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最低でも都立戸山/桜修館・九段への道/我が子を無思考という鋳型にはめるバカ親たち

2016.07.23

 おはようございます。本日もこの時期にはそぐわない涼しげな空気が朝から満ちています。世間ではすでに夏休みに入りましたが、竹の会では、明日渋谷A、明後日渋谷Bと7月最後の通常指導が予定されています。なお25日のB指導は、15時~19時の実施となっておりますので、ご注意ください。

 竹の会の夏期指導は、8月の通常指導をなしにして、夏期日程にしたがい1日7時間指導を集中して指導する形になっております。2012年に渋谷駅近くに移転して以降は、回数よりも、指導の充実を図る方向に形を変えてきました。今では、必要なレジュメを適宜提供できるほどに資料も充実しております。

 竹の会が現渋谷教室に移転した平成24年5月には、ほんとうに生徒もいなくて静かな環境でした。それまで地元塾として近辺の中学生や小学生を相手にしてきたのが、公立中高一貫校制度がスタートした平成19年あたりから竹の会にも渋谷区以外から通う子たちが増えてきました。しかし、平成23年3月の原発事故によって落ちつかない日々が続きました。竹の会は、この年の10月には竹の会誕生から26年になりました。この年はもう塾を廃業するか、どこか新天地に移転するか、ということで悩んだ年でした。長年のわたしの夢であった渋谷駅の近くに塾を開きたいという夢をかなえるべく行動開始したのは6月だったか、7月だったか、わたしたち家族は1%の可能性しかない状況で、奔走しました。渋谷駅の近くに塾を持つ、これまでのような地元塾ではなく、23区全域から生徒を集める、そしてもうできない子の指導からは手を引く、東京23区の秀才たちの集う塾にしたい、そういう思いを抱いて、わたしは、わたしたち家族は奔走したのです。ぎりぎりまでわからない状況の中でわたしたち家族は新竹の会開設に向けてよく行動したと思います。

 2012年5月6日いよいよ新竹の会がスタートしました。まだほとんど竹の会は知られていないかったのです。だから生徒は元代々木教室時代の子たちと少しの新入会者だけでいつも席はがらがらでこれが4年ほど続きました。4年目の去年はとうとう新規の小4がほとんど集まらず、ここでさすがにわたしももう小学生募集に見切りをつけて、もともとの専門であった高校入試指導に本腰を入れるべく、中学生の募集を再開しました。去年、つまり平成27年、2015年10月に竹の会は30周年を迎えました。このとき、記念事業としてホーム・ページを専門の会社に委託して一新いたしました。欠かさず書き綴ってまいりました「草枕」も検索しやすいように整理し、現ホームページ内に移転しました。大手のように巨大資本を惜しげもなく投じて広告するということもできませんから、竹の会が竹の会という塾を東京のみなさんに知ってもらう機会というものがほとんどないままに渋谷教室は4年の歳月を経てしまったのです。九段の合同説明会などにチラシ配布を試みましたが、99%の親たちから見向きもされなかったのです。

 竹の会が「こんなにいい塾なんですよ」、「他所の塾では考えられないほどに子どもたちは力をつけていくんですよ」と言ってみても虚しいばかりでした。わたしは世の親たちが、ほとんど感情的に大手やどうしようもない地元塾に行っている、そういう現状をいつも嘆いてきました。だってだれも竹の会を知らないのです。竹の会に出会った、多くの皆さんが、後々、竹の会と出会えて、「幸せだった」と言ってくれますが、そういうことは東京のみなさんはだれも知らない。去年小4の2月生募集からほとんど入会者がなかったことはわたしにはショックでした。だって竹の会という塾をだれも知らないし、知ったとしても大手と比べてさっさと大手に行く親ばかりでしたから。いやそれは正確ではない。十人以上の人が、入会試験を受けたということはあるから、そしてみな落ちたのです。かつての元代々木教室時代ならみな入会していたと思います。そうすればまたそういう子ばかりの、わたしには不本意の塾になってしまう。ここは我慢して、塾の質を、レベルを落としたくない、いや絶対に落としてはならない、そういう信念だけは通さなければ、とわたしは譲らなかったのです。

 いつか東京23区の人たちが、渋谷に竹の会あり、と知るまでは、と夢見てきました。教室はいつもガラガラでしたが、わたしは少ない竹の会を信頼して集まった子たちの指導に全力を費やす、そのことだけに燃焼する日々を送ってまいりました。東京23区の心あるみなさんに向けてわたしは「草枕」という手段を通じて、訴え続けてきたのです。わたしの「草枕」に少しでも多くの人が目を留めてくれるようにと、願いつつ、毎日毎日書いてきました。わたしの思いを綴って訴えてきました。竹の会の真実は、毎年、1人とか、3人とかしかいない受験生や受検生が、これだけの少数の中から確実に合格を果たすことで証明してきました。わたしは、合格で竹の会の真実を証明するしかないと考えたのです。

 グーグルのめまぐるしい進化に対応していなかった竹の会のHPも専門家に依頼して一新し、できるだけ「草枕」が多くの親御さんの目に触れることを願いつつ、日々の更新を心がけております。残念なのは、まだまだ竹の会を知らない人が多いこと、知っていてもスルーする人の数は夥しいのではないか、そういう中で真摯に塾を探す姿勢の親御さんがたまたまわたしの「草枕」に出会う、だから、わたしはその出会う確率を高めることが、竹の会にとっては唯一の竹の会を知ってもらう方法だと確信し、その一縷の望みにかけているところがあります。

 先日大手に通われている小6の親御さんから転塾に向けて竹の会の見学をご希望される旨の申し込みがありましたが、ほんとうに残念なのですが、竹の会が今求めているのは、小3ないし小4なんですよね。正直、小5の問い合わせも多い。みな大手で何か、不安を感じているというようなことをおっしゃっておられる。小5は、実はもう募集の対象ではない。しかし、なぜか小5が多い。

 今年小6になる前後で2人ほど入れました。大手にいた子たちです。今年の小6はいくら募集しても集まらなかった学年です。小6前後の入会ではいかにも遅い。後手後手になる。本来なら4年の2月からじっくりと指導して仕上げていきたい、しかし、こない小学生をいつまでも待っているわけにもいかない。

 わたしが残念でしかたないのは、大手に1年なり、2年なり行っていた子というのは、考えるという習性を身につけるのに時間がかかる、やりにくいということです。「もう1時間も考えたのにわかりません」と言ってくる。違うんです。考えるというのは、そういうことではないのです。「考える」というのは、考える姿勢のことなんです。あきらめないでなんとか考えようとする姿勢のことなんです。「もう1時間も2時間も考えたのだから、教えてください」、「もう無理です」、そういうことではないのです。考えるとは考える姿勢のことなんです。平成27年に桜修館に合格した女子は、何時間もかけてじっと考えていた。あまりに時間がかかるので、わたしが声をかけて「説明しますか」と言うと、「いえ、いいです、もう少し考えたいので、家で考えてきていいですか」と言ったものです。それでわたしも何日も待ったのです。それで答案を持ってくる。苦労して解いたのがよくわかる。それで私は「わたしの考えもレジュメで勉強してくださいね」と言って渡したものです。かつて獨協中に合格した男子は、算数の問題がわからないと、夢中になり、明け方まで考えていた、とよくお母さんが伝えてきた。考えるとはそういうものなんです。もう考えたから教えて下さい、というのは、考えるということの意味を勘違いしているのです。考えるというのは、姿勢のことです。あきらめない姿勢のことなんです。

 大手に行けばバカになる。これは疑いのないことです。大手の何がそんなによくて親は自分の子をすぐに迷いもなく大手に入れるのか。たいていの根拠は、近いからでしょ。そして大手だからが加わる。なんのことはない。感情論なんです。なにも理性的な判断などしていないのです。大手のテキスト、好感の持てる学生講師、集団授業で仲間たちと和気あいあいの雰囲気、そんなとこでしょ。

 考えるよりも先に、頭がよくて教えたくてしかたのない学生講師がすぐ説明してしまう、それもわかりやすくね、これで使っているテキストが10人いたら8人は「わかる」ほどに易しいとしたら、もう「わかる」「わかる」で楽しくてしかたない。学生講師は、優しくていつも気を遣ってくれるから、なんとも居心地のいいことこの上ない。

 こうして見事にバカの鋳型にはめこまれる。この鋳型、無思考ということでは群を抜く、一旦この鋳型にはめられるともう元の柔軟な変幻自在な脳の原型は消失し、見事に「型」にはめられたバカとして完成する。まず思考というものの経験がないから、考えるということの意味を理解しない。だれかが常にわかりやすく教えてくれる、説明してくれるものと予定しているので、時間が経てば、もう考えたけれどわからないから説明してください、という。考えるということが、姿勢なのだということを理解しないのである。

 こういうバカ製造システムに無定見に我が子を放り込んだ親が実はバカだったのである。大手にいたという子は例外なくこの型から抜け出せていない。

 

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