会が指導してなんとかなると考えている小学生というのは、竹の会の入会試験に「A合格」するほどの子です。しかもその時期は小4でなければならない。小5でA合格はあたりまえです。もし小6でもA合格がとれないとしたらそれは、かなり深刻な事態です。そしてそういう子が、塾経験なしという子には多いのは当然としても、1年以上も大手に通っていたという子の大半がそうである、というショッキングな現実をわたしは見てきました。あるお母さんは中1になった4月に竹の会の入会試験を受けて「0点」だった我が子について、大手を信じて2年通ったのに、と呆然としていました。それでは、A合格はどの程度の子がとれるのか。学校の通知表で「よくできる」が8割前後あれば、大丈夫でしょう。ただ「できる」ばかりの子がA合格をとった例もあり、小4期なら「合格」でも十分伸びる素地はあります。

 学校で「よくできる」が8割以上ある子でも、大手に行けば、バカになる蓋然性がかなり高い、ということも言っておかねばなりますまい。蓋然性ですから、もちろん例外はあります。「よくできる」の中には、天才もいるからです。これまで学校の優等生が大手に行って伸び悩んだという話しはいくらでも聞いています。それから渋谷区に住んでいる親が、竹の会が「遠い」などと言って、近くの大手塾に行かせるなどの話しを耳にしますが、竹の会に通う子は渋谷区は少数で、他区からの子ばかりです。台東区とか、品川区、大田区、とたいていの区から通ってきます。中には1時間超かけて通ってくる子たちもいます。今のところ実績のない区は、墨田区とか、北区、葛飾区でしょうか。千葉県と隣接する江戸川区からはかつての元代々木教室時代に通って来た子がいました。元代々木教室は地元塾でしたが、平成20年前後から散発的に他区、他市から通ってくる子がいました。例えば、町田市とか、横浜市とか、埼玉県の春日部市とか、いましたね。どれも1年以上いた子たちばかりです。渋谷区にいる人が竹の会が遠いというのは笑止です。

 わたしはあの当時から竹の会が渋谷駅近くにあればとずっと思ってきました。

 わたしはどこの塾もそうなのだと思っていますが、子どもを訓練するというスピリットに欠けていると思うのです。今小3の子が1人いますけど、この子はまだ指導して3か月そこそこですが、計算力なら小6も敵わないと思います。わたしが徹底して訓練してきたのです。鍛え上げてきたのです。わたしはこの子のために特別のレジュメ、スペシャルを毎回作っています。この子の理解を見て、次のレジュメを執筆しています。どう伸ばしていくか、どう訓練していくか、鍛え上げていくか、そういうことばかり考えています。子どもというのは訓練してなんぼなんです。いいですか。大きな教室で、テキスト与えて、学生講師の授業受けて、それで1年経ってどうかなっているか、と思う方がバカなんです。そんなもの竹の会の訓練に比べたらなにもやらないのと同じです。いや子どもをどうでもいいことで訓練してたらろくなことはない。

 竹の会で小4期にきた子の中には、すでに一部の小5を凌ぐ子も出てきました。わたしの訓練を受けるには小4期が一番いいのです。しかし、世の親たちは大手絶対ですから、まず竹の会などに来ることはありません。悔しかったのは、27年から28年にかけてです。小4が1人だけでした。だれも来てはくれなかったのです。九段の合同説明会のときも2年続けてチラシを配りましたが、大手以外には目もくれない親たちをただ見送るだけでした。チラシを見てきてくれる人などいなかったのです。それになぜか入会試験を受けにきてくれた人たちのほとんどがなんと「0点」、ないしそれに近い点だったのです。このままでは塾が潰れると思いました。やむを得ずそういう子を人物審査で入会させたこともありましたが、それがかえってわたしを追い詰めました。それであるときわたしは「もう、いいか」とプツンと切れたのです。塾を止める覚悟ができたのです。それでもうわたしの思うとおりにやることにしたのです。

 わたしは優秀な小4を指導したかった。それで今後の募集は、現小3(新小4)にかけている。入会試験は例の「入会試験Ⅰ」を使うことになっている。優秀な小4にきてもらいたい。わたしの指導が親御さんたちが思っている遙か上の、驚きと感動に満ちた結果をもたらすということを多くの親は知らない。わたしの指導を受けた子や親たちがいかに驚き、感動し、感謝してきたか、多くの親たちは知らないままに過ぎていく。東京の渋谷区の渋谷駅から歩いて10分、恵比寿駅から歩いて10分ほどの静かな一角に竹の会はあります。この竹の会を何も知らないままに素通りしていくこと、それは知った人にしかわからないある種の感情なのでしょうが、わたしだって竹の会は凄い塾なのだとわれながら思っています。

 

 

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