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注意力が生死を決める!

2021.09.28

 

◎注意力が生死を決める!

 試験とは、心の勝負です。本番でどれだけ平静でいられるか、で決まります。どこまで冷静でいられるか、です。例えば、問題文が素直に頭に入ってこない、としたら、それは冷静ではない、ということです。細心の注意とは、冷静な心のみが、沈着な心だけが、可能にするものです。
 前に読んだ話しをよく思い出します。司法書士試験の予備校の講師Y氏の話しです。Y氏は、自分が受検したときのことを本に書いていました。それは、本番の書式の問題で、登記簿に「否認の登記」?だったかな、見知らぬ、語句が記入してあった。それで、はたと止まった、というのです。それで考えた。俺だけではない。みんな知らないんだ。だったら、落ち着いた奴が勝ちだ。知らない。でもそんな絶対不可能な問題なんか出すわけがない。わからない、だったら考えてやろうじゃないか、と考えたそうです。否認の登記は、破産法に出てきます。否認訴訟で勝訴すると否認の登記が職権でなされます。否認というくらいだから破産の効果を否認するのかと考え、それなら普通に売却の登記ができると考えたそうです。
 知らない、未知の問題が出されても慌てず冷静に考えて判断すること、これこそが試験の極意なのかと思います。
 知らない、それだけでパニックを起こし、考えることを放棄し、できないことに絶望し、ただ焦ることしかない。いや、違うだろ、その場で考えるのだ。今ある知識だけで戦うのだ。知恵を振り絞り、問題事実を偏見なく素直に見るのだ。そこで何が問われているのか、何度も問い糺すのだ。問いの前提を問うのだ。そこから論理的に詰めていく。当局(出題者)はそんな無理なことを訊いているのだろうか。重箱の隅を突つくような質問をするだろうか。そんなはずはない。誰もが知っていることしか聞かないはすだ。そんな特殊な知識を訊いて、マニアックな人間を募集しているはずがない。そうなのだ。論理的に普通のこと、あたりまえのことを聞いているのだ。
 真実は見えないものだ。裏に回れば真実はよく見える。私たちは見えない真実に怯えている。それは真実を特殊なもの、超例外なもの、特別な何かと考えているからだ。当局はあたりまえのことしか聞いていない。そのあたりまえを一見特殊なものに見せかける、それが当局の腕の見せ所だ。如何にも難しいことを聞いているようで、実はあたりまえのことしか聞いてないのだ。 
 考えても見てほしい。中学三年間の膨大な知識の中から、一科目について精々25問しか問うことができないのだ。たったの25問ですよ。それはそれは選ばなければならない。このとき、得点を80点取れるように調整するとしたら、それで1.5倍の倍率としたら、150人いたら100人が80点を取れるように調整することになる。ここから考えてもみなさんが普通に使っているテキストの中に載っていない知識は出せない。テキストをやっていれば解ける問題しか出せないのだ、
 ただし、ストレートにそれとわかる体裁では出さない。必ず一見難しそうに変装している。だから冷静に考えた奴が勝ちなのだ。本番に限ってできないということがもし真実としたら、冷静さを失って、本質を見失なっていたからに違いない。
 いいですか。試験は冷静になった奴が勝ちなんです。
 落ちる奴は、焦りとパニックで、冷静に問題を見つめることができなくなっている。
 問題を見ただけて、見たこともない問題と決めつけ、難しいと先入観が支配する。先入観とは感情が脳をジャックした、支配した瞬間といえる。その瞬間から理性の土俵である冷静さは消える。感情の世界に身を置いてはならない。感情の世界の住人には、焦り、動揺、欲、失望が渦巻く世界である。そのような嵐の中に身を投じては勝ち目はない。
 いいですか。冷静になることです。そしてその見知らぬ問題をじっくりと読みなさい。あなたたちは表から見ています。じっくり観察しなさい。気になるところを見つけたら、その糸口を見つめなさい。その前提を問いなさい。前提の前提を問いなさい。それがその問題の裏から見た姿を見せてくれるかもしれません。考えてもみてください。当局は、あなたたちを決して天才なんて思っていません。普通の子に解ける問題しか出せないんです。もしあなたが難しいと感じたのならそれは何かに気がついていない。だから冷静に冷静に問題を眺めてください。決して無理なことを訊いていない。だとしたら、あなたの道は自ずと決まってきます。冷静になって当局、出題者の声に耳を傾けてください。声を聞くのに全集中してほしいのです。
 あなたたちが、本番でやらなければならないことは、出題者の声に全集中すること、冷静に周りを見回し、全体を見ながら、仔細に事実を観察し、その意味を読み取り、冷静に、常識の範囲内で、考えていくことです。決して当局はあなたたちに無理難題を押しつけることはしない。あなたたちが普通に考えたらできるように作ってあります。しかし、当局は、あなたたちがミスを犯しやすいように問題を作るでしょう。勘違いするような言い回し、設定をするでしょう。あなたたちが迷うように構成するはずです。あなたたちを動揺させるために、如何に見たこともないような体裁に問題を装うでしょう。これはあなたたちが動揺してパニックを起こすことを企図しているのです。こんな罠にまんまとはまるのがあなたたちだからです。本番というのは、それでなくても平常心でいられない精神状態です。少しでも動揺したら負けです。少しでも動揺すればそれはたちまち広がり頭は動揺が支配することになるでしょう。わたしたちは、冷静になることだけが、わたしを生かす道だと悟らなければなりません。
 普段から冷静になるように自分を律することです。動揺は、根源に恐怖心があるからです。だから恐怖にどう処するかということなのです。
 これは冒頭のY氏の話しに答えがあるように思います。
 そうです。開き直りです。開き直りは、冷静へのスイッチです。
 襲いくる危難に際して、弱い人間が先人から学んだのは、あれこれ、くよくよ悩まずに、開き直って、危難を引き受ける、受けて立つ、ことでした。なるようにしかならない。それならあるがままを受け入れる。そういう心の処し方なのではないかと思うのです。
 だめでもともと、それなら今ある力で精一杯戦おう、そういうことなのではないか、と思うのです。
 開き直りは、冷静を取り戻す、人間に与えられた、生死のスイッチです。
 私たちの課題は、冷静になることです。

 冷静になる。それには、実力、深い思考力、日々の算数の鍛錬によって培ってきた、思考の力が、なければなりません。普段の算数の指導をただ算数の勉強をしていると短絡してはなりません。算数の問題に対して、あなたたちは、事実を正しく読み取り、その算数的事実について関係性を見抜き、そこから問いの求めるものを考えていかなければなりません。考えることに意味があるのです。ところが、時として、算数を解いていると、答えを出すことにのみ心を奪われ、正当な思考の論理というものを軽視する風潮が生じることがあります。答えさえわかればいいという態度が答えを盗み見ることも可とする。自分が苦しんで考えたということから逃げる。苦より楽を求めるのは、人間の本性なのかもしれません。
 竹の会では、何のために算数をやっているのか、ということを勘違いしないようにしなければなりません。
 呑み込みの悪い子というのは、要は、能力がない、ということです。よく母親が「うちの子はなかなか呑み込みが悪くて、でも根気よく教えればわかる」というようなことを言いますが、普通は能力的に足りないということなのかと思います。
 竹の会は、正直そういう遅い子、理解そのものが無理な子を対象にしておりません。そういう子はそういう子を対象にした塾があると思います。
 わたしは、わたしの受検、受験の指導を本当に必要とする、私の指導が役に立つ子たちを想定しています。都立高校なら七都立(日比谷、西、戸山、青山、新宿、駒場、小山台)に受かるほどの子を想定しています。都立一貫校に受かるほどの子を想定しています。それには、通知表の「よくできる」が、8割ほどが目安になります。8割あっても能力的に無理ということはよくあります。内申制度の不都合さから、内申6割でも受かる子がいます。小学校の教師はどうしても贔屓する。これは中学でも変わらない。中学では女子が内申が高い傾向があるのは有名な話し(事実)である。
 だから内申は飽くまで目安である。8割基準を満たさないなら、8倍の都立一貫校を受けるなどと思わない方がいい。
 気になること
 長く小学生を見てきて、「」がまともに書けない子が、あまりにも多いことに驚かされる。「」というのは、私の経験では、小1前後が勝負なのだと思う。この時期に、じっくりと字を練習させることである。一字一字を丁寧に書く練習をするのはこの時をおいてない。
 東京は共稼ぎの世帯が多いから、なかなか親が子どもの字を見てやるということができないのかもしれない。小学校に上がる前から公文に通っていたという子に字が汚い子が多いのは、これも有名な話しと言っていい。
 字が汚いというのは、子どもには大変な負の財産になるのではないか、と危惧している。まず中学生になってまともなノートが取れないというのは致命的である。それに字というのは、特に、中学以降は思考の道具として重要なアイテムである。
 そもそも入試は、マークシートもあるが、まだまだ字も占める比重が高い。
 字が汚いと、思考が雑、粗いというのは、真理である。ただその逆は必ずしも真ではない。つまり、字が綺麗でも能力の低い者は普通にいる。
 まず字から始めよ!
 思い出すのは、竹の会から桜修館京都大学に進んだ杉山太一君は小学校6年当時書道八段で、見事な字で作文を書いていました。彼に限って字が読めないから減点ということはなかった。

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