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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、両国への道/何がいけなかったのか

2016.07.11

 おはようございます。今日はまた雲一つない青天です。小6には、日光や八ヶ岳に修学旅行に出かけた子たちもいます。わたしが小6のときには、別府から北九州工業地帯に出かけたような記憶がありますが、そのときどこに泊まったのかさえも思い出せません。東京の子たちは日光に出かけるということはわが子でも経験していましたが、今はいろいろなところに出かけるようですね。

 いよいよ夏ですね。梅雨らしい梅雨はなかった、あとは台風を待つしかないというのが、東京の水事情になりそうです。夏休みももうすぐですね。悔いのない夏を過ごしてほしいと願っています。

 わたしは、今は夏休みのためのレジュメ準備もそうですが、竹の会にとっては夏の指導も通常指導の延長に過ぎず、今は、日々の指導準備がとにかく忙しくて、毎日朝起きるとノルマを書き出したものを見ながら準備に追われております。仕事の進み具合を見ながら、今日はブログは書けないかな、と毎朝思いながら、それでもなんとか草枕を書いています。

 今では竹の会の小学生指導の手順もほぼ完成して、子どもたちはそのシステムにしたがって、順調に進めていると認識しております。小6の中には、割合(「小学思考の素 割合問題編」)で進境著しい子も表れておりますが、これが小5ならと残念でしかたありません。多くの親御さんというのはどうしてこういういい素質を持った子というのを大手などにやって折角の伸びる芽を潰してしまうのか、わたしは正直悔しくもあり哀しくもあります。ただ突然、「竹の会」という塾を知ったとしても俄に信用できるか、と言えば、信用するどころか、胡散臭いと思われてもしかたないとは思っています。

 ただそういう中にあって、小3や小4の早い段階で、大手には目もくれず、竹の会しかない、と見込んで竹の会に見えられる親御さもいたわけで、その先見の明の確かさ、見識には頭が下がります。今年、九段に区内枠で合格した女子も小3の12月に竹の会に入会試験を受けにきたのでした。その前の夏休みに入る前だったと思うのですが、一度お母さまが見学に見えていました。1時間ほどじっくりと勉強している子どもたちのようすを観察して帰られましたが、その後いろいろと大手塾などを回ってみたようです。迷われたのでしょうが、最後に、竹の会にもどってきたようです。当時の入会試験は、全3問で、今の入会試験Ⅰの第1問から第3問で構成されていました。第1問と第2問を正解し、合格判定、それで小3の2月から通い始めました。最初は、長時間がもたないとの親御さんの心配から3時間で切り上げていました。計算もそうですが、割合の導入段階ではかなり苦労したようです。最初のレジュメをドクター・ストップ、またやり直す、それから一度やったレジュメを地道に解き直すなどの努力を積み重ねていきながら、次第に力をつけていきました。なかでも計算の正確性は神でした。今年の小6はとうとう計算で合格はんこを連続10回とる、というような子はいませんでしたが、去年の小6は、合格基調の子ばかりでした。その中にあって、神的な計算の正確さを発揮したのが、彼女でした。彼女は区内枠で受けたのですが、入学後の成績は、区外枠の子たちに負けていません。入学試験の成績も、特に、適性Ⅱは、かなりの高得点でした。

 わたしは、世の親たちが、こぞってわが子を大手にやる、そのことに迷いのないことに失望し、学校説明会でのチラシ配布も今年の九段を最後にきっぱり止めました。今では、竹の会はなにも宣伝をしていない。宣伝する術がないのです。大手のような巨大な資本を投じてあらゆる宣伝媒体を利用して誇大宣伝をするなどの行為はできるべくもない。東京の大多数の親たちが、騙された意識もなく、わが子をそういうところに入れて、1年2年が経過して、それでも自分の子がバカになったことも気づかずにいる親も多い中、ごく少数の親が「なにか、おかしい」と気づくのでしょう。しかし、時既に遅しです。

 小学生に思考力をつける、これはなんとも天文学的な、1年なり、2年なり、の「待つ」、自ら芽が出るのを「待つ」という期間が必要な仕事です。竹の会に遅く来れば来るほど、この思考育成の本質である「待つ」指導ができない。だからわたしはもっとも適切な指導開始時期は、小3の後期あたりであろう、小4も早い段階ほどいい、と考えております。小5というのは、かなり微妙です。

 小学生というのは、10人いたら10人みな知能が微妙に違う。もちろん性格も違う。家庭環境が違うことも大きい。指導の実際というのは、子どもたちに伸びる芽の機微を読み取る、ということであろうか。わたしはそのためにレジュメを微妙に調整した。そしてときには理解度、知能を測る問題を忍び込ませた。わたしはいつも子どもの理解度を測り、能力をチェックした。合格はんこをまったく取れない子というのは正直伸び代のない子なのだと思う。が、こういう子でも、合格はするのだ、ということを今年の合格で知った。今は、わたしのレジュメ指導の技術もかなり精緻化し、問題を作る中で、自分の意図を巧妙に仕込むこともできるようになった。子どもたちが「わかりません」と言ってもってくるのが、常態なのですが、そういう中にあって、純粋に自ら解いてくる、そういう子が出てくるのが、楽しみなことではあります。

 子どもたちの考える芽を大切に育てて、あれこれと駆け引きしながら、問題を工夫して、また子どもたちを試す、わたし流の思考育成技術が次第に高度な完成域に達しつつあることを実感しております。

 中学生指導は、いよいよ試練の時期に突入しつつあるのかと考えております。新中1につきましては、初動の2月から6月まで駆け抜けるようにやってまいりましたが、いよいよこれからが中学の本当の勉強が試されることになる、これに耐えていけるのか、いけなければ、脱落すれば、竹の会にいることはできない、少なくとも竹の会の高校入試指導は、「最低でも都立戸山」を念頭にしたものである。レベルを下げることは決してない。これからのわたしの指示するノルマを果たせずに脱落するのは本意ではないが、やむを得ない、そういう覚悟で指導していきます。

 学校がない日の一日の勉強時間の指標は、7時間です。学校がある日は、5時間です。5時間を下回れば、いずれ成績は下がっていきます。勉強は「するかしないか」という選択の対象ではありません。「する」ことが前提、したがって、勉強は毎日の寝食と同じく生活の一部、習慣でなければなりません。意識して勉強するというのではなく、当然に机に向かい、時を忘れて勉強に没頭し、気がついたら、数時間が過ぎていた、そこまでいかなければだめです。そういうことになってもいないのに、勉強ができない、などと悩んでほしくない。

 習い事、稽古事は、身を切る、勉強する体力も気力も奪うものであるならば、有害以外のなにものでもない。部活に疲れて居眠りをして勉強しなかったなどいうことを繰り返していれば、それは人生そのものを、将来の人生そのもをすでにしてどういうものか選択しているということである。簡単な論理でしょ。

 学校のバカ教師が、程度の低い教師が区立中学には多いけれど、内申を翳して脅しながら、やるのがとてもまともな教育をしているとは思えませんが、まず今の中学校が、まともに高校受験の対策などできないという現実を知らなければならない。受験に必要な、受験レベルの授業などしていないくせに、自分たちの力で合格したような顔をしている、公立中の教師の頭の中身は空っぽで、知能指数は低いとしか思えない。通常の論理では考えられない、非論理的な頭の悪い、性格のいびつな教師ばかりいるから、公立中高一貫校や私立中高一貫校に優秀な子たちが逃げてしまうのだ。公立中というのは、小学時代にまともに勉強などしてこなかったバカが多数いる学校である。こういう中にあって、部活、特に体育会系の部活を熱心に推奨するのは、学校の立場からすれば、問題を起こして欲しくないから、こういうバカが部活で体力消耗してくれればいい、と目論んでいるとしか思えない。そういう風潮をまるで大義名分、お上のお墨付きを得ているかのように振る舞うバカ教師が勘違いして、もともと勉強志向の強い、優等生たちを追い込むのである。公立中では、絶滅危惧種である、少数の優等生を、バカ対策に利用して、内申をちらつかせながらコントロールするなど、最低のバカ教師が揃っている。

 

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