2016.02.23
そうだ、母はまだ夜も明けない、暗いうちから祖母と二人でわたしのために弁当を作ってくれたんだ。わたしが育った街、別府の街をわたしは夜も白む頃、母と祖母に見送られて家を出たんだ。別府駅まで歩いて10分ほどだったかな。たぶん急行だったかな、博多行きに乗って、3時間、わたしは、九州大学を受験するために博多に向かった。母にも祖母にもわたしの思いとは反対の行動ばかりをとってきた。高校時代母の泣かなかった日はあったろうか。祖母の、あのやさしかった祖母を苦しめたことがわたしにはずっと心に重くのしかかって、東京に出てから、いつも「ばあちゃん、ごめんなさい」といつもつぶやいていた。
あのとき、私を送り出したあの日、あのとき、その五ヶ月後に祖母が死ぬなんて考えてもみませんでした。わたしが父と衝突を繰り返したことが祖母の寿命を縮めたのだとわたしはずっと思ってきました。わたしが合格したことを母と祖母は抱き合って、涙を流して喜んでくれました。こんなわたしでも祖母に少しは喜びを与えることができたのでしょうか。今はそう思って、いや絶対に祖母は喜んでくれたと思っています。祖母の祈り、母の祈りは、わたしには何よりも深くわたしの心の深奥に響きました。
昨日、受験生に別れを告げて、去って行った子たちの背中をずっと見送っていたら、あのときの母の思い、祖母の思いがどんなにも哀しかったろうか、思い到りました。そしたら涙が止まらなくなってひとりで泣きました。
いつも二人には、やさしいお母さんがいて、じっと心配気に見守ってくれていたんだな、と思いました。きっと、母の祈りとはそんなどうしょうもなく心配で心配でどうしょうもなくやさしくてやさしくて慈愛に満ちたものなんだと思いました。
わたしの母もわたしの行動に胸を痛めながら、わたしが道を踏み外さないように、いつもいつも心配ばかりしていたのだろうと思います。母の祈りが子どもの心に届きますように、と私も祈ります。