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日比谷・西攻略への道/小石川・桜修館攻略/竹の会という偶然の邂逅は神のいたずらなのか

2017.01.12

 おはようございます。今日は青空と太陽が満たしてくれそうです。週末には寒波襲来との予想ですが、この季節はやむを得ません。子どもたちの中にはこの寒気に発熱する子も出ているようです。

 さてこのところ小5の問い合わせが相次いでいると申しましたが、今年は事情をご説明申し上げて丁重にお断り申し上げております。せっかく竹の会に関心をもっていただきましたのに申し訳のないことです。これが去年の今頃の時期ですと、本来お断りすべきはずの小6前後の入会を認めています。それどころか小6の4月からという申し出も認容しております。それもこれも去年は募集すれども生徒が集まらずという事情があったからです。正確には入会試験に合格する子がいなかったということですが、応募者も少なかったですね。その中において、たとえ小6でもA合格をとれば入会を認めるほかないという判断がはたらきました。正直小6前後からの入会というのは成功の可能性が低い。この時期に入会して成功する子というのは実は「バランス感覚のいい」子に限られる。竹の会でも小6前後どころか、小6になってから入会して合格した子というもいましたが、そういう子というのは、みなバランスのいい子に限られていました。ところが、実際に小学生というのは、能力的にバランスのとれた子というのは少ないわけです。みな何かしら偏っている。字がまともに書けないというのは偏りの例です。国語読解力が貧困というのも偏りの例です。算数の才能がないというのも偏りです。過去の合格者というものを見ていると、見えてくるのは、成功者というのが、こうした偏りのない子に収斂していくということです。が、偏りのない子なら必ず成功するかというとそうでもない。「越える線」というのがあるか、です。実は、わたしの作るレジュメというのは、どうしても難しくなる傾向があると言われてきましたが、それは真の才能を見出すことにどうしても重心がいくからです。ですから、どんなに優等生と言われた子でもわたしの課すレジュメについて「越えられない」という子は失敗する蓋然性というものが高いわけです。去年小石川に合格した女子は他の子たちと一線を画していた。わたしの「この問題」というレジュメでは必ず一人だけよく戦っていた。そして国語や理科というところでもバランスのいいところを見せていた。他の子たちが「越えられない」線をその女子は越えていた。わたしが合格を確信する子というのはそういう子であってそういう子以外はない。模試でいい成績をとったとしてもわたしの課す試練で「越えられない」子には常に不安しか持ち得なかった。

 小4や小5のみなさんが、合格する力をつけていくかどうかは、一重にこのバランスをこれからどう身につけていくかにかかるでしょう。素直に指導にしたがう子が「受かる」蓋然性が高い、ことはわかっています。それから塾をたとえ親公認としても「休む」、早退する、遅刻するという子は、結局受からないですね。竹の会に通っている子どもたちというのはそのことが他のことの比較でよくわかっていると思うのですが、1日何かの理由で休むともうたちまち「差」がついてしまうほどに竹の会の指導というのはシビアです。7時間の指導を一日も休まずやった子がどれだけ力を伸ばしたか、今の小4なんか、そのことをよく示しています。伸びている小4、小5というのはとにかく休まない子です。竹の会の指導というものが1回休むとどれだけの損失かというのが、他の子との比較でよくわかる、子どもたちの中にはそのことをよくわかっている子もいますね。

 それから最近気になっているのは、持ち帰ったレジュメが、難しい、わからないというので、親御さんなどが教えてしまうことです。どうかこれだけは止めてほしい。中には、「お父さんと一緒にやりました」と書いて出す子もいましたが、そこまでして「できた」ということにしてほしくない。そもそもの難問ならどこまでできないか、を診るのがわたしの仕事です。竹の会のレジュメは正解を出すのが目的ではない。途中の考える過程が思考の訓練として意味があるから課している。解くことが目的ではない。「わからない」と悩む、悩ませる、思考を訓練するのが狙いです。それから基本レジュメをおうちのだれかが、多分お父さんやお母さんなのでしょうが、教えているのがわかる。なぜわかるのかというと、毎回のレジュメで思考の型というものを訓練しているのに、突如として、かっこを使った式で解いている。これはわたしが決してやらない方法であり、こういう説明をされると塾ではこういう方法はとらないから子どもは次はどうしていいのか、わからない。お父さんお母さんの方法でやるにしても実はそれもよくわかっていない。数学的発想というのは小学生にはたいてい受け入れられない。竹の会では子どもが「わからない」かどうかを知りたいのに、おうちの人が教えて解いたことにして先へ進められると早晩崖っぷちに立つことはわかりきっている。

 小6や小5の親御さんが、竹の会に出会うのはタイミングとしては遅すぎます。かといってこれまでの例では小4から竹の会の存在を知っていても信用しきれずに大手に行くという親御さんばかりですから、最初から竹の会をめざしてくる小4というのはほんとうに少ないわけです。そういう少ない小4の親御さんが最初から竹の会をめざして下さったことには大変感謝いたしております。小4からわたしの指導の妙味を発揮できることにわたしはとても幸せを感じております。わたしはよく思います。小4のときに竹の会に巡り合えたことは幸せなことである、と。これから先もう何年も竹の会が「ある」ということは実はわからない。なぜって、わたしの体力が持つかわからないからです。もう歳ですから。だから竹の会に出会えるのは「今」の「今」しかない。これまでわたしがいくら手を差し伸べても、目もくれなかった多くの親御さんたちがいました。わたしはその度に、竹の会に来てみればどんなに素晴らしいところか、たちまちわかるだろうに、と思ったものです。でもわたしには竹の会の凄さを世間の親御さんたちにわかってもらえる手立てがなにもなかったのです。「こんなに素晴らしい塾なんですよ」と心でいつも叫んでいました。来てみれば、「こんな凄い塾はない」とわかるのに、といつも思ってきました。だから、小4の子が来てくれたときは、どんなにか嬉しかったことか。親御さんは賢明であった、とわたしは思っています。わたしには、竹の会に来てくれさえすれば、たちまちその子の能力を花開かせるだけの技術があります。しかし、これまでいくらそう訴えても人々は冷笑して大手へと流れていくのです。わたしには預かった子を手塩にかけて、手の内で、手の取るように、伸ばしていく天分があると、承知致しております。

 どうか東京23区のみなさんが、小4という早い時期に竹の会に声をかけて下さることを心より願っております。

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