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中学受験 高校受験 受験相談 渋谷で創立30年

等閑(なほざり)の心、懈怠(けだい)の心がある子はどんなに優秀でも真面目でも結局「落ちる」ほかない

2018.02.24

 徒然草第九十二段「弓の師のいましめ」

 初心の人、二つの矢を持つことなかれ。後の矢を頼みて始めの矢に等閑の心あり。

 (懈怠の心、すなわち油断の心がきざしていることは、自分では気づかない、)

 道を学する人、夕べに朝(あした)あらんことを思ひ、朝には夕べあらんことを思ひて、かさねてねんごろに修せんことを期(ご)す。

 (そのときにもう一度念入りに修行しようということをあてにする。そこに油断の心あることに気づかない。

 何と、この一刹那(せつな)において、ためらうことなく実行にふみきることのかくも難しいことよ。)

 注 原文と(訳文)を併記しております。

 「明日に頼む」のは、凡人たるゆえんです。この一刹那にためらうことなく実行にふみきること、それだけでいい、しかし、それができないのが、ほとんどの小中学生です。竹の会では、平成27年と28年にそれぞれ都立戸山に合格しておりますが、中学生が竹の会で等閑の心持つことなく勉強するというのは稀です。27年と28年にはたまたまそういう生徒が続いた。中学の3年間、わたしの指示を忠実に実行する、そういう子しか竹の会では成功しません。知能が高くてどんなに優秀であっても、どんなに真面目でも、実行しない子が成功することはないのです。竹の会の指示、指導を等閑にするということが、もたらす報いはすぐに現実化することになるはずです。多くの中学生が、竹の会の指示を等閑にして、竹の会を去ることになる。

 竹の会では、竹の会の指導、指示を等閑にすることは、致命的な結果をもたらすことになります。

 竹の会では、退塾というのが多いかもしれません。これは、真面目さとか、礼儀正しさとか、知能的に優れているとか、そういう基準ではなく、一重に「勉強する」姿勢を問うことにあります。巷の塾と違うのは、常に、退塾ということを意識して、その勉強姿勢、能力適性というものを、真剣に問うている、ということです。他塾のように、止められないように阿るとか、媚びるようなことはしない。そういう姿勢は子どもの指導には本質的にそぐわない、背馳する、どこの塾もが背負う、塾というものが本来客商売だという本質からくる負の側面というものが、塾の本来の躍動を歪曲しています。わたしは、竹の会のやりかたが気に入らなければいつでも止めていただいてけっこうです、勉強しないのなら竹の会にはいる理由はないでしょ、そういうスタンスです。いつも心にそういう決断をすることを厭わない覚悟で指導をしております。渋谷教室というのは、わたしには「おまけ」の、神さまに与えられた機会だと思っています。ですから、もうそんなに長くはやれないだろう、と思っています。だからわたしの思い通りにやる、そう決めています。

 竹の会でうまくいかない、これは、指導レジュメなり、課題レジュメなり、を出さないこと、これにつきます。指導レジュメが30分ほどで返ってこないとしたら、指導はとても円滑に進められているとは言えないと思います。指導レジュメが、一方通行のまま、1週間、2週間と返ってこなければ、これは好ましくない結果となることは目に見えております。その間の指導というものが「ない」わけですから。「出さない」、いやその前に「やらない」ということ、これはもうわたしには理解できない、信じられない、不信感しか残さない態度でした。

 それから、特に、中学生に多いのですが、部活等で塾を休むことが多くなる、とにかく何かと休むというのが、指導に暗雲をもたらすことになる。また部活偏重で、塾で居眠りが常態となればもはや退塾の潮時かと思っています。まあ、いずれにしても、中学生が竹の会で最後まで、つまり、受験を無事終わらせるまでいるかは、なかなかに難しいことのようです。してみると、27年、28年の戸山合格者たちは稀な人材であったのだと今更ながら思います。

 最近、「お母さんが、次の算数のテキストをもらってこい、と言った」という子がいましたが、これはNGです。指導レジュメは飽くまでも思考訓練の一環として使っているものです。わたしが思考訓練するために、そのために作ったものです。大手のテキストのように先のテキストをもらって先へ進める、という考えなのでしょうが、それは竹の会のことがわかっていないのだと思います。割合の基本の基本もできないのに、先のテキストなどあったものではないでしょ。竹の会というのは、基本を完璧にして次のステップへ進める、そういうことしかやっておりません。竹の会のテキストを早々に終わらせれば、できるようになっているか、というとそんなことはない。時間をかけて思考訓練をするための道具です。時間をかけなければ意味がない。解き方を教わって終わらせたら実力がついているか、そんなものではない。指導レジュメはわたしの判断でわたしが出すかどうかを決めます。親御さんに求められて出すことはありません。

 今はもういないので言っていいと思いますが、親には、かなり失礼な言動をする親がいます。まるで自分の子の受験は親であるわたしの専権事項だからと考えているのか、模試なんかも独断で進めるわけですが、あるいは指示した模試を受けないというのもありましたが、さらには、わたしに「釘を刺す」ようなことを言う親もいまして、心の底では塾の先生というのを軽く見ている、とかく塾の先生というのは、ストレスの多い職業だと思います。世の巷の塾の先生には同情を禁じ得ません。なにしろ客商売というところにつけ込んできて、言いたいことを言う親ばかりですから。だからわたしはそういう親とはうまくやれないことになっています。ただ受検直前だと子どもの心を大切にして自分を封じ込めておりますが、決して客商売だからではありません。あちこちの学校説明会なんかに出ている親は、いろいろと情報を得て、わたしに指示してくる親も時にはいましたが、わたしは丁重にお礼を言って、無視することにしてきました。そもそも情報なんかで決まるわけがない。それよりも自分の子が実行する子なのかどうかを問うてみることである。

◎大手、大手と子を通わせる親とは何か 

結局、能天気に、大手、大手と迷いなく、通って、全く使いものにならないバカに仕上げた親たちのアホさ加減に、呆れて傍観するだけです。 大手進学教室に学校の優等生が行っても並、凡人たることを確認するだけです。況してや、「よくできる」が、8割もない子が、行けば、落ちこぼれるのは、わかっていることじゃないか。 公立中高一貫校対策を専門にする大手塾も大盛況であるが、ここは、子どもを基本から、教育することはない。とにかく、いつ来ても、出来合いの商品を売る商人である。適性類似問題の練習が、ネタだろう、似た問題をやらせるわけだ。計算もろくにできない子、算数もろくにやっていない子、バカと優等生を混ぜて、お構いなしにやる。メチャクチャだ、 大手にいた、という子、で、まともな子に出会ったことがない。 計算力はほぼない、割合を本質から理解していない、いや訓練されていないから、ちょっと問い口が変わるともうわからない、共通なのは、すぐ「わかりません」と言ってくること、 大手にいた子というのは、「わかりません」と言うことになんのてらいもない。正直わたしは大手でこのように仕立てられた子を指導するときになにやしら絶望的なものが脳裏をかすめる。世間の親は大手好き、それで、1年、2年かけて、我が子をバカにする、全く笑える。いや笑えない話だ。かつて九段の合同説明会の日、竹の会は、全く何か有害生物に対するかのような態度の母親や父親たちに見てももらえず、背中だけ見て、帰った。その時、この人たちに何を訴えても無駄だ、そう悟りました、だからもう大手に混じって説明会の日にチラシを配るということはやめました。 洗脳された、カチカチ頭の親たちに、何を言っても、無駄、自分の信じていること以外は受け入れない、そういう親の子なら、まあ、たいしたこともないか、とも思ったものでした。

 今や大手進学教室は、落ちこぼれを量産し、大手公立中高一貫校対策塾はもともとのバカと優等生が入り交じって、集合しているところに過ぎない。大手に2年なり行って、どう子どもが変わったか、その実質も悟らない親ばかりである。ひとつ計算させて見れば計算もまともにできないとすぐわかるだろうに。竹の会の小4が6か月もしたら解ける割合の問題を「わかりません」というのが大手からきた子たちである。まあ、ほんとうにできる子は大手を止めることはないでしょうから、そういうことなのかなとは思いますが、それにしても親は自分の子の学力のほんとうのところが何もわかってはない。そういう子は大手にやるべきできない、小4期にきちんと訓練していくべきであったのだ。竹の会は大手信仰の親たちに蔑ろにされてきたけれど、そういう親たちが2年、3年と通わせた結果、直面するであろう現実が、そういう親に来し方の無知を悟らせたかどうか、無知ならば責任転嫁することもありえようか。

◎高校受験というのは、中2の勉強姿勢で決まると言うこと

 この点は、このブログでももう何度となく述べてきました。中3の模試が8月から始まるとして、逆算していくと、遅くとも中2の夏からは中3になって履修するであろう教科事項を開始しなければならない。これはわたしの持論です。しかし、現実には、なかなかわたしの青写真のようにはやってくれない。特に、中2の3月までには、高校入試の理科、社会は完成域に達するまでに終わらせておく必要がある。8月からのVもぎ、W合格もぎで、理科社会各90点以上をとれるほどにしておくこと、これが上位と言われる都立に入るために求められる条件である。ところが、理科、社会を8月のもぎで60点前後しかとれないという子がここ何年か出ている。理科、社会がとれなければ都立は無理です。特に、トップ都立というところは、確実に90点以上とれるようにしていなければ無理です。ここのところがよくわかっていないのか、ほとんど指示をやらないままに中3に突入していくのがこのところ続いている。部活の厳しい先生に脅されて勉強を犠牲にするということもあった。内申を心配するわけである。しかし、中2のこうした結果による勉強量不足が受験を苦しいものにしてしまっている。時間のある中2の時にじっくりと理科と社会について突き詰めておくことの大切さはいくら強調してもし足りない。中2の時期というのは、学校の定期試験の点数さえ取っていれば何事もなく平穏に時間が過ぎてゆく、親も定期試験の結果がよければ特に小言を言うこともない。しかし、このときに、中3になって進めるべきことが放置されていっている、中3になってからでは、もうどうにもならない量になっている、そういうことが潜行しているのである。中3になって、8月になって、まともな都立を受けられないという、そういう局面に直面しなければ、悟らないというのは、あまりにも愚かではないか。竹の会は高校受験はもう30年以上にわたって見てきました。だからこの時期に何をしておかなければならないか、わかっているのです。だからその都度指示を出しているのです。この指示が、部活、病気、諸活動などで蔑ろにされていけばどうなるのかいずれわかることなのです。竹の会は高校受験の専門でやってきたところですから、そういう場合の対処の方法というものも当然心得ております。しかし、そういうことではなく、前々からこうしていればいい、ということを早くからやっておくこと、これこそが受験指導の本質的方法なのだということです。27年、28年戸山合格者、26年駒場合格者の成功はここにあったのです。

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