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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、両国、桜修館/小春日和

2016.11.13

 おはようございます。何日かおきに恵みの小春日和が心を平穏にしてくれます。10月と12月の間にある11月というのは、まことに不思議な月です。10月はまだ残る夏とこれから分け入る秋の入り交じった月とすれば、11月はすっかり秋になり冬の気配が忍び寄る、だから小春日和がこのうえなくいとおしく深まりゆく秋の終わりを惜しむようにやがてくる厳しい冬に思いをいたす。11月は不思議な月です。12月になった途端に慌ただしい師走という漢字そのままに心は浮き足立つ。受験生が親が冷静さを失う、そういう月です。ずっとそうでした。親の焦りは佳境に達し親子が不安症候群に奇異なる行動に走るのも12月からです。冬休みの明けた1月が、何か新しいことに挑戦するという月ではないことはすぐにわかることです。この時期はじっと過ごす月でしかない。お釈迦様の手の平でジタバタしているのは、不安症候群の重篤な親子だけです。

 こういう特殊な時期に小春日和ならぬ心を平穏に過ごしていけるかは、あげて小5の時期の規則正しい勉強一筋の生活にかかっている。わたしはそう思います。しかし、世の中の凡庸な親というのはそれがわからない。まだ5年生だから、5年生のうちにと、習い事、稽古事に打ち込む、なにかと勉強を中断させる行事に事欠かない。合格する子の家庭とはここが違う。合格する子の家庭には勉強第一ということにブレがない。週のうち4日ないし5日を習い事に費やしながら、さらには、発表会、法事、家族的行事などで早退、お休みもよくある、これで受検というのがわたしにはわからない。それも合格する気でいる。ここまで極端ではなくても、多かれ少なかれ似たような家庭はあるのではないか。小6の10月あたりから失速する、12月になると完全に試験の重圧にあえぐことになる、そういう親子というのはこしかたの過ごし方にこそ問題がある。小5から小6のどの一日をとってもブレのない、勉強第一の生活をすること、これが受検成功の鉄則にほかならない。普段からである。失速しないためには、普段からご飯を食べるのと同じくらいに勉強が生活の一部になっていなければならない。勉強というのは、するかしないかの選択の問題ではない。選択するなどという悠長な態度をとるから、先送り、先延ばしなどという破滅的行動をとるようになるのだ。子どもが勉強しなくなるのは、親の恣意的な、気まぐれな行動、勉強軽視の、勉強を都合でしか扱わない、そういう態度の蓄積が、子にそういう教育をしたことのつけとして、内在化した結果でしょ。

 小4のお子さんをお持ちの親御さんはよくよく考えて選択することです。わたしの経験では、通知表で「よくできる」が8割ある子でも大手では潰れる蓋然性が高い、と見ています。近くの、たいてい駅前にある便利さに安易に選択したことのつけというのは、1年後、2年後にすぐわかることです。わたしのところには大手で1年前後を過ごしたという子たちがそれなりに多いのですけれど、基本はほぼ無に等しく、なによりも思考というものがない、そういう1年、2年というものがなんという無駄な期間であったかということです。わたしにはこの取り返しのつかない1年、2年というものが残念でならないのです。

 23区にどれだけ本物の塾があるのか、わたしにもわかりませんけれど、少なくとも小4、小5という、この学年のときの過ごし方が子の将来を決めてしまうほどに大きな意味を持つということがいずれわかるときがくるでしょう。竹の会を卒業された子、受検に成功した子だけでなく、いやむしろ受検に失敗した子の親御さんからいただいた年賀状やその他で、竹の会で過ごした小4、小5の頃のことを深く感謝する文面がほとんどなのは、卒業して初めて実感したということで誠に本心からの言葉として感慨深く受け取っています。

 ただ残念なことに竹の会では今は小5も小4もとっていないのです。当分は募集しません。わたしの体と相談してのことです。小さな塾です。1学年5人はとれません。無理してとると学年が偏り、竹の会のような小塾には致命的です。入会希望者は本当にやむなく断るしかないのです。

 どうか23区のみなさまがお子さんのために本物の塾を見つけられることを祈っております。

 それにしましても塾というのは、命を削る仕事だと思います。ここ数年だけでわたしは12月30日の夕方に38度を出し、塾のない31日、1日、2日の3日間をずっと布団の中で苦しんでいた、という経験が2度もあります。去年はインフルエンザに罹り、冷やっとしました。ある夏休みには37度超の微熱が引かずに10日間ほどを乗り切ったこともありました。親の死に目にも会えませんでした。冬期を放り出して帰るなどということができましょうか。受験は一生に一度のかけがえのない機会なのです。わたしはずっと子どもたち、竹の会の子どもたちのことばかり考えて悩み苦しみ悲しみときには喜び365日を駆け抜けてきました。必死に過去問を解き分析しある年には資料作成に時間のほとんどを費やしもしました。英語をどうすれば克服できるのか、それはそれは時間さえあればそのことばかり考えてきたものです。数学はいちばん時間をかけてきたかもしれません。首都圏のほとんどの高校入試問題は過去30年に遡って解き尽くしました。算数は最初は数学の一部として処理していました。わたしが本格的に算数の研究に没頭し始めたのは、竹の会に小学生が集まるようになった、平成17年あたりからだと思います。いやそれまでに首都圏の中学入試の過去問はたいていは解き尽くしてはいたのです。ただ算数という思考法について研究を始めたのはやはり公立中高一貫校制度がスタートしてからでした。公立小の子どもたちというのが、割合をほとんど理解しない子たちだと知ったからです。わたしは学校では優等生とされる子でさえ、たいしたことはない、凡庸なままに終わるということを知りました。なんとかそういう子たちに算数というものを「わかる」ようにしてあげたい、こうしてわたしはその研究に日夜骨身を削る研究生活に突入してしまったのです。そういう生活がわたしに様々な体の不調をもたらしつつあったことを自覚しながら、わたしはあるときは「このまま死んでもいい」と開き直り、研究に没頭してきたのです。

 それはそれはもう多くの本を読みました。本を読むことが、結局は子どもたちに高い識見、視野から指導できる必須の前提だと信じていました。わたしが知識を広げること、思考をめぐらすことが、そのことがひいては子どもたちの指導にきっと影響すると思っていましたから、自己研鑽だけは怠らないようにしてきました。運動不足ですね。目も怪しくなってきました。自分の趣味や運動を楽しむなどという人生もあったと思います。でもわたしは子どもたちのことばかり考えてきました。わからないと言って悲しそうにしていた子、そういう子の顔がどうしても消えない。平成19年のことでした。ある女の子のお母さんが言いました。「先生の説明がちんぷんかんぷんでなにもわからない」と。通分がやっとできる、そういう子もいたのです。そういう子にはわたしの説明はそれはちんぷんかんぷんだったことでしょう。わたしは悲しくて切なくて胸をえぐられる思いでした。わたしにはどうにもできない子が世の中にはいる。

 だからわたしの教えられるのは、指導できるのは、子どもたちの中でもほんの一部の人たちだけなんです。

 小春日和がなんとも愛おしい日です。

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