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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/勉強と懼れる心/竹の会という思考育成システムの奇跡

2016.06.11

 遅くなりました。午前中、午後と用事のため他出しておりました。 明日の指導の準備は、木曜日のうちにほとんど片づけておりましたから、今日は、久しぶりに心はくつろいでおります。竹の会の親御さんから時折メールが飛び込んでまいります。熱心なお母さまばかりで、いろいろと詳細な近況報告をいただいております。特に、中学2年生は、普段言葉を交わすことも少ないのでなかなか内心の思いや家での勉強の様子、学校のことなど教えていただくと、こういう子だったのかとか、そんなふうに思っていたのか、など新鮮な思いで新たな一面を知り、その思いなどに気がつかせてもらい、うれしくもあり、またこれからの指導にもいろいろと思いやることしきりです。

 高校受験を視野に入れて、都立戸山や青山などをめざして、竹の会を尋ねてきてくれる、いい子というか、これは逸材という子に出会うことも時としてあり、そういうときはわたしにはこれほどうれしいことはありません。中学生の指導を再開して、公式に募集を始めて、ようやく体裁が整ってまいりました。わたしの高校受験論は、すでにこのブログでも詳しくその持論を展開してまいりましたが、世の中の塾というのは、恐ろしいほどに旧体制のままに、中世的制度になんの疑問を呈することもなく、体制をあるがままを受け入れて塾がそれに合わせてカリキュラムなりを組み、旧態依然とした授業、テキスト、テストといった旧石器時代の様式を守っているのだということを感じております。

 と、ある冊子が某教材会社から送られて参りまして、その中でその会社の教材を使って塾を運営しているという塾長の塾が何例か紹介されておりました。

 ○福島県の某塾 当塾の中学部・集団指導の夏期講習では、○○(という夏期テキスト)を使用しています。講習の日程・時間は、これを完璧にやりきるために必要な時間数を逆算し設定しています、とある。この塾の売りは、夏休みとほぼ同期間内で、中3は毎回5教科、中1・2は毎回4教科やること、なのだそうです。ただし、授業時間は午前中3~4時間に設定して、短めにし、後は、家庭学習の習慣づけを促しているのだ、そうです。

 ○千葉県の塾 当塾は、個別指導を持ち味として、生徒に合わせたオーダーメード式の夏期講習を行っている、とある。当塾のある地域は部活動が盛んで、中には全国大会に進む受験生もいます、とあり、勉強と部活動の両立を支えるのも、塾の役割だと思っています、と凄いことを言う。この塾は会場を貸し切り夏期合宿もやり、別に、理科実験教室や作文教室などもやって、夏の宿題を終わらせるお手伝いもする、のだそうだ。

 ○佐賀県の塾 当塾の夏期講習は、電子黒板や映像を導入した授業を実施し、英数は自社製作の映像教材で復習中心の授業を徹底してやる、のだそうだ。

 いくらでも突っ込みたくなるところがあるけれど、多数の生徒を集めてどうこなすか、というところに知恵を回しているのでしょう。地方の塾だと、受験校も少ないでしょうから、生徒のモチベーションもそれほど高くない、部活なんかも東京以上に盛んなのでしょう、秀才は少なく、天才などほとんどいない、そういう中で塾を経営していくというのは、親や学校の方針に逆らうことなど許されないのでしょう。部活と受験の両立などと平気で言うけれど、阿り、媚びを売る、高らかに謳うところがすごい。

 塾専用教材というのは、各社も生き残りをかけているから、必死でいいものを作ろうとしている、そういうことはわたしも認めます。わたしも市販の教材を、特に、高校受験では利用することがある。ただこれを使って授業をするために、カリキュラムを組み、生徒を集団的に扱う、ということは考えてもいない。いい参考書を出すところ、つまり出版社はある、例えば、学研とか、Z会とか、旺文社など老舗の出版社はさすがに参考書作りがうまい、感心する。だからいいものを見つけて利用する。しかし、そういうものを使って集団を扱うなどということはない。

 都内の塾だって、やってることは五十歩百歩だ。塾というのは、集団をテキストという核の道具を使って、授業とカリキュラムで処理する、そういうことでしょ。これに、個別指導などという、オプション、あるいはこれをメイン事業にして、商売する、そういうことです。某大手の個人指導などは、1回70分だったか、90分だったか、週1回で、49000円もとるというから、驚きである。中には、週2回とか、3回とか、兄弟で通うとか、そういう子たちがいて、とにかく東京というところはすごいところです。そういう商売が成り立つのが凄い。まあ、テキストと授業とカリキュラムというのが、ひとつの方法、わたしから言わせれば旧石器時代そのままの、あるいは、中世そのままの体制のようにしか思えないのですけれど、大手などは、このテキストもカネをかけて売りにする。こういう体制に中世ママや、パパが、それが制度とばかりになんの疑問もなく飛びついてくれるわけです。

 よく大手のテキストを使っていることで、安心しきった親がいますけど、四谷大塚などはテキストを公開していますから、いろんな塾が使うこともできるわけです。サピックスだって、新小学問題集ですから、どこの塾でも手に入るわけです。この大手のテキストをやる、使うというのが、どうなのか、ということもひとつ問題なんです。いや確かにいいテキストです、わたしはそう思います。新小学問題集や新中学問題集を使っている塾はたくさんあるでしょう。あれはよくできたテキストだと思います。わたしも昭和64年、つまり平成1年頃には使ったことがあります。四谷大塚の教材も使ったことがあります。これらの教材を使って、カリキュラムを組み、授業をする、という集団方式も悪くないかもしれない。いや商売としてである。天才は天才を発揮し、秀才は秀才としてあり、他の99%の凡才は・・・、そういうことなのでしょう。

 部活と受験の両立を高らかに謳う塾があろうとは、世の中というのは、誠に、嘘くさい。桝添を出すまでもなく嘘くさい。江戸時代なら、民の上に立つ存在でありながら、町人よりみみっちい真似をして恥ずかしくないとは、情けない、という論理になる。ヤツにかかればなにをしても何に公金を使っても、風が吹けば桶屋が儲かる、程度のつながりで、なんでもかんでも公的行為と弁明されてしまう。世の中で、いちばん楽なのが、自己正当化ということは、本当の話だ。桝添ル母親ならいくらでも出会ってきたから、別に驚かないけれど、「ナニ様子育て」「オレ様子育て」の母親、祖母にはさすがに出会ったら第一巻の終わりと思っている。

 個人指導をやってるとか、大手に通って大手のテキストで勉強しているとか、言って、まともにできる子を見たことがない。まあ、天才なら黙って勉強しているだろうから、出会わないのはしかたないけど。 

 どこそこの塾に1年、2年、3年と通っていた、という子で、まともにできる子も見たことがない。まあ、できないから、あちこち探すということだろうから、これも道理なのかも。

 塾というのが、わたしにはどうしても嘘くさい、信用できない。塾をもう30年以上もやっていながら、いつも思ってきたことだ。だから、自分だけはそういう陳腐な塾の先生にはなってはならない、と戒めてきた。子どもたちをどう導いて、結果を出せばいいのか、いつもそればかり考えてきた。だからわたしには「できない」、どうしても「できない」という生徒、子どもがいることを正直に話してきた。わたしのできるところまでやってはみよう、しかし、あるところまできて、もうこれ以上はだめだと思ったら、ごめんなさい、もうできませんと、正直に謝ろう、と思う。あるときからそう考えるようになった。そういう思いでこれまでにも退塾をお願いしてきた子たちがいた。基本的な割合まではなんとか理解できるまでになりました、それから先の指導はもうわたしにはできません、というふうに言いました。カンニングする、そういう子が、そういうことをするまでに追い詰められている心理的状況をいろいろ考えて、指導できないということだってあります。私は、世間の万能の塾の先生のように、どんな子でも、わかりやすく教えられる、というような才能は持ち合わせておりません。

 わたしはわたしにできること、すなわち、わたしにできるのは、天才を育てること、秀才を育てること、その程度の能力しかないとおもうのですが、そういうところで神の域を手にすることをめざしました。竹の会の入会テストは、わたしの指導できる対象を選別しているにすぎません。どの程度をもって最低線とするのか、学校の通知表で「よくできる」が、8割前後が目安になると思います。

 「よくできる」が8割あっても、現実には、できない子たちです。割合なんかもほとんどわかっていないと思います。学校の優等生とはその程度のものです。でも、ひとたびそういう子たちがわたしの指導を受ければ、それは神のメスが入ることになるでしょう。彼ら、彼女らは、たちまち才能に、眠っていた才能に目覚めていくことになるでしょう。

 わたしは、神の指導域、指導技術を求めてきました。わたしがレジュメによる指導というものをいつの頃から始めたのか、正確には記憶しておりません。平成17年には、高校受験生のために、確かに、これまでの竹の会のテキストというものを新しくレジュメに作り替えていく、そういう大事業に取り組んだことは確かです。わたしが、レジュメに完全なる解説を責任執筆するようになったのは、LECという予備校で、問題を制作していたことが大きな影響を及ぼしていると思います。そこでは、問題を作るのも大きな仕事でしたが、その何倍もの時間をかけて解説をつくらねばならなかったのです。自分の作った問題には詳細な解説をつける、これが常識でした。だからわたしは自分の作ったレジュメには徹底して解説、答案を作るようになりました。小学生向けのレジュメ制作が本格化したのは、おそらく平成20年なのであろうと思います。あの年に都立西に女子が合格した。わたしのレジュメだけで合格した第1号でした。それまでの伝統の過去問合格法という手法を止めて、ひたすらレジュメで問題提起してきました。わたしが気になる、これはという問題を最新の情報として提供してきました。レジュメによる指導体系の確立、竹の会の思考育成システムの完成には、わたしの血に滲むような苦しい、呻吟の日々、試行錯誤、実践と失敗の日々があったのです。わたしはいつもいつも考え続けました。小学生に思考力をつける、どうしたらいいのか、どうすればいいのか、時には神に請いました。どうか教えて下さい、と。苦しんで苦しんで、わたしはいい方法というものをひとつひとつ考えてはこれだと思い到り、指導技術として、蓄積していったのです。

 ◎勉強は懼れることから伸びていく

 試験前に、不安になりませんか。だったらあなたは正常です。いやまだ見込みはあります。思い返せば、わたしは、中3のとき、1日7時間毎日がんばりました。あれは、恐かったからです。よく夢を見ました。いつも鬼婆とか、鬼、何か恐いものに追いかけられるのです。わたしは必死に逃げました。必死に走りました。鬼は今にもわたしの背中の衣を掴みそうでた。何度か背中を掴まれます。わたしはもう必死に逃げ惑うのです。目が覚めたら、びっしょりと汗をかいていた、そういうことがよくありました。あれは中3の2学期のことだったのか、わたしが、どうしても勝てなかった、ライバルの天才を初めて抜いたときからだったのか、わたしは追い抜かれたくない一心で、いつもいつも追われるように、何か強い力に無言の力に圧されるように勉強したのです。学校から帰るとすぐ1、2時間寝たと思うのです。それから夕食で起こされて、ご飯を食べる、近所の温泉にはいつ行ったのか、夜だったか、とにかく7時には勉強始めていた、もう夢中でやっていた、午前0時を過ぎて、家族がみな寝静まってもやっていた、午前2時に寝る、いやもっとと午前3時を過ぎると、目が冴えてきて、もうらんらんと目は活字を追い続けた。明け方寝たのです。そしたらもう7時には味噌汁の臭いがしてきて、目が覚めた。

 勉強の原動力は怖さだった。2番に落ちること、これが恐かった。試験でひどい点数取ったらどうしょう、と懼れた。わたしはいつも懼れた。だから勉強した。わたしを勉強に駆り立てたのは懼れだった。恐怖だった。恐いから勉強した。

 勉強しなくなった人には、もう怖さがない。なにも感じないくらいに怖さや不安がない。だが、焦燥と後悔に満ちているはずである。怠けることに自責と自暴自棄の観念がいつも心を痛めつけるはずである。やがて無力、無気力となっていく。多くの並の人間の生き様である。

 いつも懼れなければならない。懼れるからだから勉強する、頑張れるのだ。勉強を懼れなくなったら、そのときにあなたの人生はもう終わっている。

 

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