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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川、桜修館への道/試験本番に力を発揮できるか

2016.06.26

 おはようございます。今朝は青空とはいかないまでもうっすらと空全体に雲が広がり、通塾には問題ないかと思います。本日は、渋谷Aの指導日です。6月、7月の指導日は、夏期指導を組むために、やや前倒しになっております。したがいまして、本日が渋谷Aの6月最終指導日、明日が渋谷Bの最終指導日になります。

 7月、8月というのは、いろいろと意義深い月であります。中1に取りましては、夏休みの明けた9月以降には、夏の勉強量というものが、大きくその差を広げることになるでしょう。よく中1の9月、10月の定期試験が急に難しくなった、ということが言われますが、夏に勉強そっちのけで遊んだ中学生には特にそうなのかもしれませんが、事実難しくなる、というか1学期がお試しで易しすぎたということなのです。

 中2は、本来夏に高校入試指導スタートのはずですが、今年はそういうことにはなっておりません。高校受験では、ほんとうに自明のこと、あたりまえのことと認識しなければならないのですが、中2が終わるまでに、高校受験の基本事項は一通り終えていなければ、その成功は「ない」ということです。中3になって、頑張るということでは乗り越えがたい壁がある、ということです。中2の間に、中2のことだけやっていればいい、ということでは決してない。わたしの指示が手順通りに進められないのは、高校受験に失敗する道を選択することにほかならない。100%指示にしたがうことが成功への道です。

 小6には試練の夏になるでしょう。去年の夏は、1日7時間、最低7時間の勉強を希望しましたが、実行したのは、2名のみでした。あれだけ時間があったのに、返ってくる言葉は、「3時間ちょっと」とか、「4時間弱」です。中には勉強を全くしないという日もあったやに聞いております。試験というのは、ただに能力だけのことではない、本番に力を発揮できるかは、普段の勉強、ブレない勉強姿勢にかかっている。普段、特に夏休みですが、40%ほどの力で戦っていて、どうして本番の日にだけ100%の力が発揮できるのか、ということです。普段120%の力を尽くしていて初めて本番でせいぜい100%の力を発揮できるということではないですか。試験直前に頑張るのはあたりまえです。この時期はみんながんばっているでしょう。特に、小石川や桜修館の受検者は、私立難関中の受験者も多い。となれば大手進学塾で夏も1日10時間はやっていると見ていい。それなのに、勉強しない日もあるというようなことをやっていて、それでも勝てると踏んでいる根拠はいったい何なのか。

 小6の1学期の過ごし方にもわたしにはかなりの不満がありました。習い事や稽古事、あるいはスポーツで週の何日かを潰しながら、それでも「受かる」と本気で考えている人たちがいるからです。少なくとも竹の会にはそのような天才はひとりもいなかったと思います。大手進学塾で小4のときから、週に3日も4日も通いながら、勉強一筋にがんばっている人たちがいるということです。そういう子たちに週4日も5日も習い事に費やして、本気で勝てると思っているのでしょうか。自分の子がどれだけの天才と思っているのでしょうか。

 試験本番で100%の力を発揮できるのは、普段から100%以上の力を日常の勉強に注いできた人たちだけです。勉強をそこまでやるということの意味は、そこまで勉強に心血を注いだときにこそ得られる何かがあるからです。勉強の真髄に触れることができる。何か勉強の心髄に触れることができる。神の域です。そこまで勉強に打ち込んだ者のみが手にすることができる域です。習い事や稽古事をやりながら勉強をやっている者には決して手にすることのできないものです。どんな世界でも神の域というものがある。その神の域に達するには、そればかり夢中でやるしかないのです。

 竹の会に巡り会えた、少数のみなさんは、いつか竹の会との邂逅をまたとない、幸運なことであったことを悟るでしょう。竹の会のような塾は、この世にはひとつしか存在しない。決して同じ塾はない。そのことを知っているのは、竹の会に出会い、竹の会で学んだ卒業生のみなさんだけ、そして今竹の会で学んでいるみなさんもいずれはその真実を知るときがくる、わたしはそう思っています。

 昨晩本年九段に合格した女子のお母さまからメールがありました。

 「竹の会の皆さんはきっと先生を尊敬しているのだと思います。1人、1人に、あんなに親身に対応する塾なんてありませんよね。我が家は、ずっと竹の会にお世話になっていましたが、離れてはじめてその凄さに驚いています。」

 九段のお母さまの言われるように、竹の会を離れて初めて竹の会の凄さを知ることになるのか、思います。特に、他塾に通ったりすると「わかる」ことです。竹の会のような塾はこの東京には二つとないということを。

 わたしももう歳です。そんなに長く竹の会を続けられないのはわかっているつもりです。もしかしたら竹の会が東京のみなさんに会えるのはもうそんなに長くはないのかもしれない。それでもわたしが頑張れる間に竹の会と出会える幸運をできるかぎり多くのみなさんが手にされることを祈っております。

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