画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西一直線/小石川、九段への道/本物の塾とはを問い続けてきた30年

2016.08.25

 おはようございます。月曜日の台風が嘘のような夏の朝です。連続指導というのは正直体に堪えます。夏期の終盤はこれまでの訓練の途中経過を少し調べてみたくなりまして、竹の会秘蔵の様々なレジュメを体験させています。小5の成長が著しく来年の2月以降の本格的な訓練が楽しみです。それまではじっくりと思考訓練を積み重ねていかなければと思っています。小4については、わたしのほうに入会試験の適用段階についてやや迷いがありまして、逡巡した時期がありました。定番の「入会試験Ⅰ」については、考えてみれば、平成25年には、記憶する限り、小4の10月に「A合格者」が出ていたわけです。今年は、小4の5月と7月に実施したときは、いわゆる合格点がとれていない。それで8月に小4が申し込んできたので、2名ですが、入会試験Ⅰを受けさせてみたところ、なんと二人とも「A合格」をとってしまった。しかも、いつもあるように「わからない」でうんうんと考えこむという光景もなかった。ここにきて初めて入会試験Ⅰが小4期の逸材発掘機能あり、と確信を持つことできました。これまでのように小4に試すとき、ちょっと早いのではないか、と迷うことはこれからはない。この入会試験Ⅰは、小5でも0点、小6でも0点、中1でも0点がでるほどに子どもたちの知能というか、潜在的な能力というものを見事にスキャニングしてくれる傑作です。現在「新入会試験Ⅰ」を試作しては竹の会の小5や小6に試していますが、なかなか満足のゆくものが完成しません。難し過ぎては逸材を逸する危険あり、易しすぎては意味がない、それで微妙な調整がいるわけです。

 やはり入会試験を潜り抜けてきていないと、その後の伸びはあまりにもあからさまです。それに勉強意欲というか、モチベーションがまるでちがいます。0点の子は0点の子なりの勉強姿勢しかない。入会試験Ⅰで2問正解というのはかなり微妙です。これが小4だとどうか、小5だとどうか、現在検証しております。実は、入会試験Ⅰの第1問、第2問については、小3対象に作った「入会試験Ⅹ」でも使っています。つまり共通問題です。この試験に実は小3が6月に挑戦し、なんと第1問、第2問、第3問を解いてしまった。第4問はさすがに無理でしたが、第1問と第2問は、小4や小5,小6にも解けない子たちが続出した曰く付きの問題でした。この夏、小5と小6に共通の問題を使ってみたら、小5のほうができる、今の小6はその程度です。わたしが考えこんでいたら、竹の会の中学生が「小6よりも小5のほうが頭がいいというだけのことでしょ」と冗談半分に言いましたが、反論できません。

 竹の会というのは、子どもたち、そして親御さんの信頼を最重視してきました。頭のいい子、賢い子にはわかるのですね、竹の会の本当の凄みというか、素晴らしさというのが。頭のいい子ほど「竹の会の真の価値」を見抜いている。本能的にかぎ分けている。今年戸山に合格した男子は、実は、中2のときに精神的に不安定なことがあった。それでわたしももう限界かなと思って退塾を決断した。お母さんというのがほんとうに優しくていい方でしたのでなかなか決断に踏み切れなかった。それでもそういう意味を示唆したメールを出した。そしたら、本人は「竹の会を続けたい」とその意思だけは明確だった。彼は、いや彼の高い知能は、竹の会という塾の、本物の価値というものをかぎ分けていたのか、と後々思った。

 今いる中3は1人だけですが、彼女は中1のときにはもう中3の数学まで終わらせてしまった子で、中2の夏のWもぎでは受験の中3たちを尻目に数学95点をとっている。全体に5科目も7から8割をとった。こんなことが可能なのかと思うかもしれないけど竹の会なら可能です。その彼女が、竹の会はすごい、と言うので、どこがすごいのか、と訊いてみたら、いろいろ言っていたけれど、「教材がいい」と言ってから、「それから解説がいい」というのがあった。わたしがいちばん力を入れているところです。わたしの苦労というか、力を入れているところが通じているな、と正直うれしかったですね。

 実は、竹の会の真の価値というのは、頭のいい子ほど悟る、そう思います。平成10年に竹の会から初の早稲田実業高校に合格した鈴木君はわたしが小6から育ててきた逸材でしたが、その彼は竹の会をこよなく愛してくれた人でした。早稲田に合格してからも3年間ずっと竹の会を離れようとしなかった。かれはわたしのことを「ほんとうの恩師です」と言い、結婚式にも招待してくれました。彼の会社の重役のみなさんと同じ円卓でわたしは鈴木君を育てた恩師ということで、上場企業の専務さんやら部長さんたちに親しく歓談させていただきました。

 昭和60年10月、竹の会が小さなマンションの一室だけでスタートした年でした。まだ机やいすもない、参考書も問題集もない、そんなときにわたしが出したガリ版刷りのはがきにをもって代々木中学のお母さん3人組が尋ねてきたのです。2時間ほどいろいろとお話ししたのです。今のように教材なんかも何もない、そんな状態でしたが、なぜかそのお母さん3人組は申し込んできたのです。最初は週2回、各2時間、数学と英語の授業でした。教材は教科書です。そしたら1か月もしないうちに口コミで評判になりたちまち30人ほどになりました。家庭教師はかなり経験していましたが、黒板で授業というのは初めてでした。私の授業は「わかりやすい」、「熱心な先生」ということでたちまち評判になり、問い合わせが殺到しました。少子化の始まる前の塾にはいい時代でした。それでも周辺には新しい塾ができては潰れ、いや古くからあった塾なんかもほとんど潰れていきましたね。竹の会だけがなぜか生き残っていました。わたしは、子どもたちをどう導くか、本物の塾のありかたはどうあるべきか、そういうことをいつも考えていましたね。だから毎年のように合格者を送り出した後、やることはいつも挑戦でした。いつも新しい試みを試していました。ワープロ専用機の時代にはもう何台もの専用機を使い潰して、夥しい数のプリントを制作してましたね。受験指導というのは得意で過去問を使ってもう首都圏の高校の過去問はほとんど解き尽くしましたね。過去十年分に遡って解くのです。子どもたちはもう電話帳のような分厚い過去問プリントを何冊もかかえて、7回解き直しをやっていました。子どもたちは面白いように合格していきました。過去問の解説答案はわたしの手書きです。わたしは自分で解いて自分で手書きの解説を作りました。わたしの、いや竹の会の解説がいいのは、わたしの授業が「わかりやすい」という評判だったこと、その後過去問の解説をもうどれだけ書いたかわからないほど書いてきたこと、そんなことが影響しているのかもしれませんね。

 わたしは本物の塾でありたい、そう思って、いつもいつも精進してきたのだと思います。青山学院の生徒に数学を教えていたとき、たまたま目にした英語のプリントは感動的でした。それから東京の私立校の多くが使っているプログレスという英語教材、あれも取り寄せて徹底して研究しましたね。市販の英語の参考書、問題集はあらかた買い込み、検証しました。こうしてわたしの、竹の会の、あの「英語指導案」に結実していくのです。英語指導案はわたしの竹の会の英語の傑作です。わたしだけの竹の会だけの門外不出の宝ものです。

 本物の塾でありたい、本物の塾でなければならない、いつもわたしは思い続けてきました。母が愛した、わたしの竹の会、その竹の会の質は最高のものでなければならない。だからわたしはいつも勉強してきました。本はもう狂ったように読みました。竹の会が一流の、超一流の塾でなければならない、とその一心でがんばってきました。

 竹の会とはそういう塾です。東京のどこにも竹の会のような塾は決してない、だれも見つけることはできない。わたしは、竹の会はこんなにいい塾なんですよ、と東京の人たちに訴えてきました。竹の会という塾の存在を訴える方法なんてないのです。説明会でのチラシ配りは竹の会を知らせる方法でした。しかし、世のバカ親たちは大手に迷いなく吸い込まれていく、竹の会なんかほとんど無視でしたね。そういう現実を思い知っただけでした。

 竹の会を東京の心あるみなさんに知ってもらうにはどうしたらいいのでしょうか。そういう竹の会もそんなには永くはないでしょう。わたしももういい加減、歳をとりました。もうあと何年がんばれるか、ときどき自信をなくすこともあります。小5の子たちが時々肩をたたいてくれます。ありがたいことです。

 竹の会という塾は、知ってもらえば、わかるはずです。本物の塾ということが。

ページトップへ