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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/渋谷B 5月より変更/都立残念組再考/都立トップ高校受験対策のプロ竹の会

2016.04.29

 おはようございます。今日は晴れましたね。やや強い風が吹いています。本日は、最後のAB合同指導日となります。竹の会が渋谷駅近くに移転して4年目にあたる5月6日にはそれを記念して紅白饅頭を配ってきましたが、6日が平日のため、本日配ることにしています。竹の会は、1985年(昭和60年)10月に元代々木教室を開設しましたが、2012年5月6日に渋谷教室に実質移転しました。2012年7月までは、渋谷教室と元代々木教室が併設する形でしたが、8月には渋谷教室に一本化しました。渋谷教室開設後も元代々木教室に残りたいという生徒がいましてその意思を尊重したものでした。

 ◎渋谷Bの変更点

  5月より渋谷B の内容が変わります。これまでのAの予備的コースとしての位置づけから、独立したコースとしての変更です。

  変更点は、まず、本来のB型とは別にR型を設けたことです。次に、これまで月金が祭日の場合は、Aと合同してきましたが、今後は、平日の時間をその分だけ延長することで対応します。つまり、例えば、祭日が1回ある月は、平日の開始時間を17時(この場合は2回)ないし16時(この場合は1回)に変更して対応することになります。

  B型は、これまでのように2時間の指導プラスレジュメ指導(指導日に指導を受けながらレジュメをこなし、さらに課題レジュメを家庭でこなしていくという形態)をとります。

  渋谷Bでは、R型という新しい発想のシステムを設定しました。

  これは竹の会のレジュメ(resume)中心の指導システムです。R型では、家庭でのレジュメ勉強が中心です。Rの生徒は、指導レジュメの処方を受けて、それを持ち帰り、家庭でやりあげて提出するという基本形態をとります。提出されたレジュメは、添削の上、次回出席したときに返還するか、郵送も可能です。もちろん新課題レジュメも郵送可能です。これは、主として、遠方に在住するため、あるいは、運動部に在籍するために竹の会に定期的に通うのが困難な生徒を念頭に、竹の会の卓越したレジュメ指導が受けられるように考えられたものです。このシステムを利用できるのは、成績優秀者に限られるでしょう。竹の会がBのために用意した時間枠はもちろん自由に出席して質疑応答も可能です。定期に通えない生徒を想定していますので、レジュメの提出、受け取りのみという出席ももちろん自由です。この試みが成功するかどうかは全くわかりませんが、Bにはそのようなニーズにも対応できる、弾力的な対応をしていきたいと思っています。これでこれまで多くの方たちが、問い合わせて実現できなかった竹の会の通信指導の代替としても有効に機能するのもと期待もしております。

 興味、関心のある方は竹の会までお問い合わせくださればと思います。

 

 ◎都立トップ校受験対策のプロ竹の会

  竹の会のほんとうのスゴさがわかるのは、実際に竹の会でわたしの指導を受けた生徒だけでしょ。竹の会の外にいる人たち、大手に行っている人も、巷の塾に行っている人も、塾には行ってない人も、竹の会のことなどなにも当然にわからないわけです。いやそういう人たちが今がベストだと考えているのだろうということも承知しております。しかし、そういうあなたたちの考えは、ただの思い込みとして、竹の会にきて一度竹の会の指導を受けてみれば、たちまち瓦解してしまうでしょうね。今までの勉強、塾というものがいったい何だったのかと後悔することは間違いないでしょうね。今の竹の会のレベルの高さは、巷の塾では太刀打ちできないと思っています。わたしは巷の塾の小商人的なありようがどうも好きにはなれないのです。生徒にやめられたら困る、それて少々のワルの生徒でも、問題ありの生徒でもとにかく入れてしまう、そして親の機嫌をとりながら、そういうバカ生徒にも阿る、そういう卑屈さが我慢できないのです。わたしも気が短いほうですから、元代々木教室の時代はよく退塾させました。今もその精神は少しも変わりません。わたしの信条に合わなければ迷わず退塾を告知すると思います。

  竹の会には、最短で、英語、数学を一気に入試レベルに持っていく、指導技術が完成しております。竹の会が、27年、28年、戸山に合格者を出したのは決して偶然ではありません。出すべくして出したのです。竹の会には、大手にも負けない合格の技術があります。いや大手では少なくとも都立はごっそり落ちているではないですか。竹の会は、わたしが引き受けたら必ず合格させてきました。

  平成20年以降、中学生の募集をすでにしていない時期ですが、竹の会にいる中学生というのは、募集できた生徒ではなく、ほとんどが小学生からの繰り上がりです。しかも、受け入れるのは、1人か2人のみでした。中学は原則やらないという主旨を貫徹したからです。

  平成20年には、1人いた小6の4月入会の女子が、都立西高校に合格しました。彼女は豊島岡女子にも合格しました。21年は都立受験者なし。22年には、中2の4月入会の女子生徒が都立富士高校に合格しています。中学で入会を認めたのは通知表があまりによかったからでした。23年は、都立受験者は、3名でした。小学で都立中受検に失敗した子をふくみます。都立小山台高校合格の女子がそれです。都立文京合格の女子は、小5からいましたが受検組ではありません。もうひとり都立高専に合格した男子は20年都立西合格者の弟です。24年受験なし。25年都立北園高校に合格した女子は、小5、6年で竹の会から私立を受験した子です。郁文館中学で3年間学年1番、オール5でした。竹の会には中3の2学期に突然やってきて「都立を受験したい」と言いました。

  26年都立駒場高校の合格者は、小4から竹の会で勉強してきた女子です。この年も都立受験生は1名のみでした。27年も1名のみ、28年は2名のみでした。

 どうでしょうか。竹の会は他塾とは一線を画する、質の高い指導、つまりは完成度の高い数学、英語指導を実践してきたつもりです。

 なぜ竹の会の子たちが受かるのか。

 わたしには普段やっていることが、他塾では疎かにされているということではないかと思います。塾に通う子たちの8割は塾で遊んでいると言われています。

 竹の会では、子どもたちの力をあらゆる角度からチェックし、弱点を白日の下にさらし、手を打つ、そういうことをいつもやっています。自尊心の異常に高い子というのは、自分ができないということを他人に知られることを極力避けようとします。だから「できたことに」したり、「わかったことに」したり、カンニングもやる、そういうことだと思います。弱点があるから、わからないから、次の手が打てるのに、そういう子たちはそういう有効な手を打たせてくれないわけです。竹の会には合いそうにもない人種かもしれません。

 できない、だから次の手が打てるのです。できないということを隠してはならないのだと思います。わからないという状態をなんとかしようとする機会を自ら摘んでどうするのか。塾を勘違いした人たちです。塾を自分ができるということを誇示する場、自己顕示欲の場として考えてるのなら、それは大きな勘違いでしょ。

 ◎都立残念組再考

 ある中学校の進学状況を見せてもらいました。いい都立にはあまり行けてないのですね。この状況を見ると、世の中の親御さん、特に、母親というのが、高校受験の対応を完全に誤っているということが透けて見えます。おそらくまともに塾にも行かせていないのでしょう。ほとんどの親が、中3になってから塾探しをしたのではないか、そう思ってしまいます。

 話しは変わりますが、昔からあるパターン、あまりにも有名なパターンがあります。それは中学受験で燃え尽きてしまった受験失敗組の末路です。勉強に興味を失い、もう冷めてしまい、勉強に背中を向けてしまった子たちのことです。こういうのは昔からいました。竹の会にもそういう子がよくきましたね。これはもう精神的な病気です。たいていは悪化していきます。不登校になったり、不良化したりとこれが大半の末路でした。中2、中3になるともう親の手には負えないのです。竹の会では、受検の子たちに、一日7時間などを言いますけど、竹の会で過ごした子たちからそのような無気力症候群が出たことは一度もありません。それどころか、受検に失敗しても公立中でいい成績をとり努力する子たちばかりです。

 知識を詰め込む、これがいけない。「考える」というのは、人間が主体的な存在である証しである。「考える」時間を与えない、知識を詰め込むだけの精神破壊作用を1年も2年も「これでもか」と続ければおかしくもなるでしょ。治療法は、ゆっくりとさせる、当分は勉強は無理とあきらめるしかない、そしていつかその気になる、つまり快復するのを気長に待つしかないのである。

 知識を詰め込む、これは危険な行為である。我が子を追い込むのが親というのが皮肉である。大手病にかかった親が子を追い込む。

 都立残念組のことを書くつもりが横道に逸れました。都立、とにかく都立という家庭にとって、都立を落ちる、ということのダメージは計り知れない。ただこの人たちは、それにしては、何も考えてない、行き当たりばったりの人たちではないか。かつての都立高校がグループ制で入りやすかった頃とはちがう。公立中高一貫校が、これまでの都立高校ののんびりムードを震撼させた。特に、小石川や武蔵の躍進は、従来型の都立高校を慌てさせているにちがいない。東大合格数だけとれば、一気に戸山を越えた。これはいい刺激になる。戸山、青山の生徒にはいい刺激になる。独自問題が始まってもう十年以上になる。昔の易しい都立問題で入れる上位都立は、駒場、小山台ぐらいになった。日比谷、西、戸山、青山クラスは、もはや難関である。都下の秀才たちが一斉にここをめざす。そいう状況の中で、「そろそろ中3になったから塾を探そうかい」では、都立残念もしかたない。何を惜しんだのか、塾代ですか。中には、中1から大手に行き、戸山第一志望で戸山を落ちたという人だっているから、失敗の原因はそれだけではないけど。

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