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最低でも都立戸山/小石川、桜修館一直線/小5という時期に塾で子の人生を無にする、浅はかな親たちへ

2016.06.07

 おはようございます。このところ指導の準備に時間がかかり、なかなかブログの更新までゆきません。というか、昨日は、ブログを書く気力がありませんでした。渋谷Bでは、本来の入会試験に合格できなかった子たちを人数限定で入室を許可しました。親御さんの悲痛な叫びがわたしの胸を打ったからです。こういう子たちの指導というのは、ほんとうに気の遠くなるような時間が必要です。日々の理解も一進一退、遅々たること多くて、そうでなくても勉強意欲というか、向上心というものに乏しい子たちが多いものです。負荷をかけすぎるとすぐに潰れてしまうかもしれません。中には、2時間かけて計算1問をようやく解いて、もう帰るという子もいます。正直もうやめたら、と思うこともよくあります。しかし、なぜか子どもは休まないでやってくる、計算1題解くためにわざわざやってくるのか、と思うこともありますが、思い直して、また気長にようすを見ることにします。もう少し待ったらもっと欲がでるかもしれないとつい思ってしまうのです。

 さて、それとは別に、わたしは昨今の親、母親主導の家庭もあり、父親主導の家庭もあるようですが、いずれにしましても、自分の子が余程の天才とでも思っているのか、いやあるいは、学校でまずまずの成績と満足しているのかもしれませんが、とにかく、大手塾に吸い込まれるように、いや迷いなく入れてしまうという「右へならえ」思考にあまりにもアホらしくて気の毒になるのです。

 それは、小5の親たち、いや後に続く小4の親たちも同じことですが、まるでありが続々と蟻塚に入り込むような風に見えてしまうのです、赤信号みんなで渡れば恐くない!というような言葉がありましたけど、まさにそのようなことであり、現代の親というものが、いわゆるB層に属し、大勢がどう動くかで自分がどう行動するかを決める、流されやすい人たちであるということは、東京都知事に桝添を迷いなく圧倒的多数で選んだこと、原発再稼働をいつのまにか積極的に進めるなど、平気でウソをつく自民党や公明党を大勝させたことなどをあげるまでもなく、わたしにはわかっていたことでした。

 とにかく現代の親たちは大手を選ぶということでは悩みません。いや「うちの子は大手ではやっていけない」ということに気づいたまではいいのですが、結局は塾が商売の小商店みたいな、個人塾や中小塾に入れてしまい、小商店主や町工場の社長みたいな塾長に言いくるめられてしまうのがオチなわけです。大手を避けたことが、意味を成さなかったという親も多いことでしょう。 東京という大都市圏に限っても、本物の塾を見つけることは至難なことだということでしょう。

 こうして親たちが、自分の子の将来を案じ、いろいろと思案して、結局自分の子をバカにしていく過程というのが、一般化していることをわたしはあまりにもアホらしい親たちの行動を見て嘆いているのです。

 ある親御さんは、わたしのブログを読んで悩んだそうです。わたしの言うことが「もしウソだったら」と考えたそうです。それで数か月間、大手や個人塾などに行き、小6になってようやく竹の会という選択をした、というのです。大手は大手というだけで、「もしかしたら騙されているかもしれない」ということは考えるはずもなく、「とりあえず」入れることに躊躇はないわけです。大手というのは、何人受かったと言い募りますが、いやまた大手の言う合格者数がいったいどこまで信じていいのか、疑わしいのですが、それじゃー、何人の在籍者が落ちたのか、ということに関しては、決して言わない。いや大手なんかは、結局失敗した、落ちたという人ばかりのはずなんです。ところが親というのはどういう頭の構造をしているのか、自分の子は成功するグループの中にみな入っていると信じて疑わないわけです。落ちるのはうちの子以外のだれかと考えて疑わない。竹の会のような小塾ですと、都立だって受けるのは少ない、2、3人である。だから失敗した親は詰ってくる、非難してくるわけです。一方的に塾を責めてくる。自分の子がいい子ぶって、できる子を装い、わたしを騙したことなどなにも知らないほどの脳天気ぶりです。これが大手なら、大手は大手というだけでどんなに誇大広告、虚偽広告しても、それで騙されたと思う親はいない。

 小5という時期、これほど大切な時期はない。この時期の親の選択がおそらくはその子の将来を規定してしまうであろうことはわたしには実証的に証明されてきたことであった。 

 昨今の親の行動はと言えば、私立受験をめざして進学塾に小3、小4から通わせる層、都立中受検をめざして塾に通わせるけれど、その時期は、小4、小5,小6と区々である層、受験しない層、すなわち塾には行かない層の3層が観念できるかと思います。進学塾型だと「頭の悪い子」が、親を悩ませるのは昔も今も変わりません。進学塾で「できない」と分類された子たちの未来は悲惨なものです。もちろんそういう子がバカだとレッテルを貼られることはなく、塾は「がんばれば合格する」とウソを言い、親はそういうありもしない話しを信ずるわけです。塾はそういうことでカネを儲けているわけです。中には、受験に失敗して公立中でやる気をなくしてしまい、どんどん落ちていく子たちもたくさんいます。都立中受検型というのは、いわゆる落ちこぼれというものが顕在化しないのが特徴です。大手塾は、偏差値というものが出ないことをいいことに猿でもわかるテキストを小4、小5、小6と使うわけです。ただ大手は特別講座みたいなオプション講座が多数あり、こちらで物足りないと不満を募らせる頭のいい子たちの緩衝剤にしているようです。いずれにしても平凡な頭の子たちでも苦もなく理解できるテキストを使う、つまり脳に負荷をかけない、これが1年、2年と続けばどういうことになるか。授業だって、そんなテキストを前提にした授業、テキストをなぞるだけの、意味のない、無駄な時間ということです。生徒は、説明を聞くだけ、せっせと板書を写すだけ、いったいいつ頭を使うの? 悩ませるの? そんな時間はない。大手の子たちというのは、頭を使わないで済ますということに慣れてしまっている。大手か個人塾かを問わず、個人指導を受け続けていると、「わからない」とすぐ説明を求める習性というものが身についてしまい、理解するとは、人の考えた説明を理解することだと勘違いしてしまっている子がほとんどである。

 夥しい数のバカ親が、大手というバカ化課程を修了させるために右へならえで自分の子を入れているが、こういう親は自分の子がどれだけバカなのかもわかっていない。わたしがチェックした子は絶望的な子ばかりだった。大手に2年通って、中1になって竹の会の入会試験で0点というのは、いったいどうしたことか。そんなになるまで親は気がつかずに、大手を信用できるのはなんなのか。一般に大手に行かせている親というのは、絶対的に大手を信用して止まない。竹の会だとわたしの言うことが「ウソかも知れない」と疑うのに、大手だと「信用する」、それが世間一般の親なのだろうと思う。

 だからわたしもアホらしくなって、もう学校の説明会などでチラシを配るのは止めた。九段のチラシ配りもほとんど効果なしとわかった。第一、九段の合同説明会に来るのは、もうどこかの大手に行っている親子ばかりでしょ。今更、竹の会などという聞いたこともない、胡散臭い塾なんかに目を向けるはずもない。そこでわたしも開き直って、そういうバカ親を「バカだ」と遠慮なく書くことにした。最近のわたしのブログには「バカ」という言葉がやたら多いと子どもたちが騒ぐ、つまりは親御さんがそう言っているのでしょうけれど、わたしはもう本音を書かせてもらうことにした。バカに気を遣って遠回しに言っても通じないと思うからである。

 それでもこの広い東京には、まだ心ある親御さんがいるかもしれない。そういう思いがあるから訴える。小5のロスは取り返しのつかない、人生を規定しまうほどに大きな失敗となる。わたしは、知っています。大手でも個人塾でも同じで、塾という選択の失敗がもたらす悲惨な子の現状を。受検を志し、大手なりに行ったのはいいけれど、1年後、2年後、計算もまともにできない、割合もわかっていない、そういう子が現実には多数なのです。親は呑気に1年も2年も大手に行かせて、「うちの子は計算が弱くて」とか、「割合が苦手で」とか、言いますけど、そんなら、大手の2年間なり、1年間なり、はどういう成果があって、納得しているのですか、と聞きたいものである。大手で思考というもの、勉強というもの、勉強習慣、思考態度というものを形成してこなかった、それで受検失敗したという子が、いったい区立中学でまともに勉強するのか、成績をとれるのか、そちらのほうを心配したほうがいい。

 竹の会は、小4を求めています。今もっとも来てほしいのは、小4なんです。小4の親御さんが、また大手に自分の子を託して、どうしようもない子どもに仕上げていく、そういう人が大多数としても、心ある親御さんがこの竹の会の主張を真摯に受け止めて、竹の会にきてくれる人が必ずいると信じています。

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