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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/都立小石川、桜修館への道/真実にまだ気づいていない大勢の人たちからなる社会

2016.06.12

 おはようございます。梅雨前線は太平洋のはるか彼方にあるということでしょうか、まだ朝の空気は新鮮で爽やかですが、すでに21℃に達しております。今年の夏は酷暑、猛烈な暑さだとさかんに予報士たちが騒いでおりますが、もし今の世界の異常気象というものがわたしたち人間の活動に帰因するものだとすれば人間というものは救い難いほどのバカだということになります。

 日本をふくめて世界に点在する原発にこのまま何もないで時が過ぎるなどということがあるはずがないのです。民族、宗教、国家、イデオロギー、そういうもので自らを滅ぼすしかない、それが人類だとすれば、人類には絶望と死しか予測されないではないですか。

 日本ひとつをとっても永久に核廃棄物を管理していかなければならない、という重荷をわたしたちの子孫に、未来に存在する人たちに託するなどということができるのでしょうか。今を生きている人たちが、未来を生きる人たちをそういう形で支配するなどということが許されることなのでしょうか。

 桝添という私欲にまみれた、口八丁の嘘つきを知事に選んだのはいったいだれですか。今桝添を批判している人たちの大半が桝添を選んだのではなかったか。都知事というのは、前の石原のときは、週1回都庁に3時間ほど顔を出すだけだった、というけれど、それでいいわけなのですね。新聞がこれを問題にするために世論に訴えることもなかった。とにかく自治体の首長はみな五十歩百歩でしょ。これまでの都知事もみな似たような税金の使い方をしてきたわけでしょ。なにひとつ事実を語らないで、「それはそれとして」と言いづけるバカ痴事を担いだのはもともとテレビや新聞でしょ。あの男は、東大法学部出身の国際政治学なんかをやっていると言っていましたが、人間というものが、そんなもので決まるわけではないことを自ら証明しているわけです。あの「第三者」というのが、ただの桝添の弁護人であり、チャイナ服で書を書くというのは「説得力がある」などと弁護したときには、この元検事の頭の悪さもさることながら、媚びる生き方を正当化して生きてきたことを思わせるだけの説得力はありました。

 わたしたちというのは、後知恵という正当化を食べていきている社会に生きている。後知恵が稚拙な場合を言い訳という。先ほどの弁護人をさておいて、記者は桝添の言い訳を「稚拙」と断じたけれど、これに「説得力を感じた」弁護士の稚拙な脳レベルはどうなのか。

 そもそも真実ならば、正当化などというものは必要ないはずなのに、世の中というのは、真実に対してこそ厳しい正当化を求めたがるものだ。小保方さんを責め続けたマスコミの罪業がこれから裁かれる。スタップ細胞は「ある」という実験報告が次々に出てきた。毎日新聞の小保方さんを魔女狩りして、大宅壮一賞をとった、あの女記者の今はどうなのか。

 さて、本日は、渋谷Aの長時間指導の日です。6月12日ですね。静かな天気のいい日曜日になりました。渋谷Aのみなさんが、7時間という貴重な時間を勉強に集中されることを願っております。

 ◎受験に失敗する2通りの人間

 わたしは受験に失敗する人間には二通りあると思っています。ひとつは、勉強を侮る人です。それからもうひとつは、勉強をしない人です。

 勉強を侮るというのは、頭のいい人に見られるものですが、必ずしもそうではありません。わたしから言わせれば、それほど頭もよくないのに、週の4日も5日も習い事や稽古事で潰しながら、受検するという子などは、親もふくめて、勉強を侮っているとしか思えないのです。部活で疲れ切って勉強どころではない、それでも都立に行きたいという、虫のいい生徒もたくさんいますが、勉強を舐めていますね。

 部活というのは、学校主導で生徒を半ば強制的に取りこむところもあるようですけれど、学校というのが、そもそも高校受験を責任をもって合格まで導ける能力も責任もない、というところが問題なのです。そこまで部活を強制するのなら、高校入試にも責任を持て、ということです。ところが、今の中学校に合わせていれば、まずまともな都立には行けないでしょ。中学の教師には、生徒を合格へ導く能力も技術も意思もないということです。中1、中2で塾にも行かないのに学年1番という、すごい生徒がいますけど、たいていは中3で落ちていくことになっています。それは、学校の授業のレベルでいいのは、中2までということだからです。中学で教科書使ってやるレベルと高校入試のレベルでは、あまりにも差がありすぎるということです。学校の教科書をやっていれば「受かる」ということにはなっていないのです。

 頭のいい子が、勉強を侮るというのは、その頭のよさというのも、その程度だったということです。7時間やる時間があるのに、3時間ほどで済ます、というのは、わかりませんね。勉強を侮っているとしか思えない。もちろん、自信を持つことは向上を促すという側面があるかぎりにおいていいことです。しかし、自信を持った人というのは、実は恐い。自信は慢心に陥るのが常だからです。慢心というのは、破滅に一直線ということです。慢心というのは、何もしないということです。放置といってもいい。原発事故も安全という偽イデオロギーを過信して、慢心した結果でしょ。あのときに、東大工学部原子力工学大学院教授などというものが、ただの木偶の坊であり、東工大の原子力専門の学者、技術者たちというのが、ただのアホだということを自ら証明したのでした。

 弁護士というのが、言ってることは、頭の悪いことばかり、そして医師というのが、真実を言わない、結局患者を殺す結果になることをやるものだ、ということをわたしたちはもうそろそろ悟らなければならない。

 話しは脱線しながら、とにかくも軌道修正しながら進めてきましたが、二つ目の「勉強しないから」というのは、一つ目の「勉強を侮る」という精神のありかたを実行力という視点から言いかえただけの話しですね。

 勉強しないことを、塩梅しているような人間が、受かるはずはないのです。自らの心の内にある慢心という、憎むべき心の塊を入るすき間のないほどに、実行することです。

 

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