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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

渋谷駅から10分の都立専門塾/小石川、両国、桜修館対策/竹の会という奇跡の方法

2017.01.26

 今日は朝から雑用に追われましてようやく時間が切れました。1月24日になりました。刻々と時は刻まれていきます。時間という目に見えない「存在」なのでしょうか。日本列島は時間というものの存在を四季の変化が教えてくれる、そんなちょうどいい位置にある。わたしたちの祖先は暦という時間認識の道具を作り出した。日本の古典を紐解いても必ず四季折々の詞、何の年かが語られる。竹の会も毎年末にはカレンダーを配布していますが、ずっと同じ作者、デザインを貫いてきました。今年も無事配布できてほっとしております。

 去年は竹の会には激動の年でした。渋谷の片隅にある小塾竹の会がどうしたら東京23区のみなさんに知ってもらえるか、そんなことは不可能だとあきらめて、ただひたすら思いをこの「草枕」に綴ってまいりました。だれかに読んでもらえるという保証もないけれど切々と思いの丈を綴ってまいりました。竹の会という塾が東京23区のみなさんに認知される、「ああ、竹の会か」とそれだけで「わかる」という日がいつの日かやってくる、そういう夢を託して「草枕」を綴ってまいりました。

 巷にある塾とは違います。大手の塾とももちろんちがいます。よく「どんなふうにやっているのですか」という趣旨の質問がありますけど、これに納得のできるような説明をすることはかなり難しい。どう説明してもたいていは誤解してしまう。既存の塾のイメージであてはめて理解しようとするからです。竹の会では「指導」という言葉をよく使います。この指導という言葉がいちばん適切に竹の会の実体を説明していることになると思っています。今のような竹の会の指導システムというのは、ほんとうに長い間にかけて完成していったものです。竹の会はよく「進化する塾だ」ということを言われてきました。ある年の指導の方法というのが次の年にはもうガラリと変わっているということはよくありました。これはわたしが常にもっといい方法、より効果的な方法はないか、と追求してきた、追い求めてきたという性格的なものが大きいのかもしれません。小学生から高校生までそれは様々なタイプ、能力の子たちをみてきたわけで、その度にいろいろと修正してきたわけです。これは結局だめだとか、こういう要求を聞いていたらどうなるかとか、一通り見てきたわけです。進化してきたといいますが、基本的なこと、「考えさせる」指導とか、過去問を徹底してやるとか、そういうことは不動です。ただそれを実際にどうやるかというところで、それはそれは試行錯誤を繰り返し、今のような指導形態に収斂するまでに年月を要しました。今の竹の会の指導はまずわたしが研究と実証的検証を重ねて執筆してきたレジュメ、そして実際に指導を担当するわたしの指導技術に大きく依存するでしょう。様々なタイプの小学生、中学生、高校生を何百人も指導してきました。その中には自閉症の子とか、オール1の子、不良、様々な屈託を抱えた子、オール5の優等生、東大受験の高校生とそれはもうありとあらゆる子どもです。わたしは大概の子は見てきたのです。オール1の中学生を都立玉川に合格させたり、学年ビリの子を駒場学園に合格させたり、偏差値38の生徒を国学院久我山に合格させたり、偏差値62の生徒を青山学院高等部に合格させたり、青学の生徒を慶應大学に合格させたり、とそれはそれは尽きない指導体験を積み重ねてまいりました。この教材のこの事項を教えれば合格に近づくとか、この教材が効くとか、そういう体験的な知恵をそれはそれは蓄積もしてきました。子どもに接するときの子どもの顔色や表情を読むとか、言葉をどう使えばわかりやすいか、とか細かい指導の技術を磨いて工夫もしてきたのです。竹の会のレジュメはわたしが「子どもたちがどこで悩み、詰まるのか」を子どもたちの立場になって、これまでの子どもたちとのやりとりや経験から得た知恵の助けを借りて執筆したものです。わたしのレジュメが「なぜ分かりやすい」と言われるのか、わたしの説明が、「これまでいろいろなところで説明を受けてきたけれど阿部先生がいちばんわかりやすかった」と言われるのはなぜなのか。

 今の竹の会のわたしの指導を受ける子たちほど幸せな子たちはいないであろうとわたしは思います。毎年毎年指導を進化させてきた、新たな試みを試してきた。そういうことがもう30年以上も積み重ねられてきたのです。指導では今のわたしは過去の私の数段上をいくと思います。レジュメも進化し、説明も進化しました。わたしはよく算数の解法を考えますが、これはだめだな、もっといい解き方はないのか、と考えます。そしてよりいい解法を見つけてきました。今は便利ですね。たちまち教材に具体化できるのですから。パソコンの進歩、ソフトの進歩が、わたしにある時期から奇跡を起こしました。頭の中のイメージを簡単にレジュメにできる、そういう時代がきたのです。平成10年当時、ワープロ専用機を何台も潰して、教材を執筆していました。図とか写真とか取り込めなかった。今は簡単に思うとおりに作ることができるのです。わたしの頭の中のイメージがそのまま文書に、イラストになるのです。竹の会の子たちはわたしの作った教材に取り組み、これまでには考えられなかった速さで「考える力」をつけていき、タフな精神に鍛えていくことができるようになりました。

 今のわたしの指導が受けられる子たちこそ幸せだと思います。わたしの、わたしの竹の会はわたしが元気でいる限りの竹の会です。ですから23区のみなさんにこれからずっと邂逅できるということはないのです。今です。今だけです。わたしはよく思います。小4の早期にわたしの竹の会に来てほしい。そしてわたしに思うとおりに力を振るわせてほしい。平成23年に小石川に合格した男子を指導したときのように、わたしの思いの通りに、指導させてほしい。稽古事、習い事、よくあるのが法事、そして帰省、発表会、旅行、なんでもいい、そういうことでわたしの思うとおりに指導することができなかったとしたら、どうか落ちてもわたしを非難しないでほしい。わたしはわたしのすべてを投げ打って指導しようとしていたのだから、そしてわたしがその度に肩すかしをくらい、何度も何度も気を取り直してきたことを忘れないでほしい。いつかわたしの手の内で思い通りに勉強してくれる子に出会うことを祈ってここまできました。平成27年に桜修館に合格した女子に出会ったことは幸せでした。わたしの思い通りに指導できたことの幸運をどれだけ喜んだことでしょう。わたしがストレスを感じるとき、わたしにはそれはよくない兆候であること、それは経験が教えています。竹の会は入会したら、退塾などないと考えないでください。わたしはとても生真面目に指導が少しでもうまくいかない日は退塾が頭に過ぎります。ストレスがもう限界にきたとき、わたしはもう頭ではなく行動してしまいます。迷わず退塾の告知メールをしてしまいます。わたしを信頼して入会した親や子たちに退塾を通知するのはかなり辛いことです。ただわたしは退塾を告知ししたときにその問題が解消したことからか、体が軽くなる経験を何度もしてきました。信頼されているのはうれしいことです。だからその信頼にこたえることができなくて退塾とするときは苦悩に満ちています。退塾したあと体から何か抜けていく、心が軽くなる、それだけわたしの心を憂鬱にしていたのですね。

 竹の会がある限りわたしは竹の会の奇跡を現実にすることができる。竹の会に出会った親御さん、そして子どもたちが竹の会との邂逅と奇跡体験に出会うであろうことをわたしは知っている。

 竹の会に一度でも指導の機会を得た人たちが竹の会でそのまま指導を受け続けたい、と思うことを知っている。竹の会で子どもたちが変わっていくことも知っている。どの親御さんでも一度竹の会に出会えば、現実に竹の会の指導というものを経験すれば、もう迷わず竹の会の言っていることの正義を理解し、納得する、そういうこともわたしはよく知っている。

 竹の会という塾がわたしの命を削って「ある」のだから、わたしは竹の会という奇跡を命を削って示してきたのだから、わたしはわたしのある限りという悲痛な、いつかくるであろう、その時までがんばるだけがんばろうといつも覚悟し思い詰めている。

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