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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

最低でも都立戸山/都立小石川一直線/勉強をアクセサリーと考える母親/家庭学習をしない小学生という無教育

2016.05.28

 遅くなりました。病み上がりの体ですがそれでもあの風邪特有の熱の籠もった体からは解放されて風を受ける心地よさも一入です。5月を駆け抜けるともう6月、梅雨入り、灼熱の太陽、炎天の真夏日、そして台風とこれから3か月余りを黙々と過ごすばかりです。大過なく9月が迎えられればこれほど幸いなことはありません。

 高校受験生にとっては、貴重な夏、わたしには26年の夏、27年の夏とそれぞれ戸山をめざす生徒を指導したときの思いがあります。いずれの年も英語原書の訳読を指示するも果たせず、直前に日比谷、西の英語で苦労した苦い記憶があります。それで今年は大学入試の英文をコピーしていちいちやったことを確かめながら進めています。信頼して任せるということはできない。英語以外は問題ないでしょう。

 中2は、これから中3になる直前までにやるべきことがかなりあります。英語、数学、理科、社会、国語それぞれに中3になるまでに終わらせなければならないことがあります。中3になったら手遅れ、そういう自覚をもってこれからの日々を勉強一途に取り組んでほしい。

 竹の会というのは、高校入試の戦略的指導は、小6の2月をもって最適の開始時期と規定する。ただし、だれでも小6なら開始可能ということではない。小4、小5,小6期に基本訓練を経て思考力を形成していたことが前提である。竹の会で、平成27年、28年に戸山合格を出したのは、ごく普通の結果である。ただいずれも小学期の基本訓練を経て、小6の2月開始、中2の夏から中3になるまでに高校入試の標準的な過去問は解けるほどには完成させていた、つまり竹の会の戦略的プログラムのとおりに進められたということ、それだけである。

 さて、そういうことで、新中1の諸君も竹の会で予定するノルマをこの夏はしっかりと果たさなければならない。いいですか。竹の会では、小6のみなさんには、夏は1日7時間の勉強を希望しています。ただ、去年の夏、このわたしの希望を実行できたのは、たったの2人しかいませんでした。今年の小6のみなさんは、去年の優秀な小6とは実力においてかなり劣ります。もしそれで1日7時間どころか、3時間、いや勉強を全くしない日もあるなどとなったら、これは落ちてもしかたない、そう覚悟してください。中1のみなさんは、小学生が7時間やるのにそれ以下ということは許されないでしょ。特に、都立日比谷や西を目標にしている諸君ではありえないことです。竹の会では、高校受験は、最低でも戸山を想定していますから、勉強しない中学生、つまりわたしの指導レジュメ、課題レジュメをスルーする中学生はいるはずもないのです。

 小4や小5のみなさんは、じっくりと基礎力をつけていってほしいと思います。小5のみなさんは、割合修行の日々ですね。来年の2月に適性指導が開始できるように、竹の会所定の算数レジュメ集を順調に合格はんこを積み重ねながら解き進めていってほしいと思います。課題も決して間を置かないできちんとやって出す、返ってきたら解き直して出す、これを怠らないことです。

 竹の会の小学生がよくできるのは、基本を徹底して鍛え上げるからです。計算力を神の領域にまで高め、割合を通して考えるスタンスというものをつくりあげていってほしいと思います。

 ◎竹の会に、勉強するのは、塾だけという子がいるのか?

  実は、竹の会では、渋谷Bコースを設けたのが、去年の10月のこと、当初は、渋谷Aの予備的、補充的なコースとしてまいりましたが、今年5月から独立したコースとして、Aとは全く関係のない、独自のカリキュラムのもとに、スタートさせたばかりです。渋谷Bには、部活生徒も認めています。ただし、条件は厳しく、学年トップクラス、5が5個以上必要です。6月には、さらに弾力的運用を図るために、渋谷Aの入室試験に不合格でも、小5の早期段階に限り、高校入試を視野に入れた基礎力の訓練を施すことを可能として、受け入れてもおります。さらに、ただそうとしても、そういう子たちにおいて、家庭学習というものが、全くないなどの事情が明らかになった場合は、指導の効果はほぼ期待できないことは自明の理で、これは自主的に退塾を申し出ていただくように告知することになろうかと思っております。

 渋谷Bは始まったばかりでまだまだ不確定のことも多く、予期せぬ事態も生じようかとも思います。渋谷Bに参加されるみなさんは、竹の会が、勉強しなければ、退塾するしかない塾であるということ、そして家庭学習を何倍もの時間かけて初めて成績というものが納得する結果として出てくるのだということをよくよく理解してほしいと思います。

 ◎塾をアクセサリーとしか思っていない、母親や子

 わたしは習い事や稽古事に追われて勉強もそこそこという子、それを是とする母親をふくめて、実は、頭の悪い人たちなのではなかろうか、と思っています。ほんとうに頭のいい子というのは、勉強が面白くて、放っておいても勉強に引き寄せられるように勉強するようになる、そう思っています。勉強が嫌いだから母親の言うとおりに習い事や稽古事を熱心にやる、そういうことなのかなと思います。こういう人たちは、なぜか、人並みに受検などという、それで塾にも入る、それでこちらも習い事、稽古事と同じように、熱心に通う、そういうことです。ここに問題がある。習い事、稽古事にしても、一朝一夕には極めることなどできないから、それこそ打ち込まなければならない。ところで、それは勉強も同じで真剣にやればやるほど奥が深いものと知れる。ただである、習い事、稽古事にもよるが、それが主として体を使う類いのもの、バスケのような運動でもいい、ピアノは頭も使うけれど指も使う、楽器はみなそうである、珠算も指を使う、書道も然り、つまり、こういう体を使うものは、勉強とは違うということである。勉強とは、純粋に頭の中の世界の話しである。だから、これを他の体をなんらかの形でも使う習い事や稽古事とは、本質的に違うのである。だから、勉強を習い事レベルでやろうとすると絶対にうまくいくはずがないのである。ところが、習い事、稽古事大好きの母親や子というのは、そういうことを区別しないで、塾に通い、習う、という姿勢を変えられない。こういう子にとって思考する、考えるというのは、それまでに形成されたエートスゆえに受け入れがたいものである。つまり、勉強そのものが合わない。もともとが頭が悪くはない子にしても、習い事、稽古事でエートスを形成してきた子というのは、勉強とは馴染まないのである。

 習い事や稽古事もそこそこで終わるというのが、普通一般の子どもたちなのであろうけれど、そうなると、習い事や稽古事が自分にとっての単なるアクセサリーとしての意味しかもたないことにもなる。こういう子が勉強や塾を同じアクセサリー感覚でとらえていると、もはや塾にこういう子を成功させることはないのではないか、と思うのである。

 昨今、小学生というのは、特に、女子にはなんやかやと習い事、稽古事を抱えている子が多いけれども、勉強という精神世界を同列に考えるとこれは必ず泣くことになる。また、習い事、稽古事もひとつやふたつというのではなくて、一人で何種類も抱えてる子というものも散見されるが、こういう子が幼い頃からそういう訓練を受けてきたとなると、それは裏から言えば、勉強という精神世界とは相容れない性格というものを作り上げてきた可能性が強いということである。

 そういう子というのが、受検というものに今ひとつしっくりこない、のめりこめない、空回りしているというのは、既に勉強できない体質になっていることと無関係ではない。

 

 

 

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