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空腹感のない子たちが落ちただけ/

2020.06.30

◎空腹感のない子は受からない
 落ちた子たちのことをよく考える。
 わたしが感じた彼ら彼女らには不思議と同じ臭いがした。
 なぜか余裕があるのだ。言い方を変えれば、緊張感がない。全く感じられない。やたらよく喋る。ニコニコしている、というか目に迫るものがない。目が笑っている、これって、いったいなんなんだ。何か違う。わたしが見てきた受かる子たちの姿ではない。
 精神が「甘い」から落ちる、と言われる。それはそうなのかもしれない。だがしかし、落ちるということの説明としては、やや漠然として明確なものが伝わってこない。
 拭いきれない違和感がずっと残る。

 水槽に2匹の魚を入れる実験(理化学研究所)

 ある研究グループは、空腹が闘争に与える影響を調べるために、インド原産の小型魚類であるゼブラフィッシュを用いた実験をした。2匹の雄のゼブラフィッシュを同じ水槽に入れるとほとんどのペアが闘争行動を示し、互いに攻撃した後、一方が降参し、勝者と敗者が決定する。ゼブラフィッシュは、これら一連の闘争行動が明瞭で観察が容易であることから、動物が社会的闘争行動によって勝者と敗者に分かれる仕組みを調べるためのモデルとして用いられている。
 まず、6日間絶食させた魚と餌を与えた魚をペアにして闘わせたところ、絶食させた魚の勝率が高くなることを発見した。また、闘争が始まってから勝敗が決定するまでの時間(闘争継続時間)を調べた結果、絶食させた魚同士を闘わせた場合は、餌を与えた魚同士、また絶食させた魚と餌を与えた魚とを闘わせた場合に比べて、闘争継続時間が長くなることが分かった。この結果は、絶食させた魚同士を闘わせた場合では、どちらの魚も勝負を諦めず、相手に対して降参しにくくなることを示唆している。
 なお、この神経回路は人間にも存在することがわかっている。

 
 空腹というのは、動物にとっては、生死の問題だ。空腹は死を意味するというのが、野生の世界だ。諦めは死を意味する。
 諦めるわけにはいかないのだ。だから死に物狂いになる。勝負の分かれ目なんて、そんなものだ。諦めない奴、どんなことがあっても諦めない奴とすぐ諦める奴、この差だ。
 その精神の差は空腹力からくる。ボクシングではハングリー精神と呼ばれるものだ。
 すぐ諦める、というのは、満たされている、ということである。受検しなくても困らない。いつも親が助けてくれる、という安心感が、逃げを担保する。やるだけやってみよう、だめなら親がなんとかしてくれる、こういうタイプは、多い。失敗しても自分は傷つかないような、逃げ道を担保しておく。これが現代の過保護世代の処世術である。こういう精神だと必死になれない。崖っぷちを嫌うからその前に逃げる。つまり諦める。
 親が甘やかすと子はいつも満たされている。つまり親に頼めばなんでも叶えてくれると慢心しているから、心は常に緩い。切羽詰まった状況には常にないから、何事にも真剣にはなることはない。追い詰められることを嫌う。根のところに満ち足りたものがあると、逃げる、諦める、といった行動を取りやすい。死ぬかもしれない、というところがないと人間は真剣に、つまり必死にはならない。

 こうして過保護、甘やかしは、子の生存能力を次第に削いでいく。
 過保護、甘やかしの子には、空腹感というものがない。子どもというのは、満ち足りていてはだめなのである。ハングリーを知らない子はろくな子には育たない。
 我慢させる、辛抱させる、つまり忍従の精神こそ子を成長させる。
 子を一人前にするというのは、親の覚悟である。子を自らの癒しにしてはならない。かわいい子に空腹感を持たせた育て方をするというのは覚悟がいる。自らの愛を注ぐことは、決して過保護、甘やかしを許容することではない。過保護、甘やかしは、畢竟親自身の満足にほかならない。あまやかすというのは、親自身が満足を得る行為である。
 
 芸能人の子が、事件を起こす例を出すまでもなく、これまでに裕福な家庭の、思いきり甘やかされた、過保護シールドを纏ったバカ娘、バカ息子ならこれでもかというほど見てきた。気に入らないとすぐ切れる。親に自分が被害者だと訴える。世の中が自分中心に回っていると勘違いしているから、社会の仕組みさえも自分に合わせなければならないと思い込んでいる。親も親ですぐに「うちの子は」と特別扱いを求めてくる。短絡的で長期に成果を待つことができない。というか、コツコツと努力することは決してないから成績が良くなることはない。
 空腹感のない子というのは、つまり満足している子というのは、何かにつけて諦めが早い。
 遠足に行ったから勉強したくない、疲れたから今日は塾を休みたい、自分の勉強部屋がないから勉強できない、要するに、何がなんでも勉強という意識がない、勉強しなければ死ぬというほどの空腹力がない。勉強を死とは捉えていないのだ。
 空腹感というのは、生存力と言ってもいい。喰うか喰われるか、という生命の境に身を置いていない人間は、すぐ諦める。生存競争をしなくていいように親が過保護シールドで覆ってきたから、野生の空腹感がまるでない。

 空腹感とは、ほかならぬ生存力のことにほかならない。生存とは空腹のことである。空腹だから必死に食料を探す。食べなければ死ぬ、ここに生命力、生存力の本質がある。人間には知恵がある。だから将来の空腹に備えて、勉強するのだ。学問を積むことによって高学歴を手にすれば、収入のいい職業を得られる蓋然性が高くなる。人間は知恵があるから、生存競争も知恵のある戦い方をするのだ。知恵がない人間の生存競争は、未来の計算ができない。今、現実しかないのだ。動物と同じだ。

 知恵というのは、知恵を凝らして知の力で未来に勝つことである。
 野生の動物、例えば、ライオンの生存競争とは違う。人間の生存競争は、未来に知恵で勝つことを考える。今、勉強するのも、受検を志すのも、大学に行くのも、未来の自分が生存競争に勝つための布石にほかならない。未来の自分が高学歴か、低学歴か、このどちらが生存競争に有利かと考えたからにほかならない。
 空腹感のある子は、満ち足りた子より、たくましい。空腹感のある子は、耐える力、我慢する力を備えた子である。その空腹感は生命力に満ちた、生存を勝ち抜く力を秘めた空腹である。
 満腹というのは、ほかならぬ親の行き過ぎた愛情の反映である。満腹な子というのは、少しでも空腹になると本能的な恐怖心に襲われる。戦わない。生存競争を避ける。逃げる。ずるい行動を取りがちなのは、満腹感を脅かされた子たちである。時には親を騙す。戦いたくないという強い意志は様々な言動として現れるであろう。親は子の真意を悟らぬままに翻弄されるのがしばしばである。
 わたしは、空腹感がある子というのはすぐにわかるから、見どころのある子として期待もする。
 空腹感のない子というのは、知能が高くてもそれを減殺してしまうほどに致命的である。「今日は疲れたので塾を休みたい」とか、「塾に行きたくない」とか、集中が長くは続かないとか、やたら弱音を吐くとか、空腹感のない子というのは、消極、停滞、後退という行動において象徴的である。何かと言い訳を言って勉強を回避するというのは、生存競争からの逃避を図る心の表れである。
 そう、戦うというのは、空腹力に根拠があるのだ。だから教育とは、子どもに空腹を余儀なくさせるものでなければならない。教育とは、我慢させる、耐えることを教えるものである。
 親はやたらと子どもを物的に満たしてはならないのである。子どもに生存するということの意味を教えること、生存は喰うか喰われるか、つまり競争であること、生存とは空腹によってのみ勝ち得られるものであること、戦いを避けては人生は生き残れないこと、そのことを子に教えてこそ子に生きる道を示すことになるのだ。
 空腹力のない子にはこの世を生き抜くことなどはできるはずもないのである。
 

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