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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館に受かる逸材の発見/近視眼的、視野が狭い子のこと

2016.10.14

 おはようございます。秋に急変の感強く、子どもたちには少なからず影響を及ぼしそうです。毎回体調を崩す子たちが必ず出るのもいたしかたないことか、小5,小6になるとさすがに落ち着いてくる、急な発熱の頻度も減ってくる、そのように感じております。

 それにしましても、竹の会というのは、実に小さな塾ではあります。渋谷教室になってからも生徒は十人余りもいればいいというほどでした。大手塾のようにいくらでも広告に資本を動かせるということもなく、正直竹の会の存在さえも知られることもなくましてやその価値を訴える機会というものはとんとなかったわけです。4月に九段で行われる合同説明会にはここ3年ビラ配りに出かけていますが、これでヒットしたことはほとんどない。ほとんどの親たちはたいていはどこかの大手に通わせているわけで、その中でいきなり竹の会がチラシなんか渡しても「フン」と言った感じでした。事実1000枚以上手渡したはずなのに反応はほとんどなしでしたから、これはもうやるだけ無駄でしょ。そそくさと駆け抜ける母子はまるでなにか災厄を避けるふうにも見えましたし、父子の父はたいてい「なんだ、塾か」と言った風体で、相手にするな!オーラ出しまくって、とりつく島などない。ニコニコ受け取る庶民的な親子というのもいますけど見るからにバカそうでチラシ渡すのも複雑です。

 さて、その大手塾ですが、つまり世の親たちがとにかくは大手なら間違いないだろうと考えての選択なのであろうけれどわが子を預けることになんの迷いもない、大手、そこに通っているという子どもたちについて、わたしが入会試験というきっかけで知る、あるいは竹の会の子たちが模試を受けるというときに知る他塾の子たちのレベル、それがあまりにも酷すぎる、しかも、1年、2年と通っても、長ければ長いほどバカの度合いが高いという現実を知るに及んで、わたしは、大手崇拝の親たちというものが、あの九段で背中を見せるだけで早足で駆け抜けて行った親子が、バカ丸出しに見えてしまうのである。

 大手に行って1年経っても2年経っても何も成長してない、入った当時のままというのが、大手の子たちの特徴ですけれど、それでも大手が支持されるというのが、わたしにはなんとも奇異な現象に見えるわけです。どんなバカな子でも大手に入れば受検に合格するほどに力をつけてもらえる、という他力本願な親子が圧倒的に多いのが世の中のようです。だれかがなんとかしてくれる、そう信じて疑わないわけです。「志望校に受かるにはこの講座を受けなければならない」、「これを受けなければ合格できない」とオプションの講座を売り込み、親も「落ちたら大変だ」とばかりにカネを注ぎ込む。倍率8倍とか、10倍でしょ。8人受けたら7人落ちるわけでしょ。その特別講座は8人とも受けてるわけですね。だいたい最初から8人中7人が「落ちる」試験でしょ。なにやってもやらなくても落ちる試験でしょ。

 大手塾の子は、そういう追っかけばかりやっているので、計算もまともにできない。「やりかた」知っているのを「できる」とは言わない。何桁もの小数の計算、概数の処理なんかをミスなしに正確に出せるか、ということだ。そういう訓練というものはほとんどやらないで適性類似問題ばかりを対策と称してやらせるのでしょ。もっと悪いのは思考するという基本的な勉強のスタイルというものができていないことです。割合の考え方、単位あたり量の考え方なんかもベタな問題やって終わらせる。テキストの一項目としてせいぜい4ページ、授業も2回ほど、これで終わったことにする。まるで子どもはみな万能の天才か、と突っ込みたくなる。子どもというのは、訓練してなんぼです。子どもの才能なんかを信用して任せておけるか、ばかでしょ。徹底して、できる、できないを逐一、毎回のように確かめる、そうするのが、本来塾のとるべき道でしょ。

 こうしてわたしは、竹の会の存在を結局このブログ、「草枕」だけで訴えるしかないのです。東京23区のみなさんに、そしてわたしのような小塾の塾長の書くブログに目を留めてくれる、ごく少数の大手になんとなく疑問を持っている、そういう人たちがわたしのブログに本当に偶然に出会って、読んでいただく、これしか出会いの方法がありません。

 それにしてもわたしが残念でならないのは、大手の毒がすでに体に回ってしまった子たちのことです。テキストに翻弄されて、そのテキストがまたどこまで信用していいのか、という問題もありますけど、予習、復習が大切と、いやそこはいいのですけど、わたしから見ればなんとも信用ならないテキストの予習、復習なわけです。おしゃべりで教えたがり屋の学生講師の授業を聞いて、ノートをとって、週末には確認テストを受けて、わたしから見れば、それらの行程すべてが毒なわけです。テキストに支配された頭ではだめです。テキストに支配された期間が1年も続くと重篤な副作用が出てきます。ものの本質を見れないのです。同じ風景を見ているのにその風景のなんたるかよりも、瑣末な現象、事実のみに囚われる。まず森を見なければならないのに、木、いやその枝に目が行く、これは重症です。

 ◎退塾したいという子がなぜかほとんどいない塾

 子どもになにをすればできるようになれるかを示してやるのです。確かに、示されたことをやればできる、できるようになる、わかる、わかるようになる、それを示してやるのです。そうすれば、いやそれがわかると、子どもというものは、夢中で取り組むようになる。やればできるようになる、わかる、その連鎖が子どもを内から変えていく。子どもにはわかるのです。やったほうがやらないよりもずっといいということが。子どもたちは道を示されて、道を与えられて、ただその道を進むだけで、昨日よりも前に進むことができる、そういう意識になっていくのです。だから竹の会の子どもたち、いや正確には、示された道を歩むことのできている子たちは、生き生きとしているのです。竹の会の子どもたちは、言われるようにやってさえいれば、できる、わかる、できるようになる、わかるようになる、そのことをよく知っているのです。

 でも能力の壁は、それでも超えられない。だれにも超えられない壁はある。壁はみな人によって違うけれど、いつかその壁が道に立ちはだかるときがくる。だれもが永遠に前へ進めるわけではない。みんなが伸び続けるわけではない。わたしがその断を下したとしても、子どもたちはずっと竹の会にいたい、竹の会で勉強したいと願う、そのことはわたしも知っている。わたしには辛いことです。そういうときが来たときに断を下すのは辛いことです。だってみんな竹の会が好きでしかたない、そのことを知っているからです。

 わたしにはこの子は伸びる、伸ばせる、そういう子に出会い、そういう子だけを伸ばしていきたい、そういう思いがあります。どうしたら、子どもって、伸ばしていけるのか、そんなことばかりを考えてきました。「わからない」、「わかりません」、そんな子どもを見るにつけ、どうしたら子どもたちにわかる、ということを伝えられるのか、わたしはいつもいつもそのことで悩み続けてきたのです。「わからない」という子が、涙を流してる、でもわたしも涙を幾度流してきたことか。だから苦労して1年もかかってある日あるとき、「この問題が解けたのか」と問い返し、涙目で次の言葉が言えなかった、そういう時もありました。塾の帰り道、暗い夜道を「わからない」、「できない」という子のことばかり考えながらよく歩きました。すると涙がこみ上げてきて、その子たちに自分の無力を詫びずにはいられませんでした。

 どうしたら「わかる」を届けられるのか、毎日のように考えました。夜も昼もそのことばかりを考えました。「割合」をどう教えたら子どもたちはほんとうにわかってくれるのか、これなんかはもう何年もかかりました。アイデアを思いつく度に教材にしてみる、そして試す、そういうことばかりやってきました。

 長いトンネルでした。今、子どもたちを、観察する、いつも見ている、行動の一部始終をつぶさに見ている、とにかく「見る」ことですね。この子から「わからない」をどのように追放するか、それはもう信念ですね、子どもの反応のひとつひとつを注意深く見る、分析する、子どもの毀れそうな心を思い、時には悩む、辛い厳しい指示も出す、「わかる」ということをなんとか届けてあげたい、その思いがわたしの行動の源泉であろう。

 今のわたしなら、子どもの脳の映像がよく見える。だから無理だ、この子には無理だということまで見えてしまう。だから止めたほうがいいですよ、なんてことも言う。

 スクスク伸びる子というのは、親がくよくよしていないですね。子どものことを心配して一緒に泣いている、そんなお母さんが子どもの心の支えなんですね。

 子どもを導くというのは、骨の折れる仕事です。

 

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