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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

桜修館、小石川へ/日比谷、西へ/なにがいちばん大切なのか/じっと見守ること

2016.05.15

 おはようございます。本日は渋谷Aの指導日です。天気良好にして初夏の装い、やがてくる梅雨までのほんのひとときのやすらぎにただただ感謝あるのみ。

 竹の会は1月で卒業した子たちに変わって新しい子たちが少しずつ増えてまた徐々に活気が戻ってまいりました。去年の2月には小4が集まらず、逸材を小5の1年間をかけて育てるということができませんでした。

 そういう事情から去年の10月から高校入試指導を正式に再開しました。これまで公立中高一貫校に偏重してきた指導を変えざるを得ない、それほど望むような逸材がこなかったのです。それでも都立中などをめざす子も3人程度を目安に集めることとしました。九段で毎年開催される公立中高一貫校を知る会に合わせてチラシを配ったりもしましたが、労多くして功少なしでした。説明会の類いは主として小6、ときに小5を対象にしており、竹の会が今もっとも来て欲しい小4と出会う機会とはならないと判断しまして、今後のチラシ配布はしないこととし、専らウェブ戦略にしぼって竹の会の普及を図ることとしたしだいです。

 このわたしのブログに偶然にも出会われたみなさんのひとりでも縁あって竹の会に入られるきっかけとなればと願っております。この広い東京の渋谷駅から歩いて10分ほどの所に竹の会はあります。ほんとうに小さな塾ですからだれも知らない、気がつかないのもしかたありません。竹の会卒の戸山生はよく「でもネットでは有名ですよ」と言いますが、最近「そうなのかな」と思ったりもします。

 おかげさまでわたしの「草枕」は去年の10月にHPに移転して3か月ほどでしだいに読者数が増え続けております。「草枕」は、他の人気のあるブログのように派手な試みは何もありません。ただ訥々と思いを綴るだけ、文章だけのブログです。ですから爆発的に読者数が増えるということはないと思いますが、確実に固定の読者が積み重ねられているという実感だけはもっております。毎日地道に書き綴り、偶然に出会った人が、一人二人とまたやってきて、しだいに固定されていく、そういうように思います。これが竹の会と未知の人との出会いのきっかけになる、これしかないと思うとわたしは書くしかありません。

 平成27年に桜修館に合格した女子のお母さんですけど、「わたしは難しいことは何もわかりませんから」と言われておりましたが、毎日学校から走って帰ってくる我が子の足音で体の調子を感じとったり、我が子が熱を出して竹の会を休むことになったとき我が子が涙を流して悲しむのを見ていっしょに泣いたりとなんとすばらしいお母さんなのかとわたしは思いました。その女子は実に礼儀正しく、控えめで、よくもここまできちんとしつけができたものだな、とわたしはそちらのほうに降参してしまいました。強い勉強への意思を貫き通す姿勢というものは、もって生まれた才能なのでしょうか。

 子どもというのは、「育つ」のを見てやる、そういうことなのであろうと思います。親がいろいろ自分のやりたいように作為を加える、そういうものではないのではないか。親というのはじっと見ていてやる、親のできることというのは、そういうことだけ、そしてそれがいちばんいいということなのではないか。

 「自然の木と人間に植えられてだいじに育てられた木では当然ですが違う。自然に育った木は強い。なぜ。木から実が落ちてもすぐには芽を出さない。いや、出せない。ヒノキ林には地面までほとんど日が届かん。種は何百年もがまんする。すき間ができるといっせいに芽を出す。何百年もの間の種が競争する。それを勝ち抜く。だから、生き残ったやつは強い木です。それから大きくなると、となりの木、そして風、雪、雨、・・・。木はじっとがまんして、がまん強いやつが勝ち残る。千年たった木は千年以上を勝ち抜いた木です。」(西岡常一著「木に学べ」)

 日本で唯一の名人と言われた宮大工の西岡さんは「木は人間に似ている」と言います。わたしは先ほどの桜修館に合格した女子のお母さんの姿勢、じっと自分の子を見ているだけ、そういう姿勢が実はいちばん正しい姿勢、ありかたなのではないかと思っています。

 いい子に育てるにはどうしたらいいのか。少なくともほしいものを何でも買い与えるという今の親の姿勢は間違っている。子は何の努力もしないのに、欲しいと言えば親が買ってくる。こんな子が大きくなって社会に出たらと思うとゾッとします。

 「厳しい条件のところで二千年以上のヒノキが残る。台湾のヒノキは土壌がない。岩ばっかりや。風化して割れてる。その間に水がしみ込んでいる。ほんのわずかの水をめざしてヒノキの根が岩の間に入ってくる。・・・人間も同じ。甘やかし欲しいもんがすぐ入ったんじゃ、いいもんにはなりません。木は人間に似ている。環境と育ち方が木の性質を決めてしまう。・・・」

 どんな悪環境にも耐える、がまんする、環境に合わせる、欠乏がいい子を育てる、それで母親は「じっと見ている」、これがいちばんいい。

 時間がなくなりました。この続きはまた夜にでも・・・

 

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