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竹の会という主張/都立小石川の勝ち方/都立独自問題/方法の選択とプロの指導

2019.11.23

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第33章 方法の選択とプロの指導
 プロは素人にはおよそ考えつかない方法に気がつくものである。その方法とは、実は、誰でも知っていることなのもしれない。しかし、だとしても、素人には、一生考えつかない方法ではある。コロンブスの卵という逸話がある。
 コロンブスの卵とは、「誰にできることでも、最初に実行し成功するのは難しい」という意味の事である。 大西洋航路を発見したクリストファー・コロンブスは成功を妬む人々に対して「卵を立てて見て下さい」と言い、誰もできなかったところ、殻を一部割ることにより造作なく卵を立ててみた。
 まあ、この話しが、本当であったのかどうか、多少眉唾な感じもするが、話しそのものとしてはよくできている。
 なんだ、それなら誰だってできる、できたじゃないか、と言うけれど、コロンブスが、答えを言うまでは、誰もわからなかったじゃないか。プロの方法とは、これに似ている。

 もっとも、素人に真似のできない方法を考えつくのもプロの仕事である。その逆もある。素人の発想がプロの琴線に触れることはある。問題は素人はその折角のアイデアを生かし切れないことが普通であることである。

 わたしは、プロの仕事は、「方法の選択とプロの指導」に尽きると考えています。「方法の選択」は、指導対象を全人格的に捉えた上での裁断です。いかなら方法がもっとも成功に導く選択となるのかは、指導に際していつも真剣に考えることです。わたしは今現在の子どもに最適の方法を選択し、プロの指導を施さねばならないと思っております。

 プロの指導と一言で言ってもそう簡単なことではありません。長い指導体験の中から、つまり事実の積み重ねの中から、こういう場合にはこういう指導をなす、という具体的な指導の型を選択し実践するのです。世の中には、どうも経験も何もない、ただ観念だけで意見を言う人が溢れていますが、事実に基礎を置かない主張など一銭の価値もありません。指導というのは、事実の裏付けがあってなんぼの世界なのです。わたしの指導歴35年は、一言では語れない苦難の事実の歴史なのです。

 わたしは、私立難関高校を受験する子には、そのため「方法を選択」し、プロの指導をします。独自問題出題校を受験するというのであればその「方法を選択」します。もちろん小石川を受検する子にはその「方法を選択」します。

 わたしが失敗するのはただ一つです。

 失敗するのは、わたしに任せない親です。そして失敗するのは、わたしに隠す子です。35年の中でこれは紛れもない真理としてわたしの中にあります。「落ちた」という子たちを仔細に見て見ると、自分勝手にやってきた、これに尽きると思います。

 わたしにプロの指導をさせないから落ちる、落ちたのです。それは親がやるから、子がやるから、です。失敗するのは、素人の親と子の自己の方法を選択するという誤りです。

 竹の会は、東京のどこにもない塾の体系を作り上げた。ある親御さんが、「竹の会と同じような塾に行っていた」と話したことが、あったが、よく聞いてみると、学年はバラバラで、それぞれが、新小学問題集や新中学問題集を渡されて、勝手に解き、わからなければ、先生に聞く、というものであった。これのどこが竹の会と同じなのか、さっぱりわからなかったが、世の中には同じような誤解というか、自分なりの理解をしている親御さんも多いのかもしれない。そして、竹の会を「うちには合わない」と忌避している人も多いかもしれない。
 かつて竹の会を退塾した子の親が、ネットで、「竹の会のような塾」と検索したという話しがあったが、竹の会というのは、退塾して、他塾に行って初めてその真の価値を知るということである。だから、それまで他塾にいた親や子ほど、竹の会に来て、感嘆するし、感動する。
 竹の会は、受験のプロとしての、孤高の道を歩んで来た。竹の会は、わたし一人しかいない個人塾であり、塾の団体にも属していない。我関せずを貫いてきた。わたしは、竹の会が、プロの塾として、一流の塾として、東京23区の皆さんに認められることを夢に描いて、研鑽して参りました。
 竹の会が、いつ頃からグローバル化したか、つまり地元塾という衣を脱ぎ捨てたか、これは今となっては正確にはわからない。ただブログを書いてた時期、それも初期のブログ、おそらく平成15年前後であろうか、そのあたりにヒントがある。この頃書いていたのは、「塾長日記」ですが、この頃からわたしのブログをたまたま読んだ親御さんがやってくるようになったのではないか。杉並区とか、新宿区とか、狛江市とか、いたと思う。中には、江戸川区もいた。ブログをgooに移転したのが、平成16年頃で、それから平成27年には、今のブログにリニューアルした。竹の会が、地元塾から脱却したのは、平成20年頃からではないか、と思う。ようやく品川区や新宿区、世田谷区の子たちがやってくるようになった。 しかし、竹の会が、23区をテリトリーにするには、まだまだ遠い道のりであった。元代々木教室のあった場所が、よくなかった。渋谷駅からバスで、15分以上、渋滞だと30分以上かかった。それでも他区から通ってくれる、熱心な親御さんがいたのには、驚かされる。平成24年、竹の会は、渋谷駅徒歩10分のところに落ち着き先を見つけた。ただ渋谷駅から歩いて通えるところに来たものの、竹の会の知名度は低く、23区の皆さんに竹の会が、認知されることは、絶望的にほどになかった。学校説明会に合わせて、ビラ配りをした年もあったが、ビラを見て来てくれるという人はほとんどいない。ビラを受け取り拒否する人がほとんどで、受け取っても読みもせずゴミ箱に捨てられるのがオチであったと思う。大手のビラはすごい勢いで掃けていたから、ここでも大手に対する信頼ぶりはたいしたものであった。
 竹の会の「草枕」は、唯一、竹の会の存在を訴えるものでした。世の中には、ここを議論の場と勘違いした、輩がいますが、少なくとも入塾しない人たちは、それならブログも読まなくていいし、無視していればいいだけのことで、竹の会の広報活動を批判する、暇人、匿名という無責任の衣を纏った、姿を見せない妖怪たちが、暇に任せて闊歩する、嫌な世の中です。
 さて、それはともかくとして、竹の会は、ようやく東京23区から、ポツポツとではあるが、知られるようになってきた。
 竹の会は、大手のように資本に物言わせた広告をすることもできず、だから皆さんに広く知られるようになるのは、ほとんど叶わぬ夢でした。とは言っても、竹の会は、地元密着型から脱却したことだけは確かです。これまでほとんどの区の方が、竹の会に通った記録があります。まだ記録がないのは、墨田区ですね。台東区はいたのではないか、よく覚えていません。江戸川区は、元代々木教室の時代に一人いました。北区、足立区も一人いたことがあります。練馬区、板橋区もあります。小石川に受かった女子は、板橋区だったと思います。世田谷区は、それなりにいて、26年に都立駒場に受かった女子は、世田谷区でした。彼女は、小4からの子です。そういえば、27年に桜修館に受かった女子も世田谷区でした。中央区の女子は白鷗に合格しました。新宿区の男子は都立戸山に合格しました。中野区の男子も都立戸山に合格しました。目黒区の女子は、都立北園に合格しています。港区の男子が、両国に合格しています。品川区の女子が桜修館に合格しています。千代田区の女子が、区立九段に合格しています。渋谷区からは、都立青山に合格しています。江東区の女子が、小石川に合格しています。渋谷区の女子が都立富士附属に合格しています。以上の記録はすべて平成20年以降の話です。
 竹の会に至便なのは、実は、港区です。都バスで、渋谷車庫前まで、10分程度です。渋谷車庫前から1分のところに竹の会はあります。
 渋谷駅から徒歩10分です。明治通りを恵比寿方向にまっすぐ歩いて、東交番のある交差点を右折すると電柱に竹の会の看板が見えます。右折して1分ほどのところです。
 竹の会は、渋谷区にありますが、渋谷区の子はいることはいるけれどたいてい一人二人です。かつての地元塾の竹の会には考えられない、変貌ぶりです。
 今、竹の会はかつての地元塾としての姿は完全になくなり、東京23区を通塾可能圏とする、東京で唯一の、過去にもなかった、そして今もない、未来にもないであろう、塾として、あとわずかな残された時間を全うすることと思います。

 

第34章 竹の会について母親たちが語ってきた言葉のこと
 竹の会は昭和60年(1985)10月にスタートしました。あれから35年の歳月が流れました。スタート当初から、竹の会は、親御さんたちに、様々な言葉で、その素晴らしさを、讃えられ、語られてまいりました。
 今日は、その言葉の中で記憶に残る言葉を思い出して見ました。
 都立文教合格のお母様、確か平成23年か
 「近頃は本物の塾がない中で、竹の会は本物の塾でした」
  記憶を辿ると都合そのようないことを言われた、と思います。
 この本物の塾という言葉は、その後、何故か、28年文教高校合格者のお母様からも聞かれました。
 「竹の会の思考力養成は本当にすごいと思います」と言われたのは、29年桜修館合格者のお母様でした。
  竹の会の子どもたちが、自分は、何時ごろ入って、最初は、小数のかけ算どころか、かけ算もできなかったと、入会した頃、自分がいかにできなかったかを力説しているのは、自分が、今こんなにできるようになったということの裏返しの主張であった。竹の会の子たちは、今、できるようになった自分が、誇らしくてしょうがないのだと思います。
 このことは、あるお母様が、言われたこととも関係するのかと思います。
 このように述べておられます。
 「竹の会は、おのずと子供の自己肯定感が育つところだと思います。だから、子供たちが、やめたくなくなるのだろうと思います。」
 このお母様には、これまでにも、竹の会についての、言い得て妙なる、コメントをよく寄せていただいております。
「子どもが、竹の会を大好きになってしまった」という言葉は、これまで圧倒的多数のお母様方からのご感想です!
 さて、それがどうしてなのか、分析したことはありませんが、わたしが分析するとどうも実際の子どもたちを考えてしまうので主観的な分析になってしまう。よく親御さんが、「うちの子は竹の会が大好きで、いつも竹の会のある日は喜んで飛んで行く」ということをいわれますが、正直それがなぜなのかはよくわかりません。

 かつて平成27年に桜修館に合格した女子は、インフルエンザに罹って竹の会を休むことになったとき、しくしくと泣いたということをお母さまから聞きました。そしたらお母さまも悲しくなって一緒に泣いたのだそうです。この子が竹の会を休んだのは2年間で2度だけでした。お母さまによると学校が終わるといつも走って帰ってくる。その足音で娘が帰ってきたのだとわかる。それで帰るとすぐに竹の会に行くために家を飛び出す。この子は世田谷区から通っていましたから、水曜日の開始時刻に必死に間に合うようにとがんばっていたのだと思います。

 現在竹の会に在籍している子たちのほとんどが、入会した頃にいかに自分ができなかったか、そして今こんなにできるようになった、と実感している子たちであふれております。竹の会の指導の凄さを実感した子たちが、またいよいよ受検に臨もうとしております。

 がんばれ、竹の会の子どもたち!!

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