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本当に大切なこと

2021.07.19

 

 

◎本当に大切なこと
 問題は必ず自分でとことん考えること!
 早く終わらせること、に気持ちが、はやって、答えを見つけることだけに気が取られる。そういう精神状態にあると、採点の時に答えを盗み見たり、たまたま同じ問題を解いている子のノートなどを盗み見たり、式なしの答えを書くなどの悪い形になる。
 考えるとは、問題文、つまり問題事実を図にかくことである。図にかくとは、事実を関係として、抽象的にとらえることに他ならない。そうなのである。考えるとは、関係を抽象的に捉える精神作用をいう。そして、その抽象的に考えるということの、一つの有効な手段が、図をかくということである。図でかけない、としたら、それは、事実の関係性を認識できていないからである。こうして、問題文を理解しているかどうかは、図をかけないという事態、あるいはかかれた図を見ればわかる。
 よくレジュメを出すとき、答えだけ書いてくる子がいる。私が本当に知りたいのは、どう考えたか、答えを出すまでのあらすじである。「式を書いてこい」というと、単位のない数だけの式を2つ3つ書いてくる。違うんだよ。私は、式を見るとき、単位を見たいんだ‼️  単位を辿りながら、式の意味を追っているんだ。なぜこんな式が立つのか、それは単位を見れば立ち所にわかる、だから正確には、「単位をつけた式を書いてこい」と言ってるんだ! いや本番のときは、単位なんかつけなくていい。時間との戦いだから。しかし、指導では単位をつけることによって、自らの思考の道筋の正しさを担保できるからだ。
 それから、考えの根拠を知りたい。その式が必然的に出るしかなかった理由を知りたい。それは考え方を知ることでもある。その根拠が「図」ということなのだ。これこれの図をかいてみたら、必然こういう式が出てきた、ということをわたしに示してほしい。
 図がかけるようになるということは、思考の成長を「かたち」で示すことになる。図を見れば、「むっ、こいつはできる」ということになる。

 竹の会には、基本5部作と言われるレジュメテキストがあります。
 ①算数の魁 ②思考の鍵 ③小学思考の素〜割合問題編 ④新小学思考の素 ⑤小学思考の素〜その他の問題編
以上です。この五部作は、割合を軸として、思考を鍛えるレジュメ群です。このレジュメ群は、遅くとも小5の夏までに終わらせておくのが、成功の要件になる。
 小5の終わる春になっても終わらせることができなかった子の多くは落ちている。例外はもちろんいる。平成25年頃までは、小6の6月や9月に来た子が受かった例もある。しかし、公立中高一貫校の受検生が洗練されてきた26年あたりからそれはなかなか難しいことになってきた。難関私立の受験生が、小石川桜修館などを当然のように併願校にするようになると、たちまち難易度は上がった。特に、小石川の難易度は異常で、これまで「受かる」と見ていた子が、落ちるという現実に立ち会うに及んで、これは並大抵のことでは受からないと私も覚悟した。小石川を受けるという子には、私の課すノルマがこなせなければだめと思う。もちろん勝手に奇跡を信じて受けるのは構わないけど、私の中では合格はない。
 わたしには、小石川を受けるなら小石川の、桜修館を受けるなら桜修館の予定処方箋がある。わたしの課すノルマを合格ハンコを取りながら終わらせられるなら、合格は見えてくる。

 五部作を終わったら!
 合格を確実にするには、小4までに、「推理の素」「思考の源」「1%下巻」を終わらせるのが、理想である。
 しかし、小4入会だと、小5が終わるまでに、「推理の素」まで行けるか、わからない。人による。行ける子は受かる。
 こうして、小5入会からの合格がかなり厳しいものになるということは分かっていただけると思う。小5入会だと、合格可能性は、50%ほどであろうか。過去合格した子の共通点は、「よくできる」が9割以上あること、「知能が高い」こと、「努力を惜しまない」こと、なのかと思う。
 それから、これは余談ですが、過去竹の会の季節講習に出なかった子が合格した例は1名しか知りません。竹の会の季節指導は今は任意参加ですので、不参加という人もいますが、竹の会で合格者を出してきたのは、あげて季節講習のおかげです。季節講習なしには竹の会の合格は語れません。

 竹の会の指導は、個人的な「診断」と「処方」です。ひとりひとりの子について、どう指導していくか、を私は検査指導で決める。それからこれからの指導手順を組み立てる。それからレジュメを処方する。レジュメをやりとりしながらわたしは検査と処方を繰り返していく。具体的に言えば、入会したら最初の指導は、学年にもよるが、小4を想定して言えば、まず小数の四則を訓練するであろう。小数の余りのある割り算をマスターさせるのが目的である。小2だとまだ九九もあやふやなのでその辺の訓練から処方することになる。わたしのレジュメでスイスイといけばいいのだが、中には、呑み込みの悪い子もいる。そこで市販のドリルを処方することもある。次に、小数から分数へと歩を進める。分数の処方は今ではかなりシステム化されていて早い子なら1か月もかからないでマスターしてしまう。特に、わたしは分数のかけ算、割り算は、かけ算に統一し、かけ算は、約分という概念で理解させることにした。子どもたちはたちまちわたしの意図した通りにマスターして、それこそたちまち難度の高い分数の四則混合算をこなしてしまう。流暢な計算のスタイルができたら逆算をマスターさせる。子どもたちにはなかなかの壁であったが、ここで私は、逆算をたちどころにマスターする方法を発明した。逆算ができるようになれば、いよいよ割合指導に入る。
 以上のような指導は、個人対個人のかたちをとる。医者が患者と個対個で対するが如しである。
 未熟、幼い脳に如何にして割合の考え方を組み込むか。
 これはこれで一つ仕事である。わたしは、割合がわからないという子たちの一人一人と対峙して、観察し、分析し、どこが障害になっているのか、診断してきた。その上で、処方としてのレジュメを制作してきた。夥しい患者を診て、その都度「処方」としてのレジュメを作る。そういうことを何年かやっていると、もうそれは様々な処方レジュメができてしまうわけです。子どもたちは、わたしの診断と治療の、甲斐あってようやく割合の全体像を摑むことになる。私の狙いは、割合の全体を踏まえた鳥瞰的視野から考えることです。この割合修得過程を、通して子どもたちは、様々な思考の綾を学んで行くのです。自然に速さ、時間、道のりの関係も学ぶ。様々な関係性を学んでいく。いつしか考えるということの、真の意味を体感し、勉強のスタンスも作られていく。その頃になると、私の仕事は、ずっと楽になります。
 指導の実際では、子どもの、事実の誤認を指摘して、考えを修正する、方向づけを与える、そういうことをします。事実を読み取れてない、飛ばし読みをしている、浅いところで勝手な理屈をつける、子どもたちはいろんなことをやってますね。その都度いちいち気づかせるように言葉を選びます。
 大切なことは、自分で考えて解くこと、です。毎年のように、ここのところを疎かにする子が、脱落している。適性問題がほとんど解けないのだ。これは、算数を通しての思考訓練に失敗したということだ。いいですか。一つの問題に取り組んだら、とことん考えなさい。時間で言えば、最低2時間、それでわからなければ、また明日でもいい、もう一度取り組む。問題文はもう読み取れるまで何回でも読む。反芻する。問題文が暗唱できるほど読み込む。そうしたら電車の中やバスの中でも考えることができる。

 関係性を見つける。図にかく。これは問題文を抽象化するということです。図にかけないというのは、問題文を抽象化できないということなのです。ここで思考というものを定義しておこう。思考とは、抽象的な営みです。傍目には、具体的なものから抽象的なものへの昇華をいうかたちを辿る。関係性という抽象化、それは事実にある枠をかけて意味づけすることなのか、と思います。具体的事実から図をかくということは、事実の抽象化、意味の枠を掛けるという過程なしにはありえない。図をかけるか、どうかということが、その子の理解の水準を測るバロメーターになる。考えて見れば、わたしは、検査指導の段階で、「わからない」という事象の判断において、抽象化の能力を診ているのである。

 例えば、
 通分のわからない子は、最小公倍数という抽象化概念を構造化できていないわけだ。倍数という抽象化は、倍数という言葉から、具体的な現象が反芻できなければならない。公倍数の「公」とは、「共通」という意味合いで使っている。それから分数の意味である。分数で何を表せているのか。そこ考えることが抽象化なのであるが。分数は、➗の記号の上を分子、下を分母と呼ぶことにしたもの。つまり、分数とは、もともと 分子➗分母 を表している、だからその値は常に一定である。これは、分子と分母の割合が、常に一定ということである。
 例えば、2➗3 と、4➗6 は分子と分母の割合は同じで、勝手に、分子だけ、若しくは分母だけを変えると、もはや元の分数とは、違うものになる。
 例えば、2➗3 と、3➗4 とは、分子と分母の割合は違います。
 ところで、この二つの分数をそれぞれ次のように分母を12にして表すと分子はどうなりますか。
 2➗3 →(2✖︎4)➗(3✖︎4)=8➗12
 3➗4→(3✖︎3)➗(4✖︎3)=9➗12
 この二つの分数は、分母を同じ数にして、それに合わせて、つまり割合を変えないように分子を変えたので、とても比べやすいですよね。
 比べる易いのは、分母を同じ数にしたからです。分母を元にする数、すなわち基準の数として、分子の大きさを比べるわけです。
 ところで、8➗12 については、次のような3つの解釈が可能です。
 ① 1を12等分したうちの8個
 ② 8を12等分したものの一つ
 ③ 8の中に12が何個含まれるか
 ②と③は、同じ根です。
 例えば、360➗12
 360を12等分すると、一人分は、30というイメージです。
 360の中に12が何個含まれるか、30個というわけです。
 ②は、「分ける」という思想が、根拠、③は、「まるで分子が親のような」イメージです。もっと理論的に言えば、分子は分母の何倍あるか、です。
 360Lの容量のタンクに12L瓶何本分入るか、そういうイメージです。
 ①は、ある大きさを1として、例えば、羊かん1本を12等分します。そうすると、羊かん1ピースの大きさが決まります。この1ピースの羊かんを単位として、8ピース分というわけです。
 この分数の特徴は、分母が、1ピースの大きさを決めること、分子は、その個数を表すこと、です。①の思想は、ピースを揃える、ことで、他の分数との比較を可能にする、つまり、通分というのは、この思想を根拠とする。

 

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