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算数解法発見家

2020.06.27

算数解法発見家
 算数を解くとき、今のわたしには一つのスタイルがあるのかもしれない。難問を解くとき、さらっと問題を読んで、解くのは、朝と決めているからだ。実はそれまでに頭の中であれこれと考えている。朝目が覚めるまでにたいてい解のイメージができている。それで起きたら、シャーペンを持ち、解き始める。たいていは数分で解ける。

 わたしが、気に入って使っているのは、みくに出版の過去問集(通称「銀本」」)だ。解答のみで、解説がない。式もない。それがいい。他人の書いた解説、解法を読むことほど苦痛なものはないからだ。したがって原則として 声の教育社のものは買わない。
 解法はもちろん自分で考える。ただ答え合わせはする。答えが合わないときは、「おかしい」となる。何度考え直しても「おかしい」というとき、解答を検証する。解答がどういう考え方、式から出されたものかを検証するわけである。そうすると解答が誤っていたということを証拠を示して確認することができる。こうして誤解を見つけたこともある。市販の正解とされているものが必ず正しいわけではない。市販の解答はおそらく学校発表のものであろうからたいていは正しいと思うが、時には、ミスもある。竹の会では、「みくにの解答では正解だが、それはこれこれの理由で間違っている。竹の会の正解は〇〇だ」というように説明する。
 実は、わたしは、解くたびに前に解いた解き方と変わることが多い。改めて考えているうちに、新たな解き方が閃くからである。前よりもいい解法を思いつくと流石にうれしい。わたしのめざすのは、算数本来の解法である。それはシンプルなほど理想である。忌むべきはやはり数学の発想が入り込むことである。数学というのは、記号言語による解法である。算数でもこの発想を例えば①などに置き換えて利用することがある。①は、単位あたり的な発想なので、算数的な数学の利用と言ってもいい。見事に文字を避けて数学と同じ思考をとれる。
 方程式的な説明は小学生には無理で、方程式をうまく躱しながら、方程式と同じ効果を見せるのが、線分を利用する方法である。ただこの説明法の根底には、実は、ミクロマクロの理解がある。ミクロマクロというのは、一つのものをミクロとマクロの視点から見るという、竹の会が発明した算数思考の枠組みである。竹の会の子たちは、入会すると平均3か月ほどで、中学受験の難関私立出題レベルの計算問題を解けるようになる。これは学年には関係ない。小2でも、小3でも、小4でも変わらない。よくそれまで大手にいたという小5や小6が、竹の会に来ることがある。その場合も最初は計算からだ。なぜか大手にいたというのに、計算をまともにできる子を見たことがない。大手に2年いるという子の共通な点は計算を軽視しとにかく正解率が低いこと、割合をやったと言うけれどベタな問題に公式を当てはめているだけという印象だ。それで小2が高度な計算をやっているのに、小5が小数の割り算で四苦八苦しているというような光景が竹の会では普通に見られることになる。
 この3か月前後の計算過程を終えると割合という概念を頭の中に枠組みとして組み込む期間に入る。この思考枠組みを作りあげるのにかかる期間は子どもの能力によって区々である。速い子もいればなかなか抜け出せない子もいる。
 
 算数というのは、単位あたりの考え方が、基本である。その上で、算数の中心は、割合という概念の理解をいかに立体的にイメージして頭の中に組み込むかということになる。こここそが塾の腕の見せ所ともいえる。多くの塾がここをテキストのただの一単元として、数ページで終わらせる。しかも授業という一方通行で、後は子ども任せである。竹の会では、この割合だけを一年間から二年間徹底して訓練する。割合というけれど、ひとり割合の狭い概念に固執するわけではなく、割合的発想のさまざまな、多岐にわたる発展形を経験させる。例えば、縮尺、単位あたり量、速さと時間、流水算、なんでもありである。もちろん面積図は有力な武器として使えるようにする。さらには「比」の扱いに慣れていく。竹の会の算数は、大手のようにテキストを使って単元ごとに学ばせるのではなく、また授業によって一方通行に知識を垂れ流すのでもない。思考を作り上げていく過程は立体的な作業であり、一つ学んで血となり肉となったことを踏まえてその上に新たなる「血肉」を栄養分として注ぎ込むイメージである。これこそが竹の会の思考作りの紛れもない真実の姿である。
 竹の会の実際を何も知らないのに、匿名(と言っても正体はバレバレ)に隠れて竹の会を悪意で中傷するのは、当人の悪性を自ら露わにする証拠を永久にネット上に残しているということに気がつかないほどに愚かなことである。
 わたしの日常は、算数、適性、数学を解き、難問に当たれば時間を忘れて考える、英語を読む、国語を考える、理科、社会を考える、それからなによりも大切なのが何も考えないでぼーっとしている時間、これがわたしに閃きをもたらしてくれる。
 算数の難問を抱えたときは、前日にあれこれと悩んで、結局その日は寝る。寝てもいろいろ頭をめぐらす、そのうち深い眠りに落ち込む。気がつくとたいていは朝の五時、問題を解き途中だったことを思い出し、机に向かう、シャーペンを持ち、もう一度問題を読む、朝はいい、思考にブレもなく解けてしまうことが多い。
 算数を解いているのに、思考が数学的になってきたらこれは悪い兆候である。いったん解くのは止めて、心機一転して考えるしかない。なにしろわたしはもともと数学を専門として飯を食ってきた人間である。どうしても数学が秘めた最後の砦としてある。わたしが結局数学に頼るしかないと観念したのは、整数論だ。整数の問題は、やはり算数よりも文字を使って考える、つまり数学思考が一番簡単に解けてしまう。わたしが唯一算数で白旗を挙げた分野だと白状しよう。
 わたしはこと数学に関しては首都圏の中堅以上の高校の過去問なら学校にもよるが少なくとも20年分は解き尽くしてきたと思う。偏差値70前後以上なら30年から50年分は解いていると思う。つまり高校入試問題では、解けない問題はない、という自負がある。そういう人間が、算数という記号思考を禁止された世界に踏み入ったわけである。わたしの場合は、公立小の子たちの学力の低調さに義憤を感じたことがきっかけになっている。通分も満足にできない子たちが、割合など理解できるわけもない。小学校の優等生と言われる子たちにしてもまともに割合を理解できている子はまずいない。中学受験をしない、公立小の子たちは勉強の意識が低い。そもそも親の意識が低いのである。これに変革が起きた。公立中高一貫校制度のスタートである。わたしが低調な学力の受検生たちに遭遇したのはまさにこの時期であった。わたしはこの子らを導くために何をすればいいのか、苦悩した。平成19年前後からわたしはそのための研究に没頭した。様々な算数指導の理論と具体化を試みた。この時期にわたしの作った試作品は夥しい数に上っていた。わたしの算数開眼、算数デビューは近かった。ちなみに竹の会は昭和60年開設当初からスポットで中学受験の指導をしていたが、そしてそれなりに合格者を出してきたが、白状すればわたしは小学生に数学的発想を教えてきた。決して算数ではなかった。もっともあの当時から図を使って解くという基本姿勢は変わっていなかったから図的な解法というのは算数であったと思う。その関連で、首都圏の中学受験の問題も解き尽くしていた。つまり私立、国立の中学受験の過去問も知り尽くしていた。
 だからわたしの算数デビューはわたしなりの算数遍歴を背景としての話しではあった。
 わたしは、算数の過去問のオリジナル解答を発見、製作することに時間を費やしてきた。特に、平成24年からの数年間は、算数解法発見家と言ったほうがいいような生活をしてきた。シンプルで絶妙な解を好んだ。そういう解法を発見するのが喜びであった。
 わたしはまた良問ハンターでもあったと思う。過去問を読み漁り、良質の思考にいい問題を探し続けた。これはという良問を見つけたときの喜びは一入であった。わたしはそのための解を見つけることが楽しくて仕方なかった。
 今の竹の会の算数レジュメ集はほとんどがこの時期に製作したものばかりだ。今こそ竹の会算数の体系が完成して、子どもたちは、次は、何をやる、と当たり前なように言い合っているけれど、あの頃のまだ未完成の頃の子どもたちとのやり取りもまた楽しい思い出として今では懐かしく思い出される。
 算数解法研究家。わたしには意味ある言葉である。

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