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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/両国、桜修館という選択/教育詐欺社会/高校受験は戦略である

2016.11.18

 おはようございます。今日もいい天気になりました。穏やかな小春日和が11月の特徴だとすればつい時の過ぎるのを忘れてしまうと言うのもありがちで、早下旬に突入の勢いです。11月とは何であったのか、影のうすい月ですが、木枯らし吹きすさぶ12月を思えば、秋深まりつつあるこの月をこそ愛おしみ大切に思わなければと思ってしまいます。

 大学を受験したのは、3月の3日、4日、5日の三日間でした。わたしが受験勉強をした期間は、前年の9月後半から2月までの6か月弱でした。11月というのは、わたしには、すべてが途上であり、未完成のときでした。実は、この11月に周りからの圧力に抗しきれずに全県模試というものを受けてみたのです。ひどい成績でした。とても旧帝大どころではありませんでした。11月の小春日和はあの頃のわたしにはそののぞかさゆえに辛いものでした。厳しい冬こそわたしに合っている、過酷な季節が似合っている、それほどに重苦しい、晴れない気分でした。自分で決めたノルマをひたすら繰り返す、これほど規則正しい生活をしたことは過去にも未来にもなかったのではないか。受験参考書というものは全くといって持ってなかった。必要なもの以外はみな処分していた。たとえば、英語なら、「豆単」と「英文標準問題精講」、いずれも旺文社版である。もしかしたら「傾向と対策」というのを読んだかもしれない。数学は、Z会の通販で手に入れた1冊のみ、国語は、「古語2000」と「漢文」(何か不明)各1冊ずつ。世界史と日本史は「山川用語集」のみ。生物は数研のうすい問題集1冊だけだった。毎朝目覚めると祖母の作ってくれた朝食を食べ、9時前には文机についた。狭い三畳間にぽつんと置かれた文机、その上の左側にさきほどの参考書が積み上げられていた。わたしは黙々と「読み」、赤線を「引き」、予定のノルマを終われば、右に積み上げていく。すべてが終われば、右に積み上げられた参考書をそのままにして、その日の勉強を終わる。12時から1時までは昼食。これも祖母が作ってくれた。1時から5時頃までにはその日のノルマはたいてい終わった。それから6時には夕食を食べた。当時、父は駅長として赴任して、実家には、わたしと弟、祖母の三人だった。これがよかった。わたしは邪魔されずに、というか心を乱されずに勉強に専念できた。夜7時には近くの温泉に行った。温泉から家まで5分ほどか、湯上がりの体も一変に覚めて冷え切った。星が明るく輝いて「ラクテンチ」のネオンが相変わらず点滅していた。夜はどう過ごしたのか、寝る前の2時間、どうすごしたのか、覚えてもいない。人々が日本の行事を祝い楽しむときも、雨の日も風の日も雪の日もどんな日もわたしは同じ生活を繰り返した。いつの頃だっただろうか。あるとき突然変わった。豆単の単語がすべて単語を見ただけで意味が頭に浮かんだ。数学の問題を見ただけで解答までの道筋が、数式が頭に流れた。Z会の問題集は、数Ⅰと数ⅡBの200問ほど。1題1ページ、問題とびっしりと数式が埋められた解答(解説)という体裁だった。わたしはこれを解いたという感覚はなくただひたすら読むだけだった。20回を超えたあたりからだろうか。問題を見たらすぐに答案が浮かんだ。他の問題との関連から頭の中で立体的な複合的な再構成が進んでいるのがわかった。原仙作の「英標」の19世紀の作家の英文は、英文の文体を見ただけで、語り口の特徴から、だれが書いた英文かわかるようになった。「英標」の表紙の裏には、作家たちの写真が載っており、モームとか、ジョージ・オーウェルとか、ロバート・リンドとか、顔と英文が自然にわたしの頭の中に入ってきた。英文をすごい速さで読みながら、しかも読むと同時に訳が頭に浮かぶようになった。これも20回を超えたあたりからだったろうか。大晦日も正月もなかった。いつものように同じことを繰り返した。2月になって私立の試験が始まってもわたしは国立Ⅰ期校1本に絞っていたので、同じ生活を繰り返すだけだった。3月2日に別府から九州大学のある博多に向かった。朝一番の急行だったか、祖母と母の作ってくれた弁当を持って、二人に見送られて、あの別府駅を出発した。わたしの受験勉強はこのときに終わった。

 わたしは朝早い、冷たい、体を指すような空気に、独特の臭いを感じる。それは高校を卒業してわけもわからず京都大学を受験した朝の臭いのような気がする。突き刺すような冷たさが当時のわたしにはなぜかちょうどいい、あっていた、自分の境遇にはぴったりだった、そういう心のありようだったのだろう。その記憶は今でもわたしの中に生き続けている。冬の朝の冷たい空気が好きなのはそういうことなのだろうか。

 長い間高校受験に携わってきて、昔はもう必死で過去問を解いていたものだから、高校受験は、中3になってから準備すればいいと思っていた時期もあった。それは地元の中学生を相手にしていたらそうなるのもしかたない。平成1年前後の親たちは「そろそろ中3になるから塾に行こうか」というのが普通だった。河合塾などはもう中2の1学期には中3の内容を、しかも1週間単位で単元を終わらせていた。こういうところは早稲田や慶應とか、開成なんか受ける生徒を相手にしていた。渋谷区は当時21グループと22グループの都立しか受けられなかった。21グループの最高が戸山だった。西や日比谷は学区外で受けられなかった。だから地元の生徒でできる子というのは、青山ねらいが多かった。なぜか戸山は敬遠された。新宿、駒場が渋谷区の優等生の定番だったのである。長くわたしはそういう環境の中で地元の中学生を指導してきた。首都圏の過去問は百種類以上、年度毎に買うので、数百冊にもなった。わたしはとにかく過去問という過去問はあらゆる偏差値、といっても60以上になるか、ただ50前後でも使える高校もあり、たとえば、帝京高校の過去問は小問20題で中学3年間の範囲から満遍なく出されているので、導入用にかなりいいし、東海大高輪の問題も、数量問題と図形問題がバランスよく出されていて重宝した。農大一高は標準問題がバランスよく配置されていたし、英語なんかは中学ではやらないことになっている第5文型の英文ばかりの長文で、生徒に入試の実態を教えるのにちょうどよかった。日大櫻丘と日大鶴ヶ丘では、問題の体裁がまるで違ったいた。日大櫻丘にはよく受かったけれど、あそこは数学20点でも英語90点なら受かった。高校入試というのは、60%が合格ラインと言われたけれど、これも学校による。中央大附属や早実になると70%は必要と思う。また日大でも桜丘だと50%より下という感じをもっている。日大でも二高は別格で問題の質も全然いい。練習に使える問題である。早実の問題は、良問が多い。慶應だと難易度も高くなり、高校数学の発想が必要になってくる。特に、確率はそうで、わたしの「確率概説」というレジュメはそういうことをふまえて、かなり高校数学の公式を取り入れたものになっている。開成高校の問題は、特に、国語がいい。早実の国語も、素直な問題で、好感が持てるけれど、開成はかなりよくて、わたしは好んで練習用に使った。いつか代々木中の数学の先生が、開成中の過去問30年分の中からプリントを作り、生徒に課題、任意的課題として出したことがあった。生徒のひとりが竹の会に来ていて、「先生、解けますか」と持ってきた。わたしがすんなり解いたら、代々木中の秀才たちが、驚いたのに驚いた。逆の例もあり、代々木中の数学の先生が解けない問題を持ってくるのもいた。わたしがすんなり解くと子どもたちが騒いだ。地元密着というのはそういうことだった。

 グループ制が廃止されて、竹の会でも都立西を受けたい、という子が出てくるようになった。かつて東京都の教育委員会だったか、わたしが日比谷、西を受けられないか、と問い合わせたとき、越境は法律違反だと息まいていたが、次の年には学区制が廃止されて、都内のどこでも受験できることになった。いったいあの法律違反をすごい勢いでたしなめた役人というのは何だったのか。

 都立高校受験が中3からで間に合った牧歌的な時代は過ぎ去った。しかし当時から中1で英語をしくじればもう中3までに英語がよくなるということはありえなかったし、理科や社会を中1、中2のときになにもしてこなかった者は都立受験をあきらめるしかなかったのである。

 平成十年代の後半、わたしは高校受験の募集を止めた。当時は1人いるかいないか、小学生のときからいた子が高校受験する、それで高校受験とは完全には手が切れなかった。平成20年に都立西に合格しているが、あのときにいた受験生は3人ほどだったはずである。去年10月に高校受験を再開したけれど、相変わらず中学生は、2、3人しかいない。都立西の合格を機に高校受験をこれまでのような指導方針から転回した。戦略的に逆算して小6の2月から戦略を実行に移すようになった。これは平成20年に西に合格した女子にとった戦略がモデルになっている。彼女は、小6の4月から竹の会にきた子であるが、高校受験の指導は、2月から開始している。英語、数学を中心に、5科目すべてについて指導している。彼女の成長に合わせて、それまで竹の会の主流であった「過去問合格法」を封印して、徹底してレジュメ指導にこだわった。これまでの竹の会のオリジナルテキストと言われたものもすべてレジュメとして作り直していった。中2の頃には、すべてレジュメ化が完成した。彼女が中3になると、拙著「入試数学100問」を毎回の指導で数枚ずつレジュメ化してやらせた。これには詳細な解説を執筆した。これが今の「高校入試問題撰」というレジュメである。今は、都立日比谷や都立西、都立戸山の過去問を網羅的にレジュメ化しており、あの当時に比べて、格段に資料が充実している。トップ都立受験生が、日比谷や西の英語スタイルに戸惑うのを見るにつけ、今は対日比谷向け、西向け英語の執筆に迫られている。わたしが平成12年に執筆した「高校英語概論」というテキストがある。東芝ルポで製作したものでいかにも読みにくいが、名作と思う。今は、これを書き直して、日比谷対策、西対策の最強レジュメの制作に意欲を燃やしている。これから2年後、竹の会の中1が、西、日比谷を受けることになっている。ここで最強の対策を講じないわけにはいくまい。

 竹の会にはわたしの執筆になる2大最強テキストがある。「新英語指導案」と「入試英語指導案」の2冊である。後者は、国学院久我山程度ならこれ1冊で90点はとれる。わたしの旧著「英語ポイント集」の発展版である。前者は、中学英語全編を1冊で網羅した、竹の会英語の代表テキストである。英語については、定番テキスト以外に、膨大な量の訓練用レジュメがあることはもちろんである。

 理科、社会についての竹の会の指導法はすでに確立されている。都立過去問については、昭和60年からの出題項目を網羅的に整理したレジュメが完成しているけれども、実は、これを使うことはない。理科、社会については、市販のテキストが充実しているからである。特に、学研と旺文社にいいものが多い。これらを適宜有効に使っていけば理社90点越えは簡単である。竹の会の中1のみなさんには、竹の会が強力に薦めている理科、社会の参考書がありますので、是非購入することをお勧めします。

 国語については、現在執筆中の「新国語読解」のほか、途中になっている「独自校国語4番の研究」シリーズがあります。現在、わたしは国語指導教材の開発にかなり関心をもっており、小5対象に「抽象化訓練」のための教材の執筆を始めたばかりで、さらに、「読解の素」の執筆も進めています。これは、「新国語読解」の小学生版です。わたしの作った「問い」が、抽象的なものから具体的なものを求めるもの、具体的なものから抽象的なものを求めるもの、となっていることに気がつけばその読解こつというのも、わたしの答案例を読み合わせることによって自ずと明らかになってくるものと期待しております。

 

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