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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/子どもは放置すればバカになる

2016.12.08

 おはようございます。素晴らしい天候に恵まれました。師走は早いですね。忙しいせいか時が進むのが速い。光陰矢の如し、とは至言です。江戸の昔、「時」は、太陽の影で読んだ。いわゆる日時計ですね。かの頃は「時」は目で追えた、見えたのですね。「時」をつかまえるなど夢にも思いませんが、江戸の人はちゃんと「時」を目で見る術を心得ていた。

 さて今日は朝からいろいろと次の準備に追われてまして、ようやく少しだけ余裕ができました。

 昨日は渋谷Aの指導日でしたが、いろいろ違和感を感じた日でありました。小4は、「遅い」、「時間がかかる」ということが気になっています。割合のレジュメをその日に出せないで次回に出す、すると不思議と正解ばかり、これはわたしにはかなりの違和感があります。これほどできるのならその日のうちにすぐ出せるのではないか、そう思うからです。計算4題に2時間以上かかる子はいったいどうなっているのでしょうか。これはもう違和感だらけです。「遅い」というのは、「時間がかかりすぎる」というのは、よくない兆候です。遅いにもほどがあるということです。

 一般的な話しですが、一番わたしにストレスなのは、わたしが指導をコントロールできていない状況です。わたしが指示したことを逐一わたしのチェックを受けながら進める、こけが理想です。まったく出してこない、やるように指示したレジュメもスルー、それで何をやっているのかと言えば、自分の判断でわたしの関知しないことをやっている、これは指導の外にあるわけです。

 竹の会で指導を受けるということは、逐一やるべきことの指示を受けながらやるということです。決して勝手に進めていいということではない。何をやるかを決めるのは私です。わたしには指導の手順というものがありますから、やるべきことを勝手にやられたら指導はなりたたないでしょ。

 竹の会では、入会に際しては、入会試験を実施し、これに合格した場合に入会できることとしています。理想的なのは、小4の8月前後にこの試験でA合格することです。竹の会の「入会試験Ⅰ」は、如実にその後の子どもの進捗を予測しています。入会試験Ⅰは、全6問構成で、全問正解をS合格、5問でA合格、4問で合格です。3問を準合格として、空席があれば入会可としてきました。

 小4の2月から小5の4月までにこの試験でA合格をとれたとしても、保証の限りではありません。伸びる子と伸び止まりの子、両方が含まれる可能性が検証されています。ましてやA合格もとれない、ということであれば、その後の指導が壁に突き当たる可能性が高い、と思います。

 小6前後はたとえA合格がとれたとしても、よほどの知能がない限り、失速する可能性が高い。思考形成に必要とされる小5の1年間が「ない」ということが決定的です。小5前後にきたとしてもやはり実は遅い。小5の1年間をフルに訓練に使えないからです。仮に、小4の2月から始めたします。たいてい小数からです。分数は通分ができる程度ならいいほうでたいていは何もできませんから、そこから始める、すると計算をマスターするまでに2か月前後はかかります。小5の4月あたりまではかかるでしょ。それから割合の導入をやる。これには最低2か月はかかる。割合らしい、思考訓練に入れるのは、小5の6月あたりからでしょ。つまり、小5の1年間をフルに訓練に使えない、というのはこのことです。そうした段階を小4までに終わらせておく、そして小5の1年間は徹底して思考訓練をする、これです。もし小6前後にきた子が、計算からだめならそこから始める、するともうこれは絶対に間に合わない。大手からきた子というのは、大手で1年なり、2年なり、やってきたことが何の下地にもなっていない、ことがほとんどです。無駄に過ごしてきた、意味のない期間です。

 塾に行っていないというのもダメですね。何の訓練もなされていないのは同じだからです。家庭でやる勉強は訓練というにはほど遠い。歌舞伎役者の子は幼いときから徹底して芸事を鍛えるでしょ。日本舞踊とか、能・狂言師だってそうでしょ。観阿弥や世阿弥の時代は、7歳からとか言ってましたけど、芸に馴染ませるのはもう2歳とか、3歳でしょ。そのあたりから訓練していく、厳しく鍛えていくわけです。人間というのは、そういう時分から鍛えていって初めて一流になる、そういうことです。わたしは勉強も同じだと思っています。早期かどうかはともかく訓練しなければただの凡人、いやバカになる、そういうことだと思います。勉強が訓練だという認識で、歌舞伎役者の親のように振る舞うこと、そういう親はあまりいないでしょ。塾というのも、訓練などという認識は持っていないのがほとんどでしょ。「教える」ところ、「習う」ところ、と考えて疑わない。たいていの親は塾をそういうところと心得ているから、テキストを使って、授業してくれる、そういう認識しかない。だから「教え方のうまい先生」とか、「テキストがいい」とか、「先生とうまがあう」とか、そんなことばかり言っている。訓練する、という認識などまるでない。芸事を訓練して一流に仕上げるように、勉強というのも、訓練です。訓練の結果、思考というものが、鍛えられてくる。ただし、思考というのは、本質的に、知能に依存するものです。もって生まれた、もともとの天賦の才、知能こそが、思考を質のいいものにする。これも真理です。

 ただどんなに知能が高くても、訓練しなければただの人です。ただ真の天才ならそれでもいずれはその天分を発揮するときはくる。わたしが言っているのは、そういう真の天才についてではない。学校の優等生クラスです。「よくできる」が8割前後ある、そういう子でも訓練しなければただの人で終わる可能性が強い、そういうことです。そのレベルの子であっても訓練しなければだめになる。かつてエナに通っているというかなりの優等生が小6になって伸び悩んでいるという話しを聞いたことがありますが、これは塾というものが「教える」、「習う」ところという認識から一歩も出ていないということです。塾も親もそう信じて疑わない。ちがうんです。どんな優等生でも訓練しなければダメになる。塾でなにかを習う、そんなことを考えているから伸びていかないのです。思考というのは、「習う」とか、「教える」とか、そういう範疇では決して伸ばせない。わたしはそう思っています。訓練して、もともとある知能を引き出す環境を整える、そういう発想です。

 子どもが小3になったので、そろそろ近くの塾にでもやりましょうか、そういうものではない、ということです。訓練を開始する、そういう認識でなければならない。それは芸事の訓練と少しも変わるところはない。

 

 

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