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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

日比谷・西攻略/小石川・桜修館・両国ロック/魔法シリーズの執筆のこと/鉄は熱いうちにうて

2016.12.09

 おはようございます。今日も青空と太陽が眩しい、心落ち着く天気に恵まれました。師走の光陰は疾し、11月までの緩慢な動きとはまるで違う、これはもうわかっていたことでした。受験に関しては、都立校受験はともかくとして、都立中受検ではこれから何か(新しく)やるということはもはやありえない。まさにありのままの姿で臨むほかない。ところが、多くの世の受検生というのが、いや親というのが、この時期からジタバタするのはいつもの光景です。これまでにやるべきことをやれなかったとすればそれも能力の内です。小4、小5期に大手を選んだ親子のみなさん、どうですか。大手を選んで正解でしたか。あなたたちが、なんの迷いもなく、いやむしろ絶対的な信仰のように大手を選んだであろうことはわたしには手に取るようにわかります。都立中というのは「落ちる」試験です。落ちて区立中に行く子が圧倒的に多い、そういう試験です。問題は、落ちて公立中へ行く、その場合にこそあるのです。思考する習慣、なによりも勉強するという習慣、スタンスを小学生の間に生活の一部としてしまっているか、そういうことです。わたしの知る限り、大手に行っていたという大半の子は、基本的学力さえもあやふやで、思考するなどということとはおよそ無縁で、勉強する習慣などない、それどころか勉強するということを特別のこととして、生活の外にあるものとしてきたはずです。こういう子たちが公立中でどのような生活を送ることになるのか、想像するのは容易なことです。まず彼ら彼女らは受検失敗という悲嘆からたちまち復帰します。そして2月、3月と勉強などどこ吹く風、遊びまくります。塾を探すという親子もいるでしょう。地元の個人塾とか、いやまた大手という親子もたくさんいるでしょう。大手の無料体験でそのままという親子が多いですね。中学になって、最初は、「日比谷だ、西だ」と威勢のいいことを言うものです。しかし、すぐに部活に必ずといっていいほど入り、そのままずるずると部活中心の、つまり勉強しない生活に入っていきます。高校受験は、「三年後」と漠然と、遠い先の話と考えているところが、アホの極致です。これは親も同じで親子揃って脳天気なものです。これが多くの大手信仰親子の歩む道です。

 中学3年間というけれど、3年間はありません。都立入試は、例年2月24日前後です。まさか1月、2月の勉強で成否が決まるなどと考えている親子はさすがにいないでしょ。内申は12月の最初に確定します。Vもぎなどが本格化するのは、8月後半からです。つまり、9月には、中3の数学、英語はもうすべて受験レベルになっていなればならない。独自問題の英文なんか、かなりの長文です。これを15分ほどで読み下さなければなりません。そんな力をつけるには、中3になってからでは無理です。少なくとも数学は遅くとも中2の夏にはもう中3の内容に取り組まなければならない。逆算していけば、どうなるかです。英語なんかは中2の夏までに中3の履修事項を終えて、夏には英文の読解にどっぷりと漬からなければならないでしょう。考えてもみてください。中1の冬を越せばもう中2です。中2の冬を越したときには、すでにある程度受験準備は終えていなければならないのです。日比谷、西クラスに行くとはそういうことなんです。小学生の低学年のときに我が子ができると思うのは勝手ですが、子どもがなんの挫折もなく順風満帆に力をつけていくなどという確率はかなり低いとみてちょうどいい。思春期、反抗期に勉強から逃げないという保証はまったくありません。世の中のゲームやその他の誘惑から子どもが無事という保証もありません。子どもは親のコントロールの外にいずれある、そういうことです。子どもが親の言うなりになるのは、小学の間だけです。小3、小4期に勉強ということの意義を思考を鍛える、勉強のスタンス、習慣をつける、訓練するということを通してしか、将来の子どもをコントロールすることはまず不可能です。中学になって、勉強しない子に、「勉強しろ」というのはもはや意味がない、そういうことです。親が小学生のときに子どもを訓練してこなかった、ただそれだけのゆえに、その子どもの将来は決まってしまうのです。鉄は熱いうちに打て! 

 大手に預けること、地元塾に入れること、それが訓練に必ずしもならないこと、それを知る親は少ない。塾に行かないという選択も正しくない。経済的理由ならしかたないけれど、そうでないのなら、ただ漫然と放置しておいたことのつけはあまりにも大きい。世の中に塾は腐るほどありますから、その中から本物の塾を探す、見つけるほかない。

 さて、話しは変わります。竹の会では、入会試験及び通知表も参考にして、入会者を確定しています。入会試験では、本来不合格なら入会はできないはずですが、今年は、さまざまな事情を斟酌して、入会を許可してきた経緯があります。まず竹の会ではいくら募集しても去年は小4がこなかった、いや正確には、入会試験でほぼ0点の子ばかりでさすがに入会許可が出せなかったというのがほんとうのところです。それで6問中2問正解でも「いいほう」という有様が続きました。教室はガランとしていました。正直わたしはもう(廃業の)潮時かとも考えてもいました。こういう背景もあって、さらには、小4になったばかりといった事情も汲んで、入会試験で準合格(6問中3問正解)に届かない子たちを入会させてきました。ただ入会許可にあたっては、「3か月」とか、「6か月」状況を見て、退塾もあるという含みのある入会許可であったわけです。そのことは当の親御さんもお忘れになっていることはない、そう確信しています。そのことは常にわたしの中にある、それで日々の指導は真剣勝負のような緊張感に満ちている、そう思います。

 そういう含みでようすを見ながらの指導をしております。このことはわたしは決して忘れることはなく常に正直ヒヤヒヤしながら理解できたかどうかを窺いつつ進めています。指導が順調にいくのかどうか、最近は、「遅い」ということが気になり始めている、ということは正直に告白しておかねばなりません。

 現小5については、未だ算数レジュメによる思考訓練が未完成です。「小学思考の素 その他の問題編」を終わり、7回解き直しを終えなければ、わたしの納得のいく思考段階には到達しないでしょう。「解き直し」は、ノートにやってください。一部小4には、最初ということもあり、再発行しましたが、ノートに問題を写し、解く、という解き直しをするのが理想です。冬には、試験的に、受検用レジュメを使うことも考えておりますが、思考未熟な段階では、無理と判断することもあります。志望校について、厳しいことを言えば、桜修館は算数の能力が高くないと無理です。九段はそこまで必要ありません。富士、白鷗も似たようなものです。小石川、両国は高い算数の能力が前提です。自分の夢だけでは決められないということです。小石川を見学して好きになったというのは勝手ですが、そんなことで行けるところではないということです。

 現小6は、竹の会の本来予定していたノルマを100として、10もこなせてないままに、12月に突入してしまいました。12月はもう新しい何かをやるという月ではありません。これまでやってきたことの解き直しだけです。作文については、書き直しを通じて合格作文というものを体得してもらうほかありません。小5のみなさんは、のんびりしている子が多いやに感じておりますが、のんびりやっていればいずれどうにもならない時期が必ずくるのだということはここで言っておかねばなりません。竹の会では、受検目的の小6はとらないのですが、去年は教室がガランとしてまして、やむを得ずとりました。小5の2月、3月でも遅い、これは小5の正味1年間を訓練に使えないことが決定的に不合格を余儀なくするからです。

 正直わたしは苦しんでおります。せっかく指導を引き受けたものの、指導が順調でないという状況が続く場合に、退塾を勧告するタイミングの見定めがわたしにはあまりにもストレスに満ちた決断であるからです。

 鉄は熱いうちに打て! そう切実に思います。子どもというのは、実は小3の8月あたりからもう訓練を始めたほうがいい、そう思っています。ただ竹の会で受け入れできるのは、小4の8月前後ではないかと思います。小3の8月ではあまりにも幼くてわたしが保育的指導に耐えられないからです。小4の8月に入会試験でA合格が理想です。実は、こういう子ばかりならわたしのストレスもなく平和な指導ができるのだと思いますが、現実はそうもいきません。小4の2月が最低の譲歩かもしれません。小5になってからだと遅い。しかし、今年はそういう小5も多い。能力相談ということもあります。能力がずば抜けて高ければ小5の9月でもぎりぎり間に合うかもしれません。いずれにしても通知表で「よくできる」が80%以上あるのが理想です。

 子どもというのは、訓練してなんぼです。とにかく訓練することです。子どもに理屈はいらない。とにかく歌舞伎役者の子が生まれながらに芸事を訓練されるように、普通の市民の子は生まれながらに勉強を訓練されるべきなのです。塾というものが、何かを習う、教えてもらうところなど考えているのなら既製のどこやらの塾に行けばいい。竹の会は前にも言いましたが、道場みたなものです。練習して鍛えるだけです。今は、訓練という言葉を好んで使っています。課題なんかも今はなり多くなったと思います。これは家庭学習をも訓練の場として、竹の会の指導の延長として考えているからです。塾に来たときだけが勉強では困ります。具体的に、何をしたらいいか、それを示すのが竹の会の課題です。課題をきちんとこなしていけば訓練していることになる。それから原稿用紙を使うのも訓練です。字数感覚を身につけ、字そのものの練習の意味もあります。ていねいに書く練習もねらっているのです。原稿用紙の余白にわたしの添削が入る、これがいいのです。去年の小6には、決して原稿用紙を使わず、わら半紙にすき間のないくらいにびっしりと文字を書きこんで出す子がいましたが、添削する余白はなく、効果半減でした。字の練習にもなっていません。

 小4でも課題の提出量にかなりの差が出てきました。ほとんど出さない子もいます。出せないということかもしれません。これが半年も経つともはやどうにもならない差になってしまうわけです。課題の提出量はそのまま家庭学習の差です。だれが生き残るか、そういうことです。自分をどこまで訓練しきれるか、です。

 新しいレジュメシリーズに取り組んでいます。魔法シリーズです。主として、小3、小4を念頭に、執筆するシリーズですが、執筆する前の構想にかなりの時間をかけています。

 現中1が中2になる前あたりから、日比谷、西を想定した英語指導のためのレジュメの配付を考えています。英語というのは、膨大な量の資料がありますから、これを「量をこなす」というやりかたでは、効率も悪く不合理です。そこで基本にじっくりと時間をかけて、少しの名文で、日比谷を超えるレベルに到達する、そういうコンセプトで取り組むことにしています。

 魔法シリーズは、今後の竹の会のレジュメ制作の根幹になると見ています。今日は、その第一弾「魔法の逆算」を配布予定です。

 

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