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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

明日の指導は予定通りに実施

2016.09.20

 ◎明日は予定通り実施

  おはようございます。台風16号は速度を速めて明日の午前9時にはすでに関東のはるか東の海上に進んでいる模様です。したがいまして、明日の渋谷Aの指導は予定通りに実施できることとなりましたので、お知らせいたします。

  今後の台風情報を注視しながら、明日朝改めてお知らせで確認いたします。

 

 ◎都立中受検の小5、小6の募集は終わりました!!

  このところ、受検の小6の問い合わせが続いておりますので、一言。現在竹の会では、すでに受検目的の小5は予定数に達し、募集は終わりました。ましてや受検目的の小6の入会は想定しておりません。自宅で受検の学習を続けてきたとか、大手に通っているとかの小6の問い合わせが急増しておりまして、ここで改めてお断りしておきたいと思います。

  竹の会では、受検では特に小4時での入会をお勧めしております。理想的な入会時期は小4の8月前後を基準に考えております。この時期に「入会試験Ⅰ」でA合格をして入室するのがもっとも理想的です。竹の会の入会試験に合格できるか否かは、学校の内申において、「よくできる」が、全体の8割以上あれば合格できるという実証例です。小4については、「入会試験Ⅰ」において、小4にどこまでつかえるのか、迷いがありまして、小4の前半については、実質的に「入会試験Ⅰ」で合格点がとれなくても入室を認めた経緯がありますが、その後小4でもA合格をとる子が連続し、今後はそういう扱いはありません。

  また竹の会ではいったん入室を許可しても、指導継続が困難と判断されるきは、退塾を勧告することとしていますので、現小4についても、予定定数に満ちてはいますが、さらに補充の意味で1、2名の受け入れを予定しております。ただし、現小4については、来年2月以降の募集はありません。

  新小4について 未定

 ◎高校受験目的の小学生についての募集

  小6の4月を想定しております。入室条件は、内申で「よくできる」が全体の8割相当を目安として、「新入会試験Ⅰ」を受検して「合格相当」と判断された場合とします。厳しい条件を設定したのは、将来において、トップ都立高校合格をめざすためです。

  なお、本年は、現竹の会小6の中学継続指導はなしの見通しです。

 ◎自宅で勉強するというリスク

 小学生には受検するのに塾に行かないという人もそれなりにいるようです。まあ、大半は大手塾に通うのでしょうが、こと都立中に関しては「塾なし」という子が超少数ながらいるようです。まあ、そういう子たちもいろいろと大手の講習なんかは受けてはいるようですが、つまみ食い程度で済ませているようです。塾に行かないのは、おそらく経済的な理由というのが一番大きいのかなと思いますが、受検も落ちてもともとといった程度の覚悟なのかなと思います。

 大手塾に行くというのは、さまざまな負のリスクを背負うことになる、これがわたしの認識であることはこのブログでも何度となく申し上げてきましたが、塾に行かないという選択はまた異質のリスクがあるように思っています。基本的には、訓練されていないということのリスクです。中学で勉強するという場合の最大の問題はすでに勉強へのスタンスができているか、ということです。自宅生の場合、基本的にこの訓練がまるでできていない。ただし、大手生ならそれが備わっているか、というとこれも否定的です。ただ優等生(内申で「よくできる」が8割以上)ならわからない。なんとかなる可能性はあるけれど、大手でダメになった優等生はポシャる可能性も強い。思考力もそこそこで、なによりも「習うこと」、「教えられる」ことに慣れてきた習性というのは矯正できない可能性が強い。

 訓練というのは、勉強というものを基本的生活習慣にする訓練です。常に勉強と正面から向かい合う姿勢です。それには、じっくりとていねいに思考する、思考していく訓練を重ねる、課題をきちんと家庭学習として取り組む、勉強が生活の中心であるということを徹底してたたきこむ、そういう訓練というのは、長い時間かけて、つまり小4から、小5,小6とかけて取り組んでいくものです。ですから、中学生になって、一向に勉強しないという生徒をどうこうできるものではないのです。よく親が中学生になって部活ばかりやって勉強しない息子、娘に悩むという話しがありますが、最初からもう終わっていたのです。子どもというのは訓練しなければただのバカです。そのバカが中学になってバカが治るかというとそれは絶対にありえない話しです。いったん身についた怠惰癖は一生その子についてまわります。中学で怠け、高校で怠け、社会にどう出るかは知りませんが、まあ陸なことにはなってないのはだれでもわかるでしょ。訓練するというのは、子どもを恐ろしい怠惰という、すぐ心に棲みつくウィルスみたいなヤツを排撃するという、裏の重大な意味があるのです。怠惰な人間というのは、将来陸なものにはなりません。怠惰は無知の母であり、無知は愚鈍の幼年期です。いや世の中には無知な大人も多い、つまり愚鈍な、本質的には何事にも怠惰な大人というものが多数を占めている。選挙で軸のない人たちです。雰囲気で行動する人たちです。愚鈍な人たちです。無知を恥じない人たちです。

 いいですか。子どもというのは、小4期が勝負です。このときにすでに中学、高校をも視野に入れた未来が決まるといっても過言ではない。子どもというのは訓練してなんぼです。訓練しなければただのバカで終わることは目に見えています。勉強のスタンスというのは訓練で身につけさせるものです。課題なんかも家で厳しく取り組ませること、妥協してはならない、妥協すればそれは怠惰を許すことになる、子どもというのは本質的に怠惰です。ですから厳しくしつけていく、訓練していかなければならないのです。子どもをしつける、訓練するには、「型」が有効です。古来芸事には型というものが重用されてきた。伝統的に形成されてきた、無駄のない、完成形としての型を繰り返しやること、これが型の習得です。型は心身が覚えるまで、無意識でも型が踏めるようになるまで練習を繰り返さなければならない。いや長じて名人となっても型の修練は終わらない。さて、子どもたちには勉強のスタンスというものを型として訓練すればいいという話しです。学校から帰ったら早速机に向かう、そしてすぐに勉強に取り組む、そういう型です。なかなか勉強に取りかからず、テレビを見たり、音楽を聴いたり、ゲームをしたりと、子どもというのは、怠惰ということでは天才的であり、また本能的である。わたしがやたら習い事、稽古事、そして家族行事をやる家庭というのが、勉強の訓練というものをやらないで、怠惰に合わせた、気の散らし型ばかりやっているように感じるからです。怠惰ということでいえば、勉強しない、勉強という訓練をしないということでは、まさにそれらは怠惰に資することではないかと思います。

 塾というのがダメだというのも同じ論理です。塾が子どもを訓練の対象と考えていないから、本質的に怠惰な子どもが本物のバカになるのです。授業をただ聞くだけというのはなんという怠惰な風景でしょうか。テキストが易しい、親切というのも、怠惰な子たちにはなんともバカに優しい思いやりです。怠惰な子たちというのは、現代では、なんでも楽をしたがる、というわがままとして現れる。バカ親はこのわがままを例の無知でニコニコして認めるわけです。わかりやすく教えてくれる塾の先生は怠惰な子どもにはなんとも心地よい対象です。こうして大手塾も、巷塾も、そして親もいっしょになって怠惰を育てていく、バカ協奏曲ができあがります。こういう脳天気な親というのは、本質的なことが何もわかっていないのです。いいですか。子どもを育てるというのは、戦いです。ともすれば怠けがちで楽ばかりしたがる、楽しいことばかりに流される子どもをしつけて訓練していく、そしてゆくゆくは自らを律するということを型として覚えさせる、反復させる、ここまで育ててきて始めて育てたと言えるのです。

 

 

 

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