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最低でも都立戸山/小石川への道/やはり大手塾で潰される子たち続出のリアル/根拠を問え

2016.07.17

 おはようございます。7月17日、日曜日、本日は、渋谷Aの指導日です。学校はもうすぐに夏休みですね。この一週間、大手に通う小5や小6の親御さんからの問い合わせが集中しました。夏休み直前ということもあったのでしょうね。よく親御さんが大手を選ぶ理由というものを挙げているのですけれど、なんといっても「近い」、地元というのが、選ぶ動機になっている気がしました。大手というのは、私鉄沿線の駅前には必ずといっていいほど教室を設けますからね。今や上場して営業利益を追求する企業となった大手塾もありますし、大学入試の通信添削で有名なZ会が、このところ教室を展開し、人を集めている。そのZ会は栄光を傘下に収め、こちも営業利益優先の様相です。大手のエナなんかは、大学生講師もいい人が多くて教室は笑いに包まれた和やかな雰囲気だという話しも耳にしております。ただいい話しばかりではなく、別の某大手では、授業妨害する子もいたりして、騒然としているところもあると聞いております。教室長しだいで雰囲気がガラリと変わったという親御さんからの報告もありました。ただ教室長云々は怪しく、もともと入塾時はいいことしか言わないでしょうし、こういう大手塾というのが、かなり恣意的な運営をしていて、泥縄式のつなぎをしている、というのはわたしにはわかっていましたから、「それまでよかったのに」というのは、もともとのところが出てきたということではないかと思います。学生講師を使い回していれば無理も出てくるでしょうし、都立と私立の授業を一緒にやることもあるというのは、あれだけ人を集めて、時間を細切れにして、商売していれば、コマが足りなくなるのは当然で、そういうこともやるでしょうね。実質的な製品の品質低下で看板通りではいつしかなくなったということです。とにかく企業ですから、どんな子でも申し込んでくる子は入れるだけ入れてしまえというポリシーなどない営業利益最優先でしょ。

 わたしは大手で自分の子を地元だから安心だとでも思ったのでしょう、そのあたりが実は大手を選んだ、真の根拠かと思いますが、この安易な選択がもたらす代償はあまりにも大きい。確実にバカになっています。思考の欠片もないバカが製造されていますね。ただ地元だから、近いから、大きいから安心でもあると選んだ塾なのでしょうが、わたしから言わせればもはや取り返しのつかない、鞏固なバカにしてしまったとしか見えない。きっと大手でなくても個人塾でも、地元で近いからという理由で選んでいるのでしょうね。

 わたしが後でもうどうにもならないと言うのは、小4から小5の2年間です。この時期がいちばん大切な時期です。この時期の指導を誤るともはや後でどうにもできないということです。わたしのところにも小5まで大手にいたという小6が2人ほど来ましたけど、それまでに基礎的なことは何もものにしていない、いちばん深刻なのは、思考することができなくなっている、ということです。これを最初からやり直していくしかないのですが、そうすると竹の会の小5と同じことをやることになる。それでできるかというとどうかすると小5にも劣るということになっている。

 わたしは、世の親という者を九段の説明会でチラシを配ったときに現実に観察しましたけど、あの説明会にやってくる親たちというのは、もうどこかの塾に通わせている親たちばかりでしょ。たいていは無視しますからね。もううんざり、という顔をしていますからね。あれも演技なのでしょうけど、ああいう表情をした親を見ていると、もうこの人たちには何を説得してもダメだ、失敗するしかない人たちなのだ、ということがわかります。竹の会では、去年も九段でチラシをまきましたが、全く黙殺されました。今年はどうかと思いましたけど、大手志向の強い親たちの現実というものを見せつけられただけでした。それで、もうきっぱりとそういうチラシ配りは止めました。大手で自分の子どもの伸びる芽を摘み、考えるという作法を全く知らないバカ息子やバカ娘にしてしまえばいい、と思いました。

 大手でどっぷり漬かって真のバカという事態になって、「転塾を考えて」塾を探すのは勝手ですが、少なくともそれは竹の会ではないでしょ。わたしが安易に地元の大手塾なり個人塾なりに入れて、その結果どうなるのか、ということを予測したように、大手にはこれほどのバカが溢れているというのが現実でしょ。そもそも1年も2年も通って、学力、いや思考力の欠片もない、というのはいったいどうしたことなのでしょうか。それでも大手に通わせる親というのはいったい何を考えているのでしょうか。何も考えていないのでしょ。まず考える訓練というものを一切やっていないから、あたりまえの判断ができないまでに思考力がない。世の中の常識的な道理、論理さえも平気で覆す。竹の会の入会試験は大手の1年2年の経験も虚しく、塾に行かないで自宅での恣意的な母親の指導でも、リアルに無能力を証明してしまう。

 塾に行ったこともない小3でも考えれば解ける問題を、散々塾に通ったはずの小5や小6が解けない。思考というものを抹殺する訓練の成果が如実に出てしまう。塾に行かないで母親が家庭で教えるというのも結構だけれども、こちらもやはり未熟であることに変わりはない。

 小4,小5の時期の大手通いという結果のもたらす、もっとも深刻な事態は、すでにして中学での伸びもほぼありえないほどな決定的なことかもしれない。大手に通う大半の、ほとんどの子どもたちは落ちるわけである。それで公立中で高校入試で頑張るとみな張り切るわけですけど、まず小4,小5の時期に、思考力を培ってこなかったことが、ここでも大きく影響する。中学でがんばればどうにかなるということではないのだ。小4,小5というのは、中学をこそ念頭に入れた、もっとも重要な時期なのだ。それがわかっていないバカ親があまりにも多すぎる。

◎根拠を問え

 医師や弁護士という、いちおう専門家とされている人たちでさえ、根拠のないことをあたかも権威のあるかのような口吻で言うわけです。桝添の私設弁護士が、桝添のシルクのチャイナ服が必要な理由を「説得力がある」と感じたというのには笑ってしまいましたけど、こんな程度の頭の空っぽの弁護士を奉り、記者クラブで飼い慣らされて、取材を忘れた大手記者たちが、なにも質問できないという体たらくでした。

 ニューズウィークなどの記事にはアメリカのその道の専門家というのが寄稿しているけれど、恐ろしいくらいに主観的な論調で、ここでも推測でものを言い、人の意見を根拠にし、自分で実際に取材もしていない、何かの本で読んだようなことを精査もしないで根拠にしているのをよく見かける。日本に大手新聞社の記者というのが、ほとんど取材をしなくなって久しいけれど、こういう大手記者の根拠というのが政府発表そのままであるのは周知と思うがいかであろうか。この大手新聞社の記者が、信用できるのは「週刊文春」だと言ったとか、朝日ジャーナルにちらりと書いてあった。3.11の原発事故のとき役に立ったのは新聞記事ではなく、週刊誌だったのは記憶に新しい。世の親たちが、大手を選ぶ根拠が、ただ便宜的というのと同じくらいに、人々は自分の選択の根拠というものが曖昧であり、恣意的である。いやもともと根拠などないのではないか。感情で流される現代人そのままに感情的に流された結果の選択でしかなかったのではないか。まず便利さがあったということである。

 わたしは子どもたちに、根拠を問え、と言いたい。根拠は、あのバカ弁護士が「説得力がある」宣うような程度の低いものではだめだ。事実は取材で裏づけるように、まず客観的な事実のみしか、根拠たりえない。人が何々と言ったではだめである。どんな権威ある人でも平気で嘘をつく世の中である。論理的な根拠は、頭を鍛えなければ、だめだある。理に適う、理のあることを常に確かめることである。道理という。そのとおりである。常識という。そのとおりである。自然界の摂理という。その通りである。入会試験の問題に、1Lないし2Lの水を次々に各パイプが2つに枝分かれしていく構造に流しこむという問題があるけれど、各パイプの出口から出てくる水の合計が、1Lないし2Lでなければならないと考えるのが思考であるけれど、なぜかそういうことに思いも至らない子が続出である。なかには、何十リットルという答えもあった。そういうところに、つまり根拠を検証するという思考もしない子に仕上げる大手というのは、わたしには決して自分の子だったらやってはいけないところだと身震いした。

 

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初期の「英語指導案」、推定年齢25歳の我が家のカメ、英語指導案内容、道ばたで撮った写真

 

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