画像
中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/小石川・桜修館への道/塾という毒を子にのませる母親の愚

2016.06.02

 おはようございます。今日は朝から強風が吹き荒れて雲はすっかりと吹き飛ばされて青空が広がりました。

 今年の小6は、ほとんどレジュメ、特に、割合レジュメを解き進めることができません。例年小5の2月には、適性問題の訓練に入るのですが、やらせてみると予想通り全く解けません。小4から鍛えてきた子でないと、やはり無理です。さてこれからの指導をどう進めるか、頭を悩ませています。

 竹の会では、小4の2月指導開始というのが、都立中合格には、もっともいいタイミングと考えております。これは遅くともという趣旨です。できれば小3の2月が、一番いい。基本的なことをじっくりと仕込むには小4という、ゆるやかな時期がほしい、そして小5の一年をかけてじっくりと思考力をつけていく、これがわたしの理想のイメージです。

 しかし、竹の会というのは、さしたる宣伝手段も持たない小塾ですから、知名度がない。それで竹の会を知る機会というのがほとんどない。だから全く人が集まらない年もあるわけです。だから受検生だって少ない。公立中高一貫校に限っても、ほとんどいないわけです。平成18年は小6は3人だけ。そのうちの1人が九段に受かり、2人は東大附属に受かった。平成19年というのは、九段ブームだった。だれもかれも九段に行きたがった。あと東大附属も多かった。平成20年には竹の会では、都立中は、桜修館と白鷗を受検した2人だけだった。桜修館に合格。白鷗に落ちた女子は、平成23年に竹の会から、都立小山台高校に合格した。20年はさっぱり人が集まらず、受検者なし。20年から21年にかけて、わたしは暇だったこともあって、さまざまなレジュメを開発、執筆した。20年の8月に、23年に小石川に合格することになる小4男子がやってきた。この年には、22年に両国に合格することになる男子もいた。思えば、この20年、21年のとき、小4や小5の逸材を得て、わたしはじっくりと育てていた。21年の6月には、あの杉山太一君がきた。小6だった。こうして、平成22年受検者3名中2名合格。平成23年受検者4名中2名合格。時間をかけて育ててきた子たちが合格していった。平成24年3名中1名合格。平成25年5名中3名合格。平成26年は3名受検したがダメだった。平成27年5名中2名合格。平成28年8名中4名合格。

 こうして見てきても、竹の会というのは、受検生を確保するのが難しい。全くこない年もある。だから今年はちょっぴりうれしい。入会試験でA合格をとった小4がいる。ぎりぎり小5からきた子たちもなんとか間に合うかもしれない。合格する子を作れる、そういう喜びがある。わたしの理想とするのは、小4に竹の会にやってきて、じっくりと基本を訓練して、小5の1年間思考を練る、この型である。小6ではいかにも遅い。特に、昨今は、たいていは大手塾で毒されて思考麻痺した子たちばかりが増えて、小6でも逸材に出会うことはほとんどない。

 これは高校受験も同じで、やはり小5、小6の時期に、思考力を身につけていること、勉強のスタンスが確立していること、もちろん割合などの基本概念を極めていること、こういうことが、決定的になる。こういう基本的な下地というのは、中学になってからでは遅い。もはやどうにもならない。よく「うちの子は文章題が苦手で」という母親がいたけれどもう遅い。小学時代をどう過ごしたかで決まる。竹の会からは過去2名が都立西に合格しているが、いずれもわたしが、小6の4月から鍛え抜いてきた子たちである。都立西レベルになると、中学からというのでは遅い。去年、今年と都立戸山に合格した子たちも小学から竹の会で都立中受検を経験した、つまり徹底して鍛え上げてきた子たちであった。

 ◎塾の毒

 「とりあえず近くの塾に通わせます」、「とりあえず大手に入れます」という親ばかりです。わたしは塾というのは、もしかしたら毒をのませることになるのではないかと憂えているのです。もしかしたら東京にはろくな塾はないのでは、と疑っています。東京には腐るほど塾はあります。その中で大手というのがやはり人を集める。それはいいのですが、大手にいたという子たちでまともに思考力のあるという子がいないのはどうしたことてじょうか。それなりに知能の高い子でもその知能をまったくいかせていない。おそらくほんの一握りの優秀な子たちを除き使いものにならない。わたしは学校で「よくできる」を8割以上とっている子たちでも大手で伸びきれなかったという話しをよく耳にしたけれど、やはりバカになるしかないのか。大手の毒というのはそれほどに強力である。毒が全身に回ると、まともに思考できなくなる。耳だけは発達して、よく人の説明を聞くことに慣れてくる。目も発達するようだ。すぐに答えを見る。答えを盗む。この毒、人生を狂わせるほどに抜けることはない。

 塾に通いながら、計算も満足にできない、割合も実はなにもわかっていない、そういうことを放置して、1年でも、2年でも通わせる、いったいこれは塾が悪いのか、親がバカなのか。わたしは常々個人指導塾は思考を破壊すると言ってきたけれど、世の親たちには、わたしの訴えが通じることはないであろう。

 まず塾は毒である、ということを前提してかかったほうがいい。といっても塾に行かない、ということを勧めているわけではない。わたしが少年の頃、よく山に野いちごを摘みに行ったけれど、そのときに教えられたのは、ヘビイチゴは毒だから気をつけろ、だった。赤くて毒々しいイチゴがあった。見るからに毒々しい。それでわたしはすぐに見分けられるようになった。

 わたしは塾の見分け方などわからない。ただどこそこの塾に通っていたという親子の話を聞いて、いつもろくな塾はないと思ってきた。一度としていい塾などというものを聞いたことがない。しかし、よくも世の親たちはそういうところに「とりあえず」と言いながら子どもを通わせるものだと思う。わたしは塾というものをよく知っている。だから自分の子を大手にやることもなかった。ずっと竹の会だった。小6の夏、ずっとバスケに夢中だった下の子が、突然受験したいと言い出した。それで竹の会に通わせた。理科社会は間に合わないので、算数と国語で受験できるところ、結局立教を受験させた。すんなりと合格して、立教高校までトップ5の成績をとり続けた。大学は慶應大へ進んだけれど、東京の塾害はなんとか免れてきた。竹の会があったことが大きい。

 この東京にまともな塾などあるのか、いつもそう思ってきた。いろいろ皆さん、手近にか、いろいろ考えてか、塾を選ばれるわけですけど、わたしが見たてればすぐわかる。なんでこうなるの? といつも思う。例外というのがない。塾にずっと通っていて、なぜこんな計算もできないの? なんでこんな問題も解けないの? 大手はいったい何を教えてきたの? 何を学んできたの? 

 なんでこうなるのか。わたしには、子どもはこうすればこうなる、ああすればああなる、という指導の成否が見えている。わたしには手に取るようにわかります。こういう問題が解けない子はこういう状態だということがよくわかる。あの問題ができて、この問題ができないというのは、あの問題がほんとうにできたか、疑わしい、そういうこともわかります。子どもの「わかった」ふりというのも見抜けないようでは、ど素人でしょ。

 わたしには手に取るように子どもの頭の中がわかります。多くの子に欠けているのは、抽象化という精神のはたらきです。今の小6が遅れているのもこの抽象化というところで壁に突き当たったままとか、そもそも大手ではそういうことを問題にしてこなかった、ということでしょう。

 わたしには、何が悪いのか、悪かったのか、見えてしまうのです。わたしはどう伸ばすか、どうすれば伸びていくのか、わかります。教えられすぎた子、考えるという思考のスイッチがない子などみな親がそうする選択をしてきたからです。やるべき教育をなにひとつやれないで、ねじまげて、しまった、そういう子には何をしても手遅れです。

 塾で毒をのまされて、ある意味頭が中毒しているような子ばかりでは、どうにもなるまい。この毒は思考を麻痺させる。説明を聞く習性だけが際立つ。高いカネ払って、毒を飲まされて、バカに仕上げていれば世話はない。

 子どもを仕上げるには手順というものがある。わたしには手に取るようにわかり、見えている。この子をどうやれば磨き上げられるか、わたしにはわかる。

 それには小4がいい。まだ大手や巷塾でねじ曲げられていないほうがいい。そういえば、小6の6月にやってきてすいすいと伸びていった杉山太一君は塾は竹の会が初めてだったし、小6の9月に竹の会にやってきてあっという間に白鷗に受かった女子も塾経験なしだった。毒をのまされていなかった。小6頃にやってきた子でもすでに毒をのまされている子は解毒に時間がかかる。ここが大きな違いになる。

 そうであるならばどんな子でもわたしの手にかかれば、考える子に育てられる。わたしに出会わなかった人たちには決してわからない奇跡が、竹の会にはある。竹の会の、わたしの本当のスゴさがわかるとき、これまでそういう人たちが必ず言ったこと、「竹の会に出会えて幸運だった」、そうわたしは竹の会で勉強した、成功した人、成功しなかった人でさえも、みなそのような言葉を竹の会に、わたしに残して、竹の会を巣立っていった。

 わたしは子どもの伸びる芽を見つける天才です。その芽を見つけ出し、引き出し、大切に育てていく、その過程で竹の会の多くのみなさんが、わたしの神業を知ることになる。名人芸を見ることになる。

 わたしには子どもの能力の伸びていく姿というものがまるで絵に描いたように想定できる。グングンと伸びていく、まるで急カーブの上昇曲線を描くように伸びていく。竹の会の子どもたちはそんな風に伸びていく。竹の会という塾は東京にただ一つ、渋谷にひっそりとあるだけです。27年戸山合格の子はよく言いました。「先生、竹の会はネットでは有名です」と。東京には塾がひしめきあっている。そんな中でわたしは訴えてきました。竹の会は本物の塾ですよ、と。これは23年都立文京合格のお母さん、26年都立駒場合格のお母さんから言われたことばでした。そうです。竹の会はずっとずっと本物の塾ですよ、と訴えてきたのでした。小4のみなさん、早く竹の会に来ないと、竹の会はいつまでもないですよ。わたしはもう歳をとりましたからね。いつまでこの渋谷でがんばれるか、わかりませんが、小3、小4のみなさんを待っています。

 

ページトップへ