画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西一直線/小石川、桜修館への道/頭が悪いということ/基本とは何か、応用とは何か

2016.08.28

 おはようございます。台風10号が30日にかけて上陸するらしい、そのときはまた指導日を変更する可能性がありますので、HPは必ず確認されるようにお願いいたします。

 昨日は涼しかったですね。寝間のエアコンが毀れたのが25日でした。ベランダを開けっ放して扇風機を回して過ごしたのが25日、26日の夜、27日は風が冷たいくらいで夏の終わりを予感しましたが、例の気象庁の残暑が続くという予報がありますから、これから静観するしかない。

 それにしてもいつものことですが、夏休みが終わるのは早いですね。小6のみなさんはあっという間に受検直前になります。正直なわたしの感想は期待薄です。さすがにわたしからは言えませんが、小6から退塾したいと言われれば正直ほっとすると思います。救われる気持ちです。それだけストレスになっています。特に女子には緊張感というものがない、危機感というものが感じられない。竹の会で小5という指導期間を経験しなかった子が成功するのは、並外れて知能が高いときです。早くに入会してもも、知能が追いつかなければもちろん無理です。また知能はあってもさしたる勉強をしてこなかった子もやはりだめです。ただやるだけ無駄かと言うと、そうとは言いきれないところもある。それは今年の例でも明白です。竹の会所定のレジュメをやれなかった、しかもやったレジュメでは合格はんこをほとんどとれなかった子たちが、合格しているのです。しかも二人も。今年合格の、そうした子たちがやってきたレジュメは当然やらせるとして、さらに去年と同じく、直前まで作文重視の指導を続けるとして、問題は今年の、今打つべき「次の一手」です。

 何度も申しますが、小6から退塾したいと言われればこれほどほっとすることはない。受検指導というのは、わたしの思うように手順を踏んでくれない、そういう子たちがわたしにはストレスなわけです。というか、竹の会に通いながら、勉強のスタンスというものがない、そういう子ほどストレスなことはない。去年の例で言えば、バカではないけれど、いやむしろ能力はあったと思うのに、わたしには何かが欠けているとしか思えない子たちがいました。レジュメが一方通行で戻ってこない、1か月2か月も出してこなければさすがにわたしもストレスは限界になる。習い事、稽古事、さまざまな年間の家庭行事、盆正月その他の家庭行事でなにかと休み、遅刻、早退も多い、そういう子が家庭学習をどれだけ優先させているのか、家庭もふくめて勉強の価値が低いとしか思えない。だから、なるべく出さないで済ます、先送りする、そういうことになるのではないか。

 わたしには指導がスムーズに進んでいない、それは本人に勉強のスタンスがないために進まない、そういうことがかなりストレスなわけです。いや時には不思議な人もいました。稽古事のレッスンを毎日のように、つまり土日もなく続けている、それで頭もかなりいい、集中力もある、だからか、都立でも上位校を志望する、それはそれでけっこうなことですが、現実には家庭学習もやっていないわけです。いや竹の会にはサッカーをやりながら学年1番という生徒もいますが、しっかりとやることをやれば勉強のスタンスに疑念を夾むこともないけれど、常に何かと稽古事を優先させながら勉強は時間が許せばという子が勉強のスタンスありとはとてもわたしには思えないのです。竹の会の同じ中学生、訓練を重ねた子たちとすでに取り返しのつかないほどの差が出ている、それでも、それだけ勉強というものを蔑ろにしていても「都立青山にゆきたい」などと言う根拠がわたしには、空中楼閣を描くようであり、荒唐無稽な言にしか聞こえないのです。

 親というのは勝手なものです。わたしはそう思っています。気になるのは、「勉強しないなら竹の会を止めなさい」という論理をとる親が意外といることです。「勉強しないなら受検を止めなさい」とはならないのが不思議ですが、その前に塾に行くことはないということでしょうか。中には、「先生からやらなければやめさせる」と言ってくれなどという親もいます。わたしは退塾を脅しで使うのは好きではありませんし、課題や勉強をやらないのなら、退塾で脅すのではなく、塾に勉強しないことが知れた時点で、まず退塾します、ではないかと思うのです。退塾を脅しで言うのが嫌なのは、竹の会では、頼まれなくても勉強のスタンスがない子には退塾告知をしてきたからです。ですから勉強しない子には、脅しではなく、本気で退塾してください、と言うしかない、それがわたしの論理です。

 指導が成功するには3つの要素が必要と思うのです。知能、集中力、そして素直さです。知能、つまり頭がいい悪いというのは、リアルにあるわけです。たとえば、竹の会の入会試験Ⅰの第1問、第2問について、小5、小6、時には中1でも解けない子がいる一方、小3でも解いてしまう子もいるわけです。これなんかはもう知能の差としか言いようがない。親は自分の子がバカだと知れば、もうあきらめてその子の伸ばせる才能を見つけてそれを伸ばすということを考える、もしそういう才能もなければ、残酷なようだが、あきらめるしかない。世の中にはもって生まれた知能に恵まれたものもいれば、バカもいる、ほんとうに残酷な話しである。

 知能は高くても集中力のない子はものにならない。それから勉強はなによりも学ぶ姿勢によって左右される。すなわち素直に学ぶ姿勢がないものは必ず失敗する。小学や中学はもちろんそうだが、実は高校、大学となってもこれだけは変わらない。素直に学ぶ姿勢のある者は難関の国家試験なども格段に早く受かる。

 これは自分であれこれ考えて独断するな、ということである。人に学ぶ、素直に学ぶ、そういう人ほど早く受かる。デカルトの「方法序説」には、一度選択したらもう決して変えてはならない、という趣旨のことが書かれているが、途中で「変える」というのはかなりのリスクである。世の中は日進月歩であるから、1年も経てばもっともっといい方法というものが出てくるでしょう、しかし、今までやってきたことを捨てて、そういう新しい方法に飛びつく、そういうことは結局繰り返すことになるから、なおさら遂には目標よりも方法、手段ばかり選んでは変える、ということになってしまいかねない。

 それから基本はそこそこに、難しい知識、細かい知識、些末な議論ばかり追うようにならないことである。法律学では定義というものがとても大切なんですが、これを正確に言えないままに、学説、判例ばかりやる人がいますが、本末転倒です。定義は暗記する、これが常識です。

 進学塾に通う、知能の高い子たちに見られる傾向として、難問は解けるのに、基本的な問題が実はわかっていない、ということがあります。頭のいい子というのはとかく基本を軽視しがちです。母親なんかには、応用ばかりやらせる親がいますけどこれも素人の浅はかさです。子どもには徹底して基本的なものをたたきこむ、基本と応用の割合を問われれば、わたしは迷わず、基本9、応用1と言うでしょう。

 ところが教育熱心な親たちは、基本はそこそこに応用ばかり子どもにやらせるわけです。勉強というのは、応用では伸びない。ひたすら基本的なものの反復が大切です。頭の悪い子なら応用は無理で、基本しかやれないでしょう。頭のいい子は、どうしても応用、応用と応用ばかりやる。応用をやればやるほど基本が疎かになっていく、もともとの基本的なところが、土台が溶けていく、そういうものです。

 世の中には頭の悪い子がいる、それが残酷なリアルです。わたしもさすがに頭の悪い子は教えられない、指導はできません。入会試験ではそれを選別する。さらには合格可能性のある子を選ぶ。集中力のある子か否かは、実際に指導して見なければわからない。素直さというのは、面接のときにある程度はわかるけれど、やはり実際の指導を通してわかることも多い。

 竹の会では、入会には、入会試験に少なくとも「準合格」はする必要があります。また、入会試験に合格した場合、当日をふくめて3日以内の申し込みが必要です。

 たとえば、小3時に合格しても、そのときに入会せず、小4になって入会するということは可能ですが、そのときにはまた小4対象の入会試験を受ける必要があります。

 冬期に外部生募集がある場合、申し込みに際して、入会試験を知能段階把握のために受けてもらいますが、このとき合格判定を受けていれば、冬期体験後入会するということは可能です。合格後3日以内の例外措置です。

 

 

 

 

 

ページトップへ