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模試の成績と合否の関連/本番直前は何もしなくても実はかまわない/塾に行かない子らの転落、塾に行っても転落する、そして社会的弱者が蔓延して、勝者が嗤う仕組み

2018.01.19

 おはようございます。2018年1月19日になりました。小6が竹の会にいるのも残り12日です。本番まで中14日、時々刻々と時は確実に刻まれ、その日に向かって進んでおります。1月に受けた模試の結果が出たところもあります。直前の模試というのは、それなりに合否を予測する資料にはなるのか、と思いますが、過去の例を見ても、それがそのまま合否に反映することにはなっていません。都立中の場合、早稲田進学会の模試では、成績優秀者に名前を乗せていた子が「落ちる」ということもままある。もちろん成績優秀者が受かる蓋然性は高い。早稲田進学会の模試は、問題の難度が高すぎて「使えない」ということもある。富士、白鷗や九段志望者だと、大原の模試あたりがいいのかもしれない。富士の合格者だと、早稲田進学会ではぱっとしない子が受かっているから、模試としては、早稲田のは使えないけれど、ただ全体の受検者の中の位置を知るのには有益と思う。大原で合格可能性何%をとればいいのか、ということもある。過去の合格者だとまず70%は取っていた。九段内部枠なら60%でもいい。富士の合格者には50%で受かった子もいたが、これは超例外と思う。その子は作文が優れていた。作文だけなら早稲田進学会で3番をとったこともある子だった。酷なようだが、40%判定では過去に合格例はない。30%となると言わずもがなである。

 合格する子について言えるのは、模試での成績にブレがない、ということがあるが、先の予想外の合格では、そのブレの一番いいときが本番で出たということになる。模試の成績が次第に下降線を辿る子というのも合格はしないものである。期待はするけれど、その期待も大きいけれど、本番というのは、魔物である。そういう期待は悉く打ち消される。試験というのは、期待が微塵に砕かれる性質のものである。

 だからわたしは受検勉強を始めたら決して家庭の事情など持ち込んではならない、と訴えてきた。また普段が先送りする子、要するに怠け癖の子は、9月以降に必ず失速する。頭がいい分、心身に異常をきたす子も出てくる。試験というのはそれほどに子どもの心に魔物が棲みやすい。実家帰省に使った1週間、レジャーに使った3日間、なにやらの発表会の準備に使った数か月、盆正月の数日間、そういう先送りの積算が、後からボディーブローのように効いてくるのが試験です。難関試験の合格者というのは、1日たりとも蔑ろにせず毎日10時間以上勉強したという人ばかりです。そうです、試験というのはある期間それだけに没頭する、それが絶対に成功するためには必要なものなのです。ほんとうに合格したいと思うなら、勉強だけの生活をすることです。2学期なって伸び悩むとか、冴えないという原因の主たるものは、要するに、勉強に専念してこなかったからです。勉強というのは、中断が天敵です。中断すると振り出しになる。これは常識です。勉強というのは、もう手を抜いたら終わりです。後から修復が効かない。中断したらまた終わり。人間の頭というのは、中断というか、不作為に弱いのです。すぐに忘れるようにできている。1日休めばすぐ忘れる。みんな忘れる。だからとにかく四六時中勉強から離れてはいけないのです。勉強というのはそういうものなのです。勉強の取扱説明書というものがあればわたしはまずこの注意はくどいくらいしなければならないと思う。

 ◎小4が人生の分岐点となる

 ◎私が作り上げた竹の会という最強の思考力発掘育成システム

 公立小は8割が普通の授業にもついていけない不振児である。公立小という低レベルの授業にもついていけない子たちが溢れているのが公立小である。授業についていっているのは2割に満たない。ほんの一部の天才が私立難関に流れるとして、3~4割ほどが私立中へ取り込まれる。少子化で頭の悪い子でもカネさえ払えば私立中は大歓迎である。こういう連中はとにかく大手進学塾などに早くから通う。親が熱心に勉強させる。今や大手進学塾もこういう子を取り込まなければ商売ができないほど少子化が進んでいる。頭の悪い子とわかっていて授業するわけでわたしには到底理解しえない世界である。わたしには教えられる頭の悪い子にも許容限界がある。だれでも「来る者は拒まず」式の客集めは常識的に考えても嘘くさい。私立だけの時代から公立中高一貫校ができてこれまで受験とは一線を画していた親子が突然受検受検と熱を上げだした。こういう層を巧みに取り込んでいったのが、公立中高一貫校対策を売りにする大手塾であった。これには学校の優等生から劣等生までが吸い込まれるように取り込まれていった。こうして授業もろくに理解できないバカがこうした大手に取り込まれることとなった。大手に行けば都立中へ入れる、行かなければ入れないと信じ切った親たちがもう大手しかないとい信じ切って、子を大手に通わせる。こうして受験や受検とは一切無縁の大勢の勉強無関心層が取り残されることになった。

 私立中にも取り込まれていく頭の悪い子がいるが、進学大手というのは、「落ちこぼれ」を必要悪する本質をもつから、実は大量の落ちこぼれが排出していることを見逃してはならない。それに都立中は8倍前後の競争率であるから、受検した中の87%は地元の公立中に行くことになる。つまり、公立中というのは、私立を落ちた落ちこぼれ、都立を落ちた大半が頭の悪い子の、裏から言えば1割ほどの優秀児、そしてもともと勉強に縁のない子たち、そういう子たちの受け皿なのである。この中で1割が都立トップ校や私立難関をめざすことになる。ここでも都立中失敗組が大手塾で失敗する構造は引き継がれる。

 ここで生き残るのは、受検はしなかったけれど優秀な子、受検に失敗したけれど優秀な子、こういう子たちはほんの一握りである。たいていは部活で人生を見誤り、高校とは名ばかりの高校に行き、勉強もろくにしないで、社会に吐き出されていくことになる。

 塾に行かないというのは、大半の子には悲劇である。もちろん例外的に天才児がいるかもしれないが、たいていはそうではない。学校だけで教育は十分だとほんとうに考えているのか。貧乏というのは相続されるように今の社会のしくみはできている。いやこれは知的なものを上級武士が独占していた江戸時代からの仕組みでもある。現代の小学校には学力をつける能力はない。溢れる勉強難民が、貧乏を子孫へと引き継ぐ構造が暗にできあがっている。現代は貧乏相続制度の時代である。勉強難民は社会的弱者として、搾取される人生を唯一の選択肢とする人生しか選べないしくみになっている。小学でまともな指導の機会もなく、低学力の自覚もなく、中学で落ちこぼれ、どうでもいい高校に入り、まともに勉強もしないままに社会に流れ込む大量の難民。

 社会勉強という言葉もある。社会勉強とは、社会に出てから、経験を積みながら学んでいくという面を言ったものであろうが、事はそう単純ではない。そもそも社会というのは、喰っていくために働くところである。喰っていくためにどんな職に就くのか、ということがまず直面する問題である。技術で喰っていくとしても、ガテン系で喰っていくとしても、これまでの勉強落ちこぼれとはもう関係のないところで日々戦わなければならない。ささやかにつましく、勉強に落ちこぼれた人生は忘れて、リセットした人生を歩むこともできる。

 さてそれでどうなるか。勉強難民の人生はそういう人生の本質は変わらない。

 勉強で身を立てる人生が必ずいいとは言わないけれど、もし勉強で人生の色を塗りたいのなら、勉強というものの取扱についてはもう少し慎重に考えてみたらどうであろうか。勉強によって将来自分の選べる職業の選択肢がいろいろと広がるのなら勉強したほうがいい。勉強しないと、自分の人生の選択肢をあまりにも狭い、少ないものにしていると思いませんか。中学で部活に翻弄されてそれでトップ都立にも行けないとしたら、それは自分の将来の職業の選択肢を狭めていることになりませんか。

 勉強を今なんでやるのか、それは将来の職業の選択肢をたくさんにするためです。勉強しないという選択は、塾に行かない、習い事・稽古事・スポーツに生きる、大手で潰される、いずれにしても、「しかない」選択肢の人生を選択しているということです。

 さて、回りくどくなりましたが、塾に行かないということは貧乏相続ということになる、としても、塾に行くとしても、洗脳された母親、父親の選択は、大手ですから、結局は、子を選択肢の狭い人生に追いやることになる、ということです。

 

 竹の会は、わたしかぎりで終わる塾です。わたしが最初から思い描いていた、小4早期(小3の2月から小4のぎりぎり7月まで)からの指導訓練で、思考力を発掘し育てていく、つまり脳の訓練と鍛錬を重ねていく、そして将来は都立中に受かる、もしだめでもトップ都立に受かるだけの力をつけいてくという発想のもとに構築してきた最強の思考力訓練システムです。平成26年わたしのシステム訓練を受けた男子が惜しくも桜修館に失敗しましたが、3年後に都立日比谷、慶應志木に合格したという報告がきておりますが、これは竹の会が想定している内に当然あったことです。竹の会で成功するには実は小4早期がいちばんなのです。竹の会のような無名の小塾がいくら募集しても、小4から来てくれる親など皆無に近かったのです。譲歩して小4の2月と言ってもどの親も大手に行ってしまいます。だから竹の会には大手経験のある小5が集まる傾向があります。小5では竹の会の納得のゆく指導をするにはどうしても期間が足りない、これはわたしの苦悩でした。小塾かつ無名の竹の会に小4早期から子どもが来てくれるなどということは夢のまた夢でした。

 小4からきた子の成功の蓋然性はとにかく高いのです。それから竹の会に来ても「勉強に距離をおく」子は伸びません。これは親御さんがもっともよく知るところでしょ。竹の会の指導のいいところを利用して、勉強に前向きでない子を託するなどということはしてほしくありません。勉強にいやいやな子を連れてこないでください。

 竹の会は毎年毎年が勝負です。今年もなんとかやってこれた、これが正直な気持ちです。だから竹の会が将来もあり続けるなどということはないと思っていたほうがいい。1年先だってわからない。だけれども、竹の会は、23区の子どもたちに、子どもたちの将来の選択肢を増やすために、命あるかぎり、心血を注ぎたいと決意しております。

 

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