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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

無知な親が子を泥船に乗せる構造について

2019.01.14

 おはようございます。低温が続いております。小6、中3のみなさんは、どうか、体を冷やさないように、気をつけてください。低温ですが、天気は非常にいい、これで低気圧に覆われたらたちまち雨と雪に生活は乱されていたことでしょう。このまま青天が続くことを祈ります。

🔵ひたすら泥舟を作る、親、子の無知
 中学生が、伸び悩む、というとき、必ず思い返して欲しい。勉強を中断する何かがなかったか、を。勉強は、中断したら、すべてが、瓦解していく。勉強というものの本質を知らないのは、無知か、自惚れからとしても、それは致命的な無知、思い上がりとなるであろう。
 わたしはかねてより、小学生の様々な勉強中断行為に警鐘を鳴らしてきた。ある小学生は、小4まで、稽古事を続け、小5になったら止める、と言い、小4のときに入会試験を受けて、小5になって入会したが、小5になっても、結局回数は減らしたが、こっそり続けた。勉強にかけられるだけの時間を、かけないで、あれこれに時間を分配する。習い事、稽古事、スポーツ、武道、とにかく時間配分は、多岐に渡り、時間は分散される。これに、家族旅行、一日レジャー、実家帰省、法事、盆と正月、はたやクリスマス、ゴールデンウィークと免罪符となる大義が公然とそれがあたりまえのように罷り通り、とにかく勉強はいつも棚上げになる。どうかすると、棚にある期間の方が長い。中学生になると、部活、試合、遠征、合宿ともう勉強は棚に上げっぱなし、塾はただのお守り程度の存在になり果てる。
 こういう人たちの中には、試験が、近づいてきて、精神的に追い詰められる人も出てくる。悩む人はそれだけ真剣であり真面目なのだと思うけれど、当面の現実は流されるように、勉強を先送りしてきたのに違いない。
 わたしは、こういう人たち、つまり世間の大半の凡人たちは、自分たちで、せっせと自分の乗る泥舟を建造しているに違いないと思っていますが、始末の悪いことに、こういう人たちに、その自覚はありません。特に、それでもそれなりに成績がいい、という子がいまして、親はここで騙される。そんな程度で成績がとれる、それで「まっ、いいか」ということになる。しかし、わたしがいくら言っても頭に入らない、自分の浅はかな思い込みだけで、判断する親がいるのです。
 中学というのは、中2までは、学校の授業だけで、頭のいい子なら、いい成績が取れる。それで親も子も騙される。サッカーやっててもいい高校に行けると楽観してしまう。しかし、中学というのは、中3から、レベルが、いきなり高くなる。これは、かつて高校の内容だったものが、中3に降ろされてきたことに原因がある。特に、数学は、いきなり難しくなる。さらに、入試レベルというのが、学校の授業だけでは、とても足りない、届かないということがある。模試の本格化する八月、学校の授業の進度は、全体の何分の一も進んでいなというのが、実情です。こうして、塾に行っていない子は、脱落し、行っていても、補習塾なら、学校と、変わらないので、脱落は前提です。
 わたしは、このブログで何度も注意を喚起してきたつもりですが、多くの人が、受験に失敗していく構造は変わらない。母親の独断専行が、子を泥舟に乗せてしまう構造は変わらない。
 小学の場合、多くの母親が、父親が、教育熱心な親ほど、子を泥舟に乗せてしまうという、皮肉なことになる。

 自分の子が、それほど優秀でないのに、大手塾に入れて、失敗するパターンが、最も多い。大切な小3から小4早期の、最適の指導期を、最悪の過ごし方をしてしまう。進学型大手だと、わからないという頭を固定化してしまい、公立中高一貫校型大手だと、訓練しないということが、バカを固定する。学校の優等生と言われる子が、この公立中高一貫校型大手に行って、気がつけば、成績は伸び悩み、ただのできない人になっている、そういう話はいくらでもある。
 受験指導というのは、中学受検でも、高校受験でも、基本的な戦略は変わらない。後半に一気に伸びるには、早期から、受験の基礎を作り上げておく。この点、中学と小学では、自ずと異なるものがある。小学では、小4早期から、まず、計算、割合という基本概念を徹底して鍛えておかねばならない。思考形成のための、ゆとりのある遊びの期間が、必要ということだ。これに対して、中学では、小学で、訓練してきたことを前提として、前倒しで、中2夏前までに、中学2年までの履修事項を終わらせておくことが、前提になる。中2の夏から中3になる前までに、高校入試の基本的事項は、終わらせておく。中3になったら、すでに偏差値60以上の入試問題に入れるようにしておく。具体的には、英語なら、中3で習う関係代名詞を終わらせて、中2夏には、英文解釈をやる。数学なら、中2の夏から、平方根、多項式、2次方程式、二次関数、円、三平方の定理などを終わらせておく。理科、社会は、中2が終わるまでに完成させておく。そうしなければ、中3になって、躍進などできるはずがない。竹の会の指導は、このような見通しのもとに進められてきた。わたしの青写真通りに進められなければ、必ず行き詰まる。わたしから言わせれば、中2まで、どころか中3の夏まで、部活優先、サッカー、野球最優先など、考えられない話であるが、世の母親たちには、別の頭のようである。考えても見てほしい、都立トップ高校に行くために、中1の時から、大手進学教室に通う生徒たちがいる。中1からもう勉強三昧の生活をしている生徒たちがいる。そういう生徒の中には、DNA的にできる秀才が、必ずいる。努力型秀才も必ずいる。そういう生徒たちが、夢中で、勉強しているというのに、中1から部活三昧で、トップ都立を狙うなどと平気で言う。そのような勉強でトップ都立を狙うということが、本当に実現可能なことなのか、考えて見ればわかろうというものであるが、ある種の母親には通じない。楽観的見通し、意志のみが一人歩きして、例えば、サッカー最優先の根拠となる。 さて、わたしには、そういうことを言い出す母親が、最初から、誤っていたことを確信していたわたしには、それなら思い通りにやってみて、火を見るより明らかな事実を自分の目で見てもらうしかない、と考えた。もしかしたら、うまくいくこともあるのかな、と思ったこともあるけれど、やはりそれはない、なかった。現実は、あたりまえのことをした人間には、あたりまえのことしか起こらない。模試の結果はあまりにも正直であった。
 わたしは、世の親たちが、どうして泥舟に自分の子を乗せるのか、わからなかった。あたりまえのことをしていれば、あたりまえの結果になってあたりまえでしょ。稽古事、習い事をやっていれば、勉強できないのは、あたりまえのことではないですか。
 あと、勉強の中断のもたらす意味が、わかってないですね。それから、断続的な勉強というのは、中断の連続ですから、勉強の壊滅行為です。
 勉強の中断というのは、再開したら、中断するまでにやったところから再開できるということではない。中断というのは、再開しても、なかなか中断前のリズムを取り戻すことは、ほぼ無理、7日間の中断なら、再開しても、元の状態に戻るまで、さらに一月はかかる。いったん解いた緊張の糸は、もとの張り詰めた状態にはなかなか戻せない。
 継続のもたらす効果は、相乗的な上昇曲線を描くが、中断は、曲線が、断たれる。これは、ゼロに急降下するイメージだが、知識というのは、中断すれば、そのまま維持され続けるのではなく、ゼロどころか、退行する、マイナスになる、と考えた方が、事実に即している。再開するときは、退行した状態から。よく小学生が、せっかく通分をわかりかけたのに、家族旅行で、1週間ほど休んで、再開したら、通分どころか、その前の最小公倍数も分からなくなっていた、ということが、当たり前のようにあるのは、勉強というものが、中断と天敵関係にある、ことを、よく教えてくれている。

 さてそれでもあなたたちは、子どもの未来を刈り取ることをしますか。勉強を回避させる、先送りする、行動を選択しますか。

🔵模試の問題が、解説読んでも、解説受けても、わからなかったから、先生から、説明してやってくれという、母親について

 解説を読んでもわからないなら、誰から説明しても、わからないのは、変わらない。私の説明が、模試実施の大手塾の講師の解説より、わかりやすいということを言っているのかも知らんが、そもそも大手の講師の説明の仕方が、悪いのか、説明を理解できない子どもがバカなのか、それは置いておいて、わたしには、そもそも解説を聞いても、読んでもわからないのなら、頭が、それを理解するステージに達していないのだから、そもそも無駄である、としか言いようがない。
 もっと言えば、模試の問題をあたかも、予想問題か何かのように、もう出ると信じて、行動するのは、すでに、自信のなさを露呈したようなもので、こういう人は、直前になって、新しい参考書や問題集を買ってやったり、家庭教師や個人指導を頼んだり、と自信のなさからくる不安に翻弄されて、ブレまくる人たちであり、こういう人がわたしにいろいろ言ってくるのは、正直迷惑である。わたしはこういう思慮のない人にわたしの指導の妨害をしてほしくない。
 こういう人の頭はなんとも鈍感で、わたしの指導の邪魔をしていることにさえ、気づかない。その自覚がない。わたしにその是非を尋ねることもない。もう勝手に当然必要な正しいことをやっている前提である。親が勝手に模試受けさせて、結果が良ければ、報告してくるが、悪ければ何も言わない、そういう親もいますが、そもそもわたしの考えなんか全く頭の外で、親が、勝手に、進める、これなんかも、指導の邪魔をしているわけで、当人には、勿論、その自覚はない。
 わたしは、スポーツとの両立など、言い募る人を信じてはいないけど、だから傍観するほかないのだが、世の中には、平気で、両立を公言する人がいる。成功するのは、万分の一いるかいないか程度と思っていたほうがいい。ところが、スポーツとの両立を言う人たちは、これが万分の一ではなく、100%両立の根拠となる。しかし、ほとんどが、失敗してきた、という事実しか知らない。それはそれとして、強い意志で、両立するという人を否定することなどできようか。しかし、受験時期になって、当初の信念はすっかり忘れて、狼狽して、自滅する、そういう人ばかりではないか。わたしには、理解できない人種である。
 突如として、わたしの指導に任せきれずに、想定外の、行動に出る親の行動に、苦虫を潰す思いで、宥恕してきたことであったか。
 大人しく、わたしの指導に従う親は、少ない。それぞれが、自己の見識というものを振り翳して、自我を主張してくる。わたしに、わたしに託し切れずに、邪魔をする、ほんとうに妨害してくる。過去の成功者を見てみればいい。合格者の母親は、父親は、全てわたしに任せてくれた。決して、わたしの邪魔はしなかった。、わたしを信じて、最後までついてきてくれた。だからこそわたしはその心に応えようとわたしのすべてを捧げられたのである。

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