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2019.09.16

 

 

第13章  知能という抗い難い壁
 教えたことしかできない子たち
 教えたことと同じ問題でなければできない。問題を見たら同じ問題を思い出そうとする、そういう頭の働かせ方をしようとする。こういう子たちの解き直しというのは、覚えた解き方を思い出して書く、という頭の使い方をしているとしか、思えない。あるレジュメ集の解き直しを何回かやったというので、そのテキストから20題程抜粋したものを解かせたところ、半分が、白紙、残りもあまり解けていない、こういう結果であった。
 この結果から、わかるのは、この子には、少なくとも、思考問題の解き直しは、意味がない、ということである。適性問題の思考に関わる問題は全く解けていない。ことからも、問題が別のところにあることがわかる。

 「わからない」という事態に、どう対応するか、対処するか、これが、塾に問われる。塾というのは、常に、この問題と対峙してきたし、様々な処方を試み、つまり治療を尽くしてきた。少なくとも、竹の会では、そういう対応をとってきた。もちろんわたしは他塾、特に大手塾が、何もしないことを知っている。「頑張って努力しなさい」、「頑張れば受かる」と、つまり、巷の塾のやることは、精神論である。できないのはやる気がないから、やる気さえ出せばできるようになる、と叱咤激励する。つまり、巷の、塾は、塾という看板だけ張っているだけで、実は何もやることがない、無為無策とはこのことである。ところが、世間のおばちゃんは、この精神論をありがたがる。新興宗教にハマったおばちゃんと同じである。熱血、精神論塾長に、心服して、疑わない。東京の塾の宣伝を見ていると、美辞麗句を謳い揚げるけれど、中身はどうなのか、何も担保されていないし、たいていはできないという子を精神論で誤魔化す、これである。

 わたしは、竹の会では、とにかく手を尽くして、もはや打つ手なし、ギリギリまで、試してみる。
 もうだめかな、そういうギリギリのところまで、粘り強く、やってきた。しかし、私の思いとは、別に、子どもというのは、一気に勉強の熱が冷めるし、好奇心旺盛な子は、勉強から気持ちが離れて、他の面白そうなことに惹かれていくものである。できないから、そうなるとも言えるが、わたしが、退塾を打診するのは、有効な手立てが尽きた、ときであり、まあ、敗北宣言と受け取られても仕方ない。
 事実を分析して、意味ある事実を抽出し、予め学んだ仮説、定義に当てはめる、こういう頭の働き、働かせ方が、できない限り、実は、子どもたちが、成功の道を歩むことはない。「わからない」、できない、というのは、成功の道からはすでに脱落しており、本来の指導の目指す形ではない。指導する側には、実りのない指導からなんとか抜け出したいという、それこそ切羽詰まった気持ちに苛まれ、それでも手を尽くす。子どもが投げ出すか、わたしが諦めるか、落胆と失望、悪い兆候と光明、その狭間の中で、攻防を繰り返し、鬩ぎ合い、格闘する。塾の仕事は畢竟このような暗黒の側面がある。

※せっぱ【切羽】
①刀の鍔が、柄と鞘に接するところの両面に添える薄い金物。
②さしせまった困難。きわめて困難な時。

 塾の仕事とは、何だろうか。指導すれば導くことが可能な子のみを導く、そういう塾があってもいいはずである。しかし、親たちは、いい塾という評判を聞けば、そしてその塾が、見込みのある子しか見ないということを公言していても、親たちには、一向に動じないというか、無視してやってくる。「成績は悪いのですが」とやってくる。とにかく逞しい。
 わたしは、入会試験にすんなり合格する子をまず指導したいと単純に思った。

 その前提として、「よくできる」が、8割以上ある子を想定した。内申というのは、一つの指針となる。小学校の先生は、贔屓すると批判されることも多いが、そうとしても、内申は、子どもの客観的な側面をよく指摘している。いくら頭がよくても内申が悪い子は悪いなりの理由がある。小学校の先生に自分の良さをアピールできない子は、やはり問題を抱えている。

 入会試験に合格しても、内申基準が満たさなければ、実は指導に適さない。
 内申基準を満たし、入会試験に合格しても、ダメなこともある。習い事、稽古事、スポーツに重心を置く家庭は、指導には適さない。

 最近は、父親主導の家庭も多いが、たいていは、前面に出てくるのは母親というのが相場である。わたしが苦手なのは、一家言ある父親や母親で、わたしの指導に口を挟むようになると、指導はいずれ暗礁に乗り上げる。
 仮説、概念、定義を理解して、問題を定義から、読み解いていく、そういう頭の働かせ方が、できなければ、伸びる見込みはない、というのが、正直なわたしの本音である。
 覚えたことを思い出して、解こうとするスタンスからは、創造的な頭の働きは何も期待できないであろう。できないという子が、勉強をやろうとするとき、知能の壁が彼ら彼女らを阻む。彼ら彼女らには、定義と事実を照らし合わせながら組み立てるという思考の操作ができない。教えられたことを「思い出す」という脳の働きしかない。こういう「教えたことを思い出す」型の勉強しかできない子は、解き直しも思い出す訓練にしかならないから、とにかく速い。あっという間に、もう6回解き直した、などという。実は、7回解き直しというのは、思考型の子たちにとっては、そう簡単ではない。一問一問、考える、という「間」を取るというスタンスが、考えるということの実際だからだ。問題を見て、前に解いたやり方を思い出して、さっさとノートにやる、記憶の新しいうちに、やれば、そんなやり方なら、たちまち7回なんて終わるだろう。こういう子たちに、7回解き直しの終わったはずの問題を、何か月かを「間」を置いて、解かせると、思考という「間」がないから、全く解けない、ことがわかる。

 事実は、変わる。事実は、千変万化にして、有為転変を本質とする。しかし、定義というのは、事実がいかように変わろうとも、定義に適用できる事実は、不変である。不変なものに、定義をあてはめる。よく立体の問題で、三角錐とか、直方体の中に球を入れて、球の体積を求めさせる、という問題があるが、これなども、球と立体の接点を通る平面で、切断して、その断面図を取って、考えるということをやるけれど、有為転変の事実にしても、自分仕様に、事実を、定義というナイフで切り取って、断面図を作り、考えるということをやらなければならない。これが、考えるということである。

 教えたことしかできない子たちの指導は、この子らを考える型の子らに変えていく、という難事業の様相を呈してくる。これができるのか。少なくとも、小5以降では遅い。時間が足りない。つまり、知能の制約から、思考型の脳の働かせ方ができないという子を思考型に変える試みに挑戦するとしたら、それは小学低学年からしか考えられない。小5からでは遅い。小4後半でも遅かった。間に合わなかった。なぜなのか。そういう子というのは、本人に知能が足りない分、勉強意識が希薄で、したがって勉強の関心も低調で、さらにそれに輪をかけるのが、親が習い事、稽古事をやらせることによる、勉強意欲の分散化である。能力の低さを他の面白そうなことに向けることで、分散させることで、勉強ができないということを薄める効果がある。習い事、稽古事というのは、いわば勉強の力学的回避行動である。こういう家庭というのは、習い事、稽古事が、勉強意識の希薄さをうまく、他に向けさせて、心のバランスを保つ、ということをよく知っている。親も習い事、稽古事に頑張っているからと、勉強意識の希薄さからくる勉強回避意識、逃避意識には、寛容である。勉強ができるようにならないのは、習い事、稽古事をしていることが、直接の原因ではない。もともと思考型の脳を持ち合わせてないからである。

 事実に定義がそのままあてはまらない。その方が通常である。教えられたことしかできない子というのは、事実を組み替えたり、ちょっと言い回しを変えたり、一見定義にあたる事実が、なくても、間接的に推測すればいいのに、とにかく教えたことがそのままでないともう「わかりません」と言ってくる。

 知能が回らない子というのは、事実の見方が浅いため、事実と事実の違いを見分けることができません。表層的な、つまり外から見た目で、具体的な差異を見ることしかできない。この時点で頭の使い方がすでに違うわけです。事実と事実を比べるとき、事実の瑣末な差異などどうでもいいことで、本質のところで、違いを判別しなければなりません。頭の悪い人というのは、事実を具体的な事実、固有の事実、特定した事実としてしか認識できないのです。事実を抽象化して、切り取ることができないのです。
理解するの内容
 理解とは、事実を自己の抽象化された基準に当てはめて、意味づけすることです。
 つまり、理解の前提として、抽象化された基準というものがなければならない。通常それは、定義の形で表される。理解できない子というのは、この定義が頭の中で使えないのです。その証拠に、わからないという子たちに、「それでは、…の定義は?」と尋ねると、まともに答えられない。この子たちは、問題を解くということが、問題の事実を意味ある事実として、つまり関係化された事実として、まず認識することができてない。さらには、そうした事実を抽象化された基準で、評価するということが「ない」。
 「わからない」という子どもが、事実を蔑ろにしていることがほとんどであり、事実を誤解し、曲解し、不正確にしか読み取れず、事実のある部分だけを取り出して、事実を勝手に作り替えて、わけのわからない式を書く。式には、脈絡がなく、根拠もないのに「割る」、「かける」と反射的にやる。つまり、わからないという子たちは、事実の読み取りが、読解のレベルで、できない。事実が読み取れないか、不正確にしか、認識できていない、のである。そもそも事実そのものが、認識できないのであり、いくら抽象的基準を当てはめようとしても、前提となると事実そのものが、誤解で固められていては、そもそもの思考の前提を欠く。

 「わからない」という子には、脳の抽象的思考の領域が、おそらく機能していない。これは、おそらく努力では、克服できない、のではないか。35年の経験が、私に、そう教えている。
塾にとっては、この抽象思考の機能しない子たちの指導というのが、一つの超えがたい障壁となる。わたしは、正直に、本音を告白すれば、この障壁に悉く打ちのめされてきた。だからある時からもうそういう子たちとは関わりたくないと考えるようになった。わたしが、渋谷教室に移転してから、入会試験を取り入れたのも、わたしの、そういう意識が影響していた。しかし、いつも現実は、理想とは程遠い。わたしを苦しめたのは、子の純粋さであり、また親の子を思う心情であった。子は親の期待に応えようと頑張る。親はできない子どもの真摯な思いを不憫に思う。わたしは、仮合格という、禁断の世界にまたまた足を踏み入れてしまった。さらに、わたしを失意の底に貶めたのは、入会試験に合格したはずの子たちの奈落であった。親も子も習い事、稽古事、スポーツに多くの時間を公然とあるいは隠密裏に費やした。わたしは、平凡な普通の人間である。だから大学受験では勉強だけにすべての時間を費やした。わたしのような普通の人間が、何かを楽しみながら、勉強して成功するなどということは、なかったのである。わたしは、中学では、約550人の中の10番前後の成績だった。高校は県立、当時大分県の進学御三家と言われた高校の一つに進学した。世の中にはとてつもない天才がいた。そういう人から見ればわたしは本当に普通の人であり、勉強に専念して、没頭して、ようやくなんとかなる、そのレベルであった。
 だから、わたしは、習い事、稽古事に当たり前のように時間を割きながら、受験も成功すると信じて疑わない親子が東京にはうようよいるということが、信じられなかったのである。この人たちは、わかっていない、そう思ってきた。案の定、そういう人たちは、悉く失敗していった。なんと東京の人たちは、受験に関しては、素朴というか、音痴な人が多いことか。受験というものをどれだけ甘く見ているのか。長い間、渋谷で高校受験の指導をしてきたが、地元の子たちの多くは、二流私立大に満足し、大半は、二流高校から専門学校を経て就職していった。わたしの高校時代の仲間たちは、ほとんどが、国立大志望であったことと思い合わせて、東京の中学生、高校生の、現実主義的な生き方に、戸惑ったものであった。
 わたしが、今の竹の会を、トップ都立高校の指導専門にしたのは、地元の平均値ではなく、国立大を夢見る生徒に、わたしの、本来の精神を安定させる、何かがあったからではないか、と思う。
 さて、話しを本論に戻すと、わたしは、子どもの知能のもたらす限界点に遭遇し、落胆し、悲しみ、自分の指導の限界を感じ、それでも情に流され、それでもとまた指導の方法を考えて苦しんできた。子どもたちの勉強に対する純粋さ、真摯さを感じる限り、無理かもしれないと直感しながらも、子どもたちの情には抗えず、必死に対応策を考える。それが今のわたしの姿である。
 わたしの心が、安寧なのは、勉強という一点に、親も子も迷いなく集中し、行動が向けられていること、ではないか、そう思う。たまにいる、そういう親子に出会えたとき、そこはかとない安堵感に満たされるということを告白しておこう。

桜吹雪

竹の会合格35年史 竹の会昭和60年(1985年)創設

平成31年
中学受験
都立桜修館中等教育学校(男子)※併願合格 巣鴨中学 攻玉社中学 都立桜修館中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)千代田区立九段中等教育学校(女子)

高校受験
都立青山高等学校(女子)  

平成30年
中学受験 都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 ※併願私立 東京農業大学第一高等学校中等部
平成28年
中学受検 都立小石川中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校 都立富士高等学校附属富士中学校 

高校受験
都立戸山高等学校 都立文京高等学校

平成27年 

中学受検 

都立桜修館中等教育学校 都立富士高等学校附属富士中学校
高校受験
都立戸山高等学校
平成26年
高校受験
都立駒場高等学校
平成25年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校 都立白鷗高等学校附属中学校  
高校受験 ※1名中1名合格
都立北園高等学校
平成24年
中学受検
都立富士高等学校附属富士中学校
平成23年
中学受検
都立小石川中等教育学校 都立桜修館中等教育学校  
高校受験
都立小山台高等学校 都立文京高等学校 都立産業技術高等専門学校
平成22年
中学受検
都立桜修館中等教育学校 都立両国高等学校附属中学校 東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等高校
平成21年
大学受験
慶應義塾大学(商学部)千葉大学(法経学部)
平成20年
中学受検
都立桜修館中等教育学校  
高校受験
都立西高等学校 豊島岡女子学園高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)立教新座高等学校
平成19年
中学受検
千代田区立九段中等教育学校 東大附属中等教育学校 東大附属中等教育学校高校受験
都立狛江高等学校

桜吹雪

平成18年
中学受検
東大附属中等教育学校
高校受験
都立富士高等学校 都立狛江高等学校
平成17年
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)
平成16年
中学受験
東大附属中等教育学校 成城学園中学校
高校受験
都立富士高等学校 都立富士高等学校 國學院高等学校
平成15年
中学受験
国学院久我山中学校 吉祥女子中学校
高校受験
都立新宿高等学校 都立鷺宮高等学校
大学受験
中央大学
平成14年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校
大学受験
慶應義塾大学(総合政策学部)上智大学(経済)
平成13年
高校受験
都立西高等学校 都立国際高等学校 都立新宿高等学校
平成12年

中学受験
東大附属中等教育学校 日本大学第二中学校 実践女子学園中学校  
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院高等学校 国学院高等学校 東京農大第一高等学校
平成11年
中学受験
立教池袋中学校  
高校受験
都立青山高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部

桜吹雪
平成10年
高校受験
早稲田実業学校高等部(普通科)早稲田実業学校高等部(商業科)立教新座高等学校 日本大学第二高等学校 都立駒場高等学校 都立三田高等学校
平成9年
中学受験
成城学園中学校 大妻中野中学校 大妻中野中学校 恵泉女学園中学校
高校受験
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 都立駒場高等学校 成城高等学校 成城学園高等部
平成8年
中学受験
昭和女子大附属昭和中学校 

高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立新宿高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学 東工大附属高等学校 日大櫻丘高等学校 玉川学園高等部
大学受験
東京理科大学(理工)
平成7年
中学受験
成城学園中学校
高校受験
東邦大附属東邦高等学校
大学受験
中央大学(法学部)
平成6年
都立青山高等学校 都立新宿高等学校 国学院久我山高等学校 帝京大学高等学校
大学受験
東洋英和女学院大学
平成5年

高校受験
都立大附属高等学校 

平成4年
高校受験
都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立青山高等学校 都立駒場高等学校 桐蔭学園高等学校(理数科)成城高等学校 共立女子第二高等学校 東京農大第一高等学校
平成3年
中学受験
東洋英和女学院中学部
高校受験
都立戸山高等学校 都立新宿高等学校 都立駒場高等学校 青山学院高等部
平成2年
中学受験
獨協中学校 

高校受験
都立新宿高等学校 都立大附属高等学校 東京農大第一高等学校
平成1年
高校受験
都立国際高等学校 
昭和63年
高校受験
都立駒場高等学校 都立芸術高等学校 都立大附属高等学校 富士見高等学校 国学院久我山高等学校
昭和62年
高校受験  
都立駒場高等学校 都立大附属高等学校 都立大附属高等学校 都立目黒高等学校 青山学院高等部 市川高等学校 国学院久我山高等学校

竹の会昭和60年10月開設

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レジュメ写真

合格者たちが使った竹の会のレジュメ

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