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最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/小6の母親たちの憂鬱

2016.07.02

 おはようございます。いよいよ7月となり梅雨とはいっても相変わらずの煮え切らない天気でこのまま中旬には梅雨が明けてしまうのではないか、いやその前にまとまった雨があるかもしれないと期待もしたりで、とにかく子どもたちには夏休みを控えた比較的ゆるやかな時間の流れる時期ではないでしょうか。

 わたしもこれからいろいろ動かなければならず時間がないのですが、後でじっくりと書くことにして取りあえずの更新です。明日の準備はほぼ終わっていますので、あとはいつもの原稿の執筆が残っているだけてずが、これは夕方からということになります。

 竹の会の新規募集については、現在小3ないし小4を募集しておりますが、来年の1月を最終として、3~4名募集の予定です。ただし、渋谷Aについては、9月時点で空席は1、2名まで、来年の2月に空席が5名出る予定ですので、空席が出るまで「渋谷B」へ入室されることをお薦めします。

 渋谷Bについては、入会試験「準」合格者、入会試験に合格するも曜日が合わない等の事情のある者、渋谷Aの空席待ちの人などに利用していただければと思います。

 現在、渋谷Bにおいて指導しています小学生につきましては、夏休みの指導の成果が順調に上がっているのか、を端的に検証し、本人の努力の姿勢を第一に評価し、9月以降の継続の可否について、親御さんと話し合いを持ちたいと思っています。その旨どうかご了承くださればと思います。

 竹の会では、今の小6の世代について、小4期に募集をしたのですが、実は、全くと言っていいほど入会者がいませんでした。ただ竹の会の合格実績を見ていただければわかるとおり、いつも生徒が集まっていたということは終ぞなく、平成21年はとうとう事実上受検者なし、24年も不作、26年も不作というふうに、そういう逸材の集まらない年というものはあってきたわけです。今年がそういう年にあたるということです。ただ20年の不合格者が、23年に都立小山台に合格し、24年の不合格者が27年に都立戸山に合格し、25年の不合格者が28年、つまり今年戸山に合格した、ということはあるわけです。

 ただ今年はある意味竹の会には特別の意味がありました。竹の会で、ほとんど「合格はんこ」をとれなかった、準合格、あるいは準準合格レベルの子たちが、なんと合格してしまったのです。こういうレベルの子たちでも適切な指導がとれれば合格することもあるのだということでは、大きな収穫のあった年でした。

 ※準合格というのは、6問中3問正解、準準は、その中でも、制限時間を無視して時間をかけた結果3問正解という場合です。

 昨日のことでしたか、教室のほうに小6のお母さんという方から入会試験を受けられないか、という問い合わせの電話がありましたが、渋谷Aは空席もないのですが、それよりも小6というのがいかにも遅いと思います。今の小6の世代というのは、小4のときに竹の会がいくら募集してもこなかった世代です。この世代は竹の会とは縁がうすい、ないのだと思っています。現在いる小6も2名はぎりぎり小6になる2か月前、ないし4月から来たもので、それまで大手にいた子たちですが、そういう子たちでさえ、計算から鍛え直さなければならず、割合の理解も「ない」に等しいものでした。ただ入会試験ではA合格をしたけれど、小6直前ということは割引しなければならない。総じて、大手に通う、あるいは自宅で母親が指導するという家庭も含めて、小6の中で、どれだけこのような基本的な思考の営みに関する事項をきちんと身につけているのかと言えば、わたしの実感は、ほとんど絶望的です。「できる」と母親がいい、本人がいうとき、実際に、できた試しがありません。これは進学塾に小4期から通っているという、比較的知能の高そうな子でも例外ではなく、大手進学塾の必要悪をそのまま内蔵している小学生ならいくらでもいます。

 パラダイムということばをご存知でしょうか。その時代の、その分野の支配的規範となる、物の見方と言っていいでしょう。卑近な例をあげれば、天動説が支配していた時代の天動説です。

 ※

 医療の世界では、今でも間違った治療が公然となされている、ということを、夏井睦という医師が告発しております。大学病院など大きなところほど危ない、というのは驚きでした。医療パラダイムということですが、実は世の中というのは、こうしたパラダイムだらけなのではないか、そう思っていたほうが結局間違いないのではないか、わたしはそう思っております。間違った治療法を今でも平然とやる病院、医師とはどういう人たちなのか、と思う人もいるかもしれませんが、「正しい治療だから皆がしていたのではなく、皆がしているから正しい治療だと思っていたのだ」と、さきほどの夏井医師は述べています。

 世の中の多くの親がこうしたパラダイムを信じる人たちであったとしたら、恐ろしいことです。皆がしているから正しいと思った、ということですよね。そういえば皆があれこれと習い事、稽古事に夢中なので自分の子もそうするのが正しいと思ったのかどうか、世の中には動かされやすい、流されやすい、その時の多数の雰囲気にしたがうような人たちの層が大勢いる、ということです。テレビがある食品がいい、と言えば、翌日スーパーからその食品が消える、ここまで徹底しています。自分で判断しない、ただ周りが、全体がどう動いたか、で自分の行動を決める、のです。パラダイムというものが、ただのその時代の支配的な考えであったにすぎないのであれば、これほど不確実なことはない。まさに、大衆というのは御しがたい。

 大手塾になんの迷いもなく、吸い込まれるように入る親たちのなんと多いことか、ここで親たちを支配するパラダイムとはいったいどういうものであろうか。みんな大手に行く、だから大手に行くのは正しい選択だ、と思っているのであろうか。世の中は自己責任の原則が当然なのはだれも文句はあるまい。自ら選んだ選択肢については、失敗してもだれにも文句は言えない。いや大手には限らない。どこやらの塾に行っている、という小6でなぜかまともな子がいない。わたしはもう東京の渋谷で30年以上も高校入試や中学入試、ときには大学入試も指導してきた人間である。そのわたしから見て、世の中の特に母親のパラダイム的行動というのは少しも変わっていない。昔も今も大手に行くという親たちの信仰は変わっていない。わたしが出会う、出会ってきた小6たちは、いつももはや手遅れ、末期的という子たちばかりであった。

 どうしてこんなことになってしまうのか。塾に行かない選択というのもあるけれど、こちらはこちらでやはりまともな子はほとんどいない。かつてどこやらの父親が「わたしの息子は塾に行かないで受かりましたよ。」と言い、わたしに「危険な思想ですね」というコメントを書きこんだことがあるけれど、世の中には天才というものがいるものです。こういう子というのは、塾へ行かなくても受かることも不可能ではない。ただそれを、普通に一般化することはできないでしょ。ただ一つの特別事例を根拠にわたしの考えを「危険な思想だ」と決めつける、その根底には、なにやら塾に遺恨あり、のような意識を感じますけれど、「危険」とか、「思想」とか言う言葉を平気で使うのは、なにやら戦前の貧乏の臭いがしないでもない。

 時を支配する考えが、一世を風靡する考えが、正しいとして、自分の行動準則とする、そういう人間だけにはなりたくない。何がほとんうに正しいのか、見極めることは困難だとしても、いつも懐疑的に見ていたい。それはそれとして、小6になって、あなたたち親が小4のときに選択した行動の成否が、結果が問われている、そういうことでしょう。

 小6の親、特に母親の憂鬱はこれからが旬なのか。

 これだけは言える。わたしはいつも世の親御さんたちに、竹の会にくるなら、小4です、小3でもいい、このときに子どもたちにもっとも大切な考える習慣、勉強スタイル、勉強へのスタンスというものを形成していかなければということです。正直小5でも遅い。小6ではもう手遅れです。かつて小5の12月に竹の会にきた女子がよく嘆いていた。もっと早く竹の会に来ていれば、と子どもながらに嘆いていた。いや竹の会にやってきた子たちはみなそういうことを思うようです。ただ小4にきたからといって皆がうまくいくわけでもない。もって生まれた才能、天賦の才というものがなければどうにもならない。しかし、それでも大手に行けば確実にただのバカになっていたことだけは云える。

 世の中はパラダイムだらけです。ただ竹の会だけは決して誇張もなく嘘もなくただありのままの真実を伝えてきたと思います。

 小3、小4のみなさん、竹の会はいつでもあなたたちの訪れるのを待っています。

 

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