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竹の会夏期指導終わる、本日第一報

2017.08.26

 おはようございます。久しぶりの更新となります。連日の指導で次の準備をするだけで限界でした。振り返ってみるとよくこれだけの日程をこなせたなと思います。昨日がAの最終でひとりの小5女子が夏期前に渡した勉強の記録表を提出してくれました。塾のある日はみっちり7時間色が塗られていましたが、家庭学習時間はほとんどないようにみえます。もし小6でこれなら困りますが、この女子はこの夏に思い切り算数を伸ばしておりますから、竹の会の7時間「指導」の威力は凄いなと思いました。7時間という長さの「指導」の威力を申しております。家庭で7時間勉強するというのと意味が違うという趣旨です。小5は軒並み伸びています。特に、夏の途中から「小5にも作文試験を」と取り入れたところ思いのほか「書ける」のがわかりましてこれは収穫でした。それなら今からしっかりと作文訓練をしていけば小6で苦しまなくて済む、と喜んでおります。小6はどうか、と言いますと、正直作文のセンスのない子が多い。中には努力を惜しまない子もいますが、一方ではほとんど「書く」という機会を回避してきた子たちもいまして、それぞれに乗り越えなければならない壁を自覚していることでしょう。

 小6の勉強姿勢はどうであったか。7時間の勉強を実行できたか。塾の7時間は当然の前提ですから、家庭での7時間が問われています。ところが。塾の7時間さえも果たせなかった子もいました。わたしは勉強というのは、2つあると思うのです。ひとつはもちろん知能です。竹の会では入会試験を実施していますが、原則これに合格しなければ入会できない建前です。ですが、1年前まで小4、小5がくるということがほとんどなかったのです。いや正確には入会試験に歯が立たないでダメというケースも少なからずありました。それでさすがにガラガラの教室を見て、去年は入会試験不合格者の入会を数人ばかし認めたのです。不合格者にも2種類ありまして、0問ないし1問だけ解けた者、2問解けた者(仮合格)があります。3問解ければ準合格ですから、問題ありません。去年の白鷗、富士の合格者は準合格からの合格でした。転じて、今年の小6で一番伸びている女子も実は渋谷Bの準合格でした。ここでさきほど2つあるといったうちのもう1つが何かわかります。それは努力する姿勢、言いかえれば実行力です。これにはさらに附加事情があります。実行できる環境です。家庭によってはさまざまな家庭の活動(習い事・稽古事、実家帰省、旅行、レジャー、その他)があり、それが勉強にも影響しているということです。さきほど小6の女子が伸びている言いましたが、この女子は小5の9月入会でした。みなに遅れているという意識から家庭全体で勉強を支えてきたように思います。「解き直し」で泣きながらがんばったという話しはお母さんといっしょに泣いたという話しも聞いております。つまりそもそもの勉強姿勢がちがうのです。こうして勉強のもうひとつとは、家庭が全体で応援する環境の中での努力、実行力ということがわかります。

 だから竹の会に入会して知能の制約から進捗はかばかしくないという事態になりましたら、特に、入会試験に不合格(含む仮合格)という場合は能力の制約からくる壁というものがありますから、それは受け入れるしかないわけで、ここは潔くさっぱりと退塾されることです。竹の会に入った親子というのはどうしても退塾したがらない。なぜかと言えば、それまでの指導によってここまで伸びたという実感があり、さらに期待する気持ちが強いからです。それに竹の会のような塾は東京のどこを探しても「ない」とわかっているのだと思います。しかし、わたしから見れば、もうここまで伸ばしたのだから指導から解放してほしいという思いが強いのです。時間をかければ伸びることはわかっています。しかし、わたしはもうそういう子の指導をするほど若くないと達観しております。

 もう1つの方、すなわち努力、実行力というのは、入会試験合格者にも言える問題です。どんなに頭がよくても実行しない子はダメです。ただの愚図です。こういう子は早々に退塾したほうがいいに決まっています。努力もしないのに受検はあきらめきれないというのは、まあよくある話しですが、少なくとも塾にカネを使うのは無駄ですし、そういう子が他の子に及ぼす悪影響(もちろん反面教師という面もありますが)や迷惑も考えてほしいものです。いつも言っていますが、竹の会というのは「勉強する」ということでは一点の迷いもない子のくるところです。勉強することに逡巡が生じたのならここは潔く竹の会だけは止めることです。

 小6の話しに戻ります。この夏にほんとうにがんばったのであろうということを私に実感させる子たちもいます。一日7時間の勉強をほんとうにやっているな、と思わせる子たちがいます。夏前に模試の成績が悪くて落ち込んだ子たちもいましたが、そういう子たちの中から微妙な変化を感じとることができる子が出ています。もちろんそれは指導レジュメで判断することですから、かなりに客観的な感触です。合格はんこや準合格はんこをとる頻度がしだいに増えている、そういう感触です。

 なかなか前に進めないという小6女子も複数います。伸び悩んでいる。課題をほとんど出してこなかったとか、家庭活動も大切ということで勉強に全力を注いできたというわけではない、などいろいろ事情は推測されますが、勉強というのは、いや受検というのは、いったん受検すると決めたのなら、もうそれだけに全力を注がないと、つまり他に力を分散すればするほど、後々どうにもならない状況に追い込まれる、ということは少なくともわたしには自明のことでした。

 それにしても小4早期入会者が「伸びている」というのはこれもわたしには自明のことでしたが、世間の親御さんというのは、とにかく遅いわけです。小3ないし小4のときに竹の会を知らなかったという親御さんは不運としても、実は早くから知っていたけれど、竹の会を横目に見ながら大手に行ったという親御さんというのも少なからずいることは知っております。竹の会には小4時に大手にいたという子がそれなりにおります。いつも思うのは1年なり大手にいたというのならそれなりにできて然るべきなのにそうではない、だから竹の会にきたのだということでもありますが、それはなんとも無駄な1年であったかと思うのです。それは二重の意味で無駄です。大手で基礎学力というものがなにもつけられていないということもさることながら、小4時に徹底した基礎訓練をするべき機会を逸したというマイナスがあまりにも大きいのです。小5に竹の会にきて、竹の会の小4のほうが基礎学力がはるかに上というのは竹の会では普通にあることです。だからわたしは大手はバカ製造工場だと言っているのです。懐疑的な親たちが竹の会のような知名度もなもない塾を信用しきれない、それで竹の会を気にしながらも、横目に見ながら大手に入るというのはまあ普通の世間的反応ということでわたしにはどうすることもできません。ただわたしはいつも真摯に「竹の会はこんなにすばらしい塾なんですよ」と訴えてきました。ほとんどの親たちがスルーすることは知っていますが、「どうしてわかってくれないのか」と思ったものです。竹の会にくれば子どもたちは「変わる」、そんなことはわかっていることでした。わたしの指導を受ければ、たいていの子はたちまち基礎学力をけつていき、勉強に目覚めていく、自信をつけていく、わたしにはわかりきったことでしたが、世間の親には疑わしい塾の戯言にしか見えなかったのでしょう。

 さてそれでどうでしょうか。竹の会にいったん入り、竹の会の指導に魅了された親や子はもうこの塾しかないとほんとうに思ってくださっているように思います。もちろんわたしにはわけのわからない理由で竹の会は馴染まないという特異な親子というものがいました。特に、私立中学受験の親子、さらには受験失敗の親子にはきてほしくありません。受験情報に翻弄されて結局失敗した親子です。勉強の本質というものを見失った親子です。そういう親というのは、いやこれは中学受験をさせる親に多いと思いますが、頭にどうしようもない「偏り」があるのです。この「偏り」を自分では普遍性あり、一般性ありと頑なに信じていますから、まったく関わりたくない人種です。親の過干渉と言いますが、受験ということからくる過干渉です。こういう親はとにかく偏見で子どもを振り回しますから子どもはたいてい軸足がない。いつもふらついています。親に依存し、親は子に過干渉していく。これはつまりは親も子に依存していることにほかならないのですが、そもそも過干渉の親というのは子を使いものにならないものにしてしまう。子はたいてい不満ばかり言う、がまんできないのである。辛抱するということを知らない。すぐに効果が出ないとすぐダメだと決めつけて親に不満を言う。すると親も子に輪をかけたバカですから、子の言い分をそのまま額面通りに信じて、これは塾が悪いのだと短絡するわけです。要は欠陥のある親です。こういう親を相手にする塾というのはほんとうに気の毒というしかない。古来、成功する子というのは、親が口だししない、じっと子の努力を見守る、子が軌道を外れない限りじっと見守る、これが親のあるべき姿勢なのです。

 竹の会にきた親子というのは、看板に偽りなし、ということをきっと実感されていることでしょう。わたしにはそういう親御さんや子どもたちの思いがひしひしと伝わってきます。

 ありがたいことです。

 

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