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考「七回解き直し」

2020.05.23

七回解き直しの誤解
 竹の会伝統の七回解き直しを勘違いした人たち
 「先生、七回解き直しを終わらせました。」「えっ、もう終わったの? まだ三日しか経ってないよね。」
 先決問題
 指導レジュメを7割以上合格ハンコで終わらせたか。
 解答率が、低い者には、七回解き直しは、害となる。覚えた解き方を反復覚えるだけの無意味な行為に堕し、思考に資するものは何もない。
 解き直しは、暫く期間を置いてやるのが効果的であろう。3日間で七回解き直しを終わらせたと報告してきた子は、七回解き直しを形式的なノルマと考えてでもいたのだろう。かつてノートに式と答えを七回書いてきた子がいたが、その子の喜々とした様子を見ていたら、「違うんだよ」と言う気力もなくなったことを覚えている。
 解き方を七回繰り返して覚えた、ということに何も意味はない。それで何に資するのかさっぱりわからない。短期間に七回解き直しはない。
 解き直しは、まず、合格が取れなかった問題だけ解き直しをすればいい。
 二回目の解き直しは、少なくとも二週間は間を置く。二回目も初めて解くような環境設定が大切だ。もし解き方を覚えていたら、もはや解き直しの意味はない。だから理想を言えば、解けない問題は、一旦保留しておいて、後でまた考えてみる、というのが、一番思考にはいい。諦めないで考える、実はこれが様々な効果を生む。
 問題の意味を誤解してないか、与えられた条件以外にほんとうにもう条件はないのか、いや与えられた条件に実は隠された条件があるのではないか、問題を解くとき、考えるときは、何度も何度も問題を読み返し、誤解していないか、読み落としはないか、と確認してみるものた。わからないという子には、DNA的問題もあるのだろうが、何度も読み返して、考え直すということができない。そもそも問題の意味を理解していないことが多い。知識が足りないから、解けないのかはなかなか難しいところだ。例えば、扇型の面積は、円周と角度が正比例の関係にあることを前提知識とする。この知識がないか、あっても有用な利用ができないほどに理解が浅いのか。
 何かの関係を算数的な関係に置き換えることができないか。関係は一つだけか。視点を変えてみるというのはよくやる思考技術である。
 考えるというのは、そういうことをあれこれと思い悩むことである。
 簡単に「わかりません」などと言うな!
 そういう悩む過程こそがもっとも大切な時間なのである。解き方を聞いて、解けた、わかったことにして、先へ進め、後は七回繰り返して、解き方と答えを覚える、そういうことに何の意味があるのか。少しも思い悩んでいないじゃないか。
 七回解き直しというのは、思い悩んで考えてきた、正解率の高い子にだけ、有用な方法にほかならない。
 そもそも本当に自分で解いたのか? わたしは、「家で解いてきた」という子を信じることができない。何度も騙されてきたからだ。指導の日に渡したレジュメをその日に出さなければ、出せなければ脈はない。次の指導日に出して、合格ハンコを取る子がよくいるけれど、わたしの中では、本当にできたという確証がない。「本当に自分でやったのか。家族に聞いてないか。」と問えば、「自分でやりました」と強く抗議するから、もうそれ以上は問い詰めないけれど、わたしの中では、もやもやしたものが、燻り続けている。そしてそのわたしの疑心は、模試の結果、本番の結果で、見事に裏付けられるのである。模試の結果を見て、「あれっ」と思う。本人は、いろいろ言い訳するが、わたしにはこれまでの疑念の根拠を示されたとしか思えない。
 勉強を勘違いしてはならない。まず「考える」、その過程が勉強のすべてなのである、正解が目的なのではない。もちろん考える目的は正解を得るためであるが、勉強の目的は、考える過程にある。どれだけ悩んだか、である。しかし、質のいい悩み方でなければならない。ただ問題と向かい合ってボーッとしているだけ、事実の意味もわからないで、的外れの公式を使ったり、目についた数字をかけたり、割ったりするだけ、こういうは考えていないに等しい。とにかく頭使う以前の問題である。問題を解くとは、かけるか、割ることと理解している、ある意味絶望的である。DNA的な限界を示唆しているかもしれない。
 指導の成果は可視的でなければならない。わたしが、指導したことが、子どもに有意的に受け留められ実行されること、である。そして親が自分の考えで指導してはならない。それなら最初から竹の会に入らなければいい。親が自分のやりたいようにやるのならそういうことになる。竹の会を適当に利用するということなら、竹の会はそういう類いの塾ではない。竹の会は、竹の会の指示通りにやってください。そうすれば合格を請負います、という塾である。
 親が模試を管理すると、必ず失敗します。

 可視的の意味
 わたしに隠す親、隠す子の責任は負えない。
 特に、成績表を見せない中学生について
 竹の会にいても失敗する、だからいる理由がない。
 尋ねなければ教えないで済まそうとする、尋ねても成績が悪ければ返事を曖昧にする、成績表は結局出すことはない、親も何も言わない、してみればこれは親の意思でもあるのだろう。
 定期テストの結果報告なし、通知表の報告なし、模試も秘密裏に受ける、これで受験に成功すると考えているとしたら、あまりにも幼い。受験というものにあまりにも無知過ぎる。わたしには理解できない。
 竹の会の中学生は、2つの義務がある。
  まず、勉強しないならすぐやめてほしい。
  成績などを隠すならすぐやめたほうがいい。
  このままいても受かることはないからだ。

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