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竹の会冬期指導11月/模試の浄化作用/中学生が怠ける兆候について/その他

2018.10.16

 おはようございます。今日も薄曇り、まだ冷たいと感じるまでにはいたらない、湿気を帯びた空気の層のに包まれて、からっと晴れた秋晴れの日を待ち望んでいます。日本列島全体がこれだけヒンヤリしてくるとさすがに横暴な台風も影を潜めるようです。10月、11月は、竹の会では、これまでにないレジュメ攻勢で受検の子どもたちを鍛え抜く、それは12月、冬期の指導を見越してのことであることはもちろんです。冬期指導が終わると、残されて20日余り、このときの過ごし方が実は合否の鍵を握る。この20日でもう新たに「力をつける」何かなどできるわけはありません。巷の親がこの時期に書店で問題集を探して子どもにやらせるの愚はやってはならないことです。とにかく母親にしても、父親にしても、心配からでしょうが、動いて陸な結果になったためしがありません。塾の先生を差し置いて、勝手なことをやるのが、昔からの親のありようです。近年のように、説明会だらけ、ネットで情報はなんでもわかる、そういうことが、過去問一つ解いたことも解けたこともないアホ親を暴走させてしまうのです。

◎竹の会冬期指導募集要項配布開始

 竹の会、冬期案内

 要項配布開始 10月24日から

 申込開始 10月25日から11月30日まで

 ※渋谷教室Bのみ外部生募集予定 主旨 竹の会の指導を体験する機会の提供が、趣旨なので、初めて体験する場合に限ります。

 冬期指導概要 期間 12月26日〜30日1月3日〜7日

 指導時間 渋谷A 13時15分〜20時15分  7時間✖️10 

      渋谷B  8時00分〜13時00分 5時間✖️10

 ※外部生の体験申込は、竹の会申込フォームから

模試の浄化作用、変わってきた模試の様相

 平成23年あたりからだろうか。模試をきっかけに潰れていく小学生や中学生が出始めたのは。平成23年(2011)は福島の原発事故があった年でしたが、あの年の9月から10月にかけて受検の小6、しかも女子が3人も受検を止めています。あのときは模試がきっかけと言うことではなかった。放射能を逃れて祖国に帰国したり、夏の海外のホームスティがきっかけの学力低下だったり、ほかに何も理解していなかったということが露わになったりと理由はいろいろであった。渋谷教室に移転後、高校受験や都立中受検において、模試をきっかけに敵前逃亡する児童、生徒が出るようになった。理由はいろいろであるが、勉強してないという点では共通した子たちであった。いやもっと突き詰めれば、わたしの、竹の会の指導を蔑ろにしてきたということで一致していたということである。

 ある日、突然崩壊するように見えるが、最近の特徴は、模試がきっかけとなるのが共通している。模試の結果、惨憺たる自分の実力を目にして、忽然と姿を消す、敵前逃亡をはかる、誠にわかりやすい人たちではある。子の勉強に対する怠慢と親のうちの子はできるという驕りを粉砕する模試の機能について、最近わたしも注目している。かつてはなかった図式である。スポーツ偏重の親が、部活最優先でいながら、トップ都立をめざすというのは、それだけ自分の子に自信があるからなのだろうが、わたしには、理解できない人たちです。スポーツ物語によくある精神論をかかげてめざすのは勝手ですが、わたしからすれば通常の勉強以外の精神論で成功するなど考えられないものです。しかし、特に、拒む理由もなく、 わたしのプログラムにはないから、まあ、やってみてください、ということになる。 例えば、日比谷なら、中2の夏前には中2の数学、中3の英語は、終わらせていなけれはならない。中2の夏に英文解釈に没頭すること、中3の数学の概要を終わらせておくこと、これはわたしの合格プログラムであるが、部活最優先の親や子にはこのプログラムが実行されることはない。そもそもかつての渋谷Bは指導時間が2時間、月8回と少なく、どうみても受験仕様ではない。それでこれを回数も時間も増やす改編をしたのが、今の渋谷Bであった。ところが、当時、部活の妨害になると抗議してきた親がいた。こういう自分の気の済むようにやってきた結果がどうなったか、それがわかるのが模試の時期である。

 わたしから見ればあまりにも勉強に対し尊大にしか見えない人たちがいた。つまり、昨今の、特に、過保護な母親、しかし自らを少しも過保護と思っていない、独断専行型の親、自分の子が優秀だというところからくるに違いない自信、おそらく我が子が、優秀だという自負に支えられている母親、こういう人たちが、わたしには勉強に対する尊大な人たちにしか見えない。そして確かに、自分の子は知能は高いのだと思う。そういうところからくる、母親の慢心が心の底にあり、勉強に対する尊大さとなって現れるのかと思う。勉強時間を削って部活なり、何なりをやってもなんとかなるという尊大さ、中1の時からそれはもう毎日何時間も勉強して努力している秀才たちがいるというのに自分が部活なりにかまけて、いやただ勉強しないだけでもそういう人間にも勝てると思う尊大さがわたしの理解の域を超えている。勉強に対する尊大さは尽きない。こういう親が、模試で粉砕されるのが、昨今の模試である。まじめに勉強してきた子が模試の点が悪いときの反応とは明らかに異なる。自分が部活偏重できたこと、あるいはただ怠けてきたことはすっかり忘れて、できないのは、塾が悪いからだとまたまた都合のいい論理が出てくる。竹の会で竹の会の指導に、わたしのプログラムにしたがい実行してきたこともない人たちが、振り翳す責任転嫁には辟易とする。部活にどっぷり浸かってきた親子や、勉強に怠惰できた子の、結末はいつも変わらない。

 頭がいい子にありがちな、勉強、塾の先生に対する、尊大さ、親の舐めた態度、そういうものが、模試によって微塵に打ち砕かれる。勉強というのは、謙虚さが、なければ、合格の女神は微笑みかけてくれない。謙虚さが、塾の先生にも真摯な態度として伝わる。尊大な人間は、意外と脆く弱い。模試という、最低限の客観的評価が、弱い心を打ち砕く。勉強に謙虚な者は模試で反省するが、勉強に尊大な者は模試で崩壊する。そして悪いのは自分ではなくて、やりかただと責任転嫁する。だから塾を批判する。いつも勉強に尊大な親子は同じ態度をとる。こういう親子の尊大さの所以は、我が子が飛び抜けて知能が高いということ、そこからこの子は特別の子だという特別意識、とにかく子に対する親の評価がマックスである。都合が悪いと責任転嫁する。これは根本的には、勉強というものを自分と同等以下に見ている尊大さから来る。 そういう中で、模試が、親と子の虚構を破壊する、崩壊させる、奈落の底に突き落とす。 むかしから模試は、親と子の思い込みを容赦なく叩き潰してきた。しかし、勉強一筋の子が、模試が悪いというのとは、また様相が異なる。そういう子ほど素直に反省し、勉強の姿勢を見直し、しかも心の芯は強い、タフな精神が見てとれるものである。模試が弱点を明らかにしてくれる、それで弱点を克服する努力をする、そういうバロメーターとして模試を使う、そういう使いかたをすることができるものである。しかし、これは親と子が、勉強に謙虚な場合の話しである。

中学生の悪い兆候について

  理科、社会が、悪いの勉強してないからです。 特に、これまで理社の点数が良かったのに下がったという場合は、不勉強が原因であることははっきりしております。部活の悪影響が出ていると考えて早急に部活を断ち切らなければ早晩取り返しのつかないことになるはずです。中学と部活の悪い流れはもう過去にいくらでも実例に事欠かないほどにあきらかなことなのです。このまま部活偏重を続ければ、もう落ちるところまで落ちることはわかりきっており、それをそのまま放置するなどあり得ない話です。。わたしの長男が、中学生になってすぐバスケ部に入って、土日の遠征、練習でこき使われて勉強どころではなくなり、わたしはよく言って聞かせてバスケ部をやめさせ、負担のない水泳部に移らせた、ことがありました。長男は、要領のいい子ではなかったので、口べたで自分をアピールできない。小学から成績は評価されなかったが、2歳でアルファベットを覚えた子である。自分の思っていることを言葉にして話すことができないため、中学でも、体育は定期テストで90点以上とっても2にされた。それでもなんとか内申は40ほど取れた。わたしは新宿を勧めた。わたしには当日点を正確に予測できたから、担任が強く青山を進めても、わたしは、当日点を390点と予測したので青山は無理と判断した。青山なら410点は必要だった。実際本番は395点だった。新宿に入ってから生来の能力が開花し、学年1番になった。わたしが、中1のとき、バスケ部をやめさせて勉強に軌道修正させたことは、将来の高校、大学を見据えてのことであり、今の親のように、この子はサッカーが好きだからとか、なにか子どものときからやってきたことに夢中になるとか、そういうことで、簡単に将来を捨てるような決定はとてもできない。部活、特に、中学ぐらいでの部活で、学業を疎かにするなど、わたしには、考えられない。

 数学が下がる傾向なら勉強、努力を怠り始めたから。数学というのは、頭のいい、悪いがそのまま点数に反映する科目である。だから頭が普通ならもうできる奴の何倍も勉強しないと点は取れない。それでも頭のいい奴には勝てない。頭のいい奴が簡単に90点台をとっても、かなり長時間をかけながら80点台というのが現実である。だから、多くの普通の中学生が諦めて怠ければ、落ちていくしかない。それでいいのか、ということである。そんでええの? 

 英語は好きなら点を取れる科目。好きだからいつもやる。落ちたくないからいつもやる。そう、英語は、いや語学というのは、毎日やってなんぼの科目である。頭はいらない。継続する、これだけでいい。ここでも怠け者はすぐ脱落する。怖いのは、英語は後からリカバリーが効かないことだ。 これはどんなに知能が高くてもダメで、かつて筑波大駒場の生徒を見たとき、中2なのに、数学は高校並み、英語は、中1以下だった。わたしは、中3の4月に英語50点の生徒が、いくら勉強しても、塾で個別指導を、受けても、家庭教師をつけても、50点のまま変わらないということをそれこそ何十もの例で見てきた。 英語は小6の2月から始める。最初のやりかたですでに中3の未来まで決まってしまう 恐い科目である。

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