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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/もって生まれた天賦の才 逸材の発掘、邂逅を待つ/子の細やかなる才能の芽を潰す親と塾

2016.06.19

 おはようございます。最早梅雨は明けたのか、このところ雨らしい雨もなく、どころか連日夏日が続いております。今日も暑くなりそうです。本日は、渋谷Aの指導日です。また、本日は、漢字検定を実施します。実施時間につきましては、漢検協会から指定された指示にしたがい、すでに「お知らせ」したとおりです。

 ◎竹の会「入会試験Ⅰ」について

 竹の会では、入会希望の方には当然として、外部夏期参加者にも、指導をスムーズに進めるために、表記の「入会試験Ⅰ」を実施しております。わたしが、ショックを受けているのは、この入会試験の合格基準に達しない、という小学生の割合が、あまりにも多いように感じることです。

 竹の会の「入会試験Ⅰ」については、最適の実施時期を、小4の1月まで、としております。

 合格基準については、全6問構成のうち、全問正解をS合格、5問正解をA合格、4問正解を合格、3問正解を準合格としております。ただし、「第1問」及び「第2問」については、不正解の場合、それだけで不合格となります。平成12年12月に実施した、小3を対象とした入会試験は、現在の「入会試験Ⅰ」の第1問~第3問で構成されていました。これについては、そのときに受検した小3の2名が、第1問第2問を正解して合格しております。そのうちの一人が本年区立九段中学に合格を果たしております。またもう一人も思考力を十分につけるにいたっております。また、平成13年の1月には、小4女子がこの初期試験を受けたと記憶しています。彼女は、とにかく合格したことはまちがいないのですが、全3問正解だったのかは記憶にありません。その彼女が2年後に桜修館に合格することになるのです。

 小3対象なら、この第1問、第2問だけを正解しても、十分指導に耐えうる能力ありと認めることができますが、逆に、この第1問第2問を落とますと、将来に暗雲を残すこととなるかと思います。

 ただし、この第1問については、よくできる子でも、読みとれずにしくじることのある問題です。

 竹の会では、学校の通知表で「よくできる」が、8割ほどある子を求めています。この程度の子は、おそらく学校では優等生として見られている層なのかなと思いますが、実際は、いや竹の会基準では、そういうこともありません。普通です。もっともこの中に才能の片鱗を示す子や逸材がいる確率が高いとは言えます。都立中というのは、6~8倍の競争率です。この倍率を突破できるのは、並の子では無理だということはさすがに大手志向の親御さんにもわかると思います。多くの親は大手なりに通えばそういう倍率の試験でもわが子が突破できると考えているのでしょう。しかし、実は、それはない。言葉は悪いが、バカはバカのままです。大手で1年、2年と通っても、事態は何も変わらない、そういうことに気づかないのが問題なのです。これは巷の塾、例えば、近くの個人塾とか、中小の塾でも、変わるところはありません。それは、塾の旧態依然とした、テキストと授業という陳腐なやりかたでは対応しきれないということです。

 いいですか。自分の子どもが、バカだとして、これは、通知表で「よくできる」が、8割に届かないどころか、5割前後というのが基準になりますが、そういう子が、大挙して大手に集まり、集団で同じカリキュラムで、同じテキストを使い、同じ学生講師が授業して、一律にバカから抜けきれるか、ということですが、大手で失敗する大量の受検生を知らない親はいないでしょ、つまり、そういうことはありえないということです。だから、わたしはバカはバカのままだと言っているのです。いいですか、自分の子だけが大手で授業を受けて、他の子はすべて塾に行っていない、そういう前提でもなければ、自分の子だけが伸びるということはない論理でしょ。バカが一斉に同じテキスト使い、同じ授業を受けて、自分の子だけが伸びていくということはないのです。日能研なんかは成績順に席順を決めていますが、小4の時に、順位が中程度の子は、同じカリキュラムにしたがって同じテキストを使い、同じ授業を受けていけば、小6の受験直前も順位、すなわち席順は小4当時と変わらないはずです。もし順位が上がるとしたら、途中で勉強しなくなった者が落ちていった場合のみのはずです。

 つまり、大手塾に行くというのは、塾に行っていない人に勝てる可能性があるという意味しかないのです。しかし、そういう人は今ではほとんどいないでしょ。だから大手に行くこと自体が消極的意味しかないといっているのです。

 どうしたら子どもは考える芽を伸ばして生長していけるのか、です。少なくとも、大手のやる画一的な集団方式ではダメなことははっきりしています。よくそこから転じて、個人指導などというのをやる親がいますけど、確かに、集団の画一的処理という弊害は回避できても、同じテキストを使い、同じカリキュラムでやる、という弊から逃れ切れてはいないわけです。いや個人指導には、もっと悪い弊害がある、それは家庭教師の弊害と同じですが、鑑賞型、つまり解説を聴くだけの子にしてしまうことです。考える型の子にできない。むしろ考える芽を摘むのが、個人指導であり、家庭教師である、ということです。

 子どもに対して、まず大切なのは一拍おいた指導ということではないかと思うのです。これは、考える間を取る、ということです。指導というのは、間を取りながら、考えるという契機を大切に大切にしていくということです。教材にしても、画一的な集団的処理を前提としたものではダメです。天才とバカが同じテキストを使うなんてありえないでしょ。感じのいい学生講師に子も親も「馬が合う」、「気が合う」などと言って、そこがその塾(もちろん大手)を選んだポイントだなどと言っている親子がいますけど、本質を悟らないバカ親子です。

 指導とは、間を取る、ことだとわたしは思っています。いかにして思考形成を助けるか、これはもうその子の思考段階よりやや上の刺激(つまり問題)をうまく、間を取りながら少しずつ与えていくことだとわたしは知っています。

 話しは、入会試験の最初の段階の話しでした。竹の会の入会試験Ⅰの第1問第2問の話しでした。これはもうもって生まれた天賦の才としか云えないとおもうのです。その意味での逸材にわたしは出会いたい、と願っています。自分の子が、じっくりと考えるタイプかどうか、粗い思考を常とするのか、いつも考えるよりは動いているのか、頭で考えるよりも行動する、じっとしておれない子なのか、親ならわかっているはずです。小2にして、じっくりと考える、集中力あり、という天才小学生がどこかにいる、とわたしは信じています。静かに考える、そういう子なら、きっと逸材の可能性がある、いつかそういう子が竹の会を訪れてくれるのではないか、わたしはそう信じています。

 

 

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