画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川は天才、桜修館は秀才/竹の会との出会いが塾というものの既成観を転換させる契機となれば

2017.03.15

 

 おはようございます。今日は一日曇り空のようです。気温もやや低めで5~9℃です。それよりも花粉の飛散量がピークのようで朝起きしなには目は痒く鼻水とクシャミが止まりません。寒さもこれが最後かもしれません。いよいよ春到来の予感です。塾という仕事をやっていると一年というのがほんとうに速い、受験というのは、とにかく前倒しで進めてなんぼであり、いつも三か月先、半年先を見据えながらやる、それで今ある時間もいつもギリギリまで仕事に追われながら追い詰められながら身を粉にして間に合わせている、だから一日が終わるのも速い。

 のんびり構えているとたちまち4月、5月となり、6月は梅雨、そして7月、8月と夏は瞬く間に終わり、いよいよ秋の気配が忍び寄る、こうなるともう受験はほぼ最終段階に差しかかるわけで、考えただけでもゾッとする。多くの親子が完全に誤解していますけど、9月以降というのは、8月までの勉強量によって決まるもので、それまでに勉強をほどほどにやってきた者が飛躍することはない。このときとばかりに勉強を最優先させても時既に遅しである。恐いのはこういう時期の勉強というのがほとんど失速してしまうことである。この時期に「力不足」と判定されてしまえばもう何をやってもだめです。力を伸ばしていくのは、8月までにもうこれでもかというほどに勉強してきた子だけです。よく小6というのに、まだ1学期だからという理由で習い事や稽古事などを続け、それにかまけて発表会に向けて頑張るなどということをやっていれば、失速するに決まっているのです。2学期に頑張れば合格できるなどと考えてる親や子の楽観の根拠はいったいどこからくるのでしょうか。受かる子はもう7月、8月にはできあがっています。小5のみなさんは、勉強するのはもう今です、今しかないのです。7月、8月には仕上がっている、それでいてこそ9月からの勉強が生きてくるのです。8月までに勉強に専念できないという事情をわたしに隠していたということが「落ちた」後に「実は」とわかることがよくありましたが、なかには、9月以降も毎日朝練に出ているなどという親子もいまして、唖然とするばかりでした。わたしの指示はほぼスルーされてもう自分のやりたいことを思い通りにやってきたわけです。誤解のないように言っておきますが、わたしの指示が生きるのはきちんとわたしの指示を100%遵守してきてこそです。勉強量が絶対的に不足した者に出す指示ほど虚しいものはありません。勉強することはするけれど自分の好きな勉強に夢中になって他の科目はいい加減に放置してしまう、これもダメです。バランスのいい勉強が大切です。中2の子から数学が苦手で点がとれなかったという報告をうけましたが、これは正直衝撃でした。前倒しでやってきたはずだからです。理解するのがせいいっぱいというのはよくありません。解説を読んで「わかった」というのがダメなのと同じです。これだと新しい問題には対応できない。自ら考えた答案を解説を読んで確認していく、その場合は、自らの答案は少なくとも80%はできていなければならない。全く0点で解説を読むということではまずそもそも無理だったということです。能力がついていってないということです。これだと独自問題などには太刀打ちできない。

 世の中の親というのが、特に、大手ファーストの親というのが、自分の子がよほどの天才でない限り、挫折することはわかっています。まずこの人たちというのは、既成の塾概念に囚われて他塾を見るという枠が固定されていて、塾というのは、授業と講師、それからテキストがあたりまえという目でしか見れない。だから竹の会が真摯に訴えても胡散臭い塾だと頭から否定してくる。竹の会では去年まで九段などの説明会などがある日にはチラシを配ることもありましたが、このチラシをまず受け取ってくれない。それから受け取ってもまずほとんど読まないか、読んでも関心をもつまでにはいたらない、それで永久に竹の会と出会うなどということはない、それが現実でした。竹の会というのは、大手のように広告費にはカネに糸目をつけないというような真似はとてもできませんから、親が竹の会を知る機会というのはほとんど限られているわけです。東京23区を視野に入れていますから口コミも期待できない。それで渋谷教室になってからほとんど生徒が来なくて気がついたら4年経っていました。

 この塾はすごい、と本気で思わせる塾、わたしは塾というものはそうでなければならない、と思ってきました。世の中の大多数の親たちが大手絶対という中で、竹の会は独自のスタイルを貫いてきました。大手に不安をもつというのが出てこないのが不思議なのですが、気がつくのがたいていは遅く、小6になってではお話しになりませんが、小5でも9月ではもう遅いと思います。それで転塾を考えてもそう簡単にいい塾が見つかるわけもない。東京には塾は夥しい数ありますが、その中にいい塾と言えるものがどれだけあるかとなるとわたしなんかにはさっぱりわかりません。いろいろと広告などを検証してもわたの眼鏡に適う塾は見たことがないのですから。

 「3か月で結果が出せなければその塾はダメだ」と言って、3か月で止めた親子がいました。いやもう二十年も前の話です。確か中3の9月ぐらいにやってきた。この部類の人種が好んで使うのが、コストパフォーマンスという言葉でした。これだけは不思議な一致でした。自分の子のバカさ加減は棚に上げて専ら塾のせいにするところが笑えます。違うでしょ、自分の子がバカだからでしょ、と突っ込みたいのを我慢してるのがわからない。自分の子は原因ではない。いや自分の子は人並み以上に頭がいいのに塾がダメだから成績が上がらない、と考えて疑いもない。これは始末が悪い親です。むしろ早々に退塾してもらったほうがこちらも清々する、そう思ってきました。そもそもいったいそれまでどういう勉強をしてきたのか、ただこつ然と表れて結果を求めてくる、嫌な親子でした。自分の子が原因ではないと前提して疑わないのが、こういう親のバカさ加減を証明しているようなものです。古来こういうバカは相手にしないに限る。

 いや逆にです、「竹の会で三か月やっても進捗なし」なら、これは竹の会から退塾を言い渡すことになる。竹の会で手を尽くしてもどうにもならない、ならなかったというのであれば、そこで打ち切り、というのは当然の結論です。竹の会の指導でほとんどの子が伸びている、そういう現実をふまえての結論です。

 塾の体裁、例えば、ビルのフロアー全部が塾、受付には人がいて、応接室で面談し、教室が何室かあり、講師陣がいて、テキストがある、そういう体裁だけで、この塾はすごい、この塾ならなんとかしてくれる、と思う親がまだたくさんいるのでしょうけれど、東京にはそんなものには騙されないという賢明な親御さんもそれなりにいます。竹の会に目を留めてくださるのはそういう親御さんしかいないわけです。わたしは東京の塾というのは、よほど生ぬるいと思っていますから、大手が優れているという前提で話しをされている親御さんなんかを見ていると、まあ騙されて自分の子を追い詰めていけばいいのだ、としか思わないわけです。

 竹の会というのは、三か月でわかる、そもそも指導が可能なのかどうか、がわかる。だから結果によっては正直に退塾を願うこともある。しかし、大手を始めほとんどの塾というのは、まずそういうことで止めさせることはない。なぜって、そういう塾の目的はカネを稼ぐことであり、子どもがバカかどうか、勉強するかどうか、などどうでもいいことだからです。本音を言えば、子どもを犠牲にしても、親を騙してカネを貢がせればそれでいいと思っているはずです。なにしろ大手塾は株式会社だということを忘れてはならない。株式会社というのは利益をあげて株主を設けさせるシステムですよ。そもそも塾というものが株式会社であっていいのか。何か特殊な法人の道はなかったのか。つまり法規制の対象にはなるけれど。教育の一端を担うのだとしたら営利目的の株式会社というのは大いに矛盾している。世の中のB層、つまりIQはあまり高くないけれど近代的価値にポジティブな人たちからは指示されやすいことにはなるけれど。

 「竹の会はすごい」と竹の会に入り指導を受けてみて真実実感される親子は確実に「いる」と思います。なにしろわたしが身を粉にして、子どものひとりひとりの姿を見つめて、指導に生活のすべてを捧げているのですから、そのわたしの思いが親御さんに伝わらないわけがない。いやそれ以上に、竹の会の指導そのものが、「竹の会はすごい」と本気で思わせる、そういう気がします。

 それはきっぱりと大手に見切りをつけて竹の会にきた親子にはよくわかることではないでしょうか。なにしろやることなすことすべて大手と比較することになりますから。あるいは大手ではなくても他塾にいた親子にも同じことが言えます。こういう方たちには竹の会の本物のすごさというのを実感できるはずです。わたしは世の親たちというのは実は「本物の塾」というものを知らない。それで既成の大手を代表として示される塾のイメージを無批判に受け入れて、塾をどうのこうの、講師をどうのこうのと、岡目八目で批評しているにすぎない。こういう人たちというのは、「本物の塾」というときの「本物」というのが、例えば、講師が東大出ているとか、テキストが優れているとか、まあ、権威的基準なわけです。そういう見方もあながち間違いとは言いませんが、わたしはまず私立中学受験の親子は考えていませんし、一線を画していますので、ここは議論がかみ合わないおそれがある。わたしは巷に必ずいる、学校の優等生、それは内申8割基準を満たす子、そういう子の指導を念頭に置いています。どんな子でもというのではない。そんな塾がうようよあるけれどそんなの最初から無理なことなんです。だれでも指導すればできるようになる、そんなことなんかできるわけがない。だれでも入れてカネを取り効果なしなんて詐欺でしょ。竹の会をすごい塾と思う人を想定するとして、それは8割基準を満たす親子を念頭に置いてのことです。だれでもではない。

 

 

ページトップへ